FC2ブログ

180222

珍しく小雨
一時霙か雪

人形町で会議
久しぶりに三光稲荷神社
お雛様が飾られていた
狐の嫁入りではない
180222-03_20180222230239ece.jpg 180222-02_20180222230223c57.jpg

今しか見ることができない
エルメスのファサード
180222-05_201802222303440e9.jpg 180222-04_201802222302507bc.jpg

千駄ヶ谷
180222-06_20180222230428c7a.jpg

JIAから
180222-07_20180222230447332.jpg

今日の花
180222-01_201802222301527ca.jpg

青いレモン 番外編 53  イランの準備
修士2年の後半になると話が進みだした。アジア国際見本市の日本館の建設を主宰するのは日本貿易振興会のジェトロで、先生と難波さんと3人で、ジェトロの見本市の責任者に会いに行く。その方は確か柳川さんといわれ、恰幅のよい前回のインドの見本市の責任者でもあった。先生とご一緒したのは、2,3回、後は、難波さんと二人か一人でジェトロと打ち合わせを行った。
国際見本市に関して、イランから様々な書類が送られてきた。まずは要項その他の翻訳であるが、会期は1969年秋である。日本館の敷地は東西に極端に細長い敷地である。先生の基本的構想は細長い煉瓦の建物で、予算に応じて、短くしたり、低くして予算に対して調整可能にしようというものであった。基本的には、鉄骨の柱、煉瓦の壁、天幕の屋根というシンプルなもので、鉄骨とテントを日本で作製して、船で運ぶ。煉瓦の壁は現地で材工ともに調達する。
図面は研究室で描き、先生のお宅の東南の隅の鉄骨の小屋の2階の難波さんの事務所で打ち合わせをした。この建物の下はガレージで先生のトヨペットクラウンのバンが駐まっていた。日本館の透視図は野村工芸の石原さんにお願いした。石原さんとはだいぶ後になって、日本建築学会の資料集成の展示の項目作成委員会でご一緒した。
日本での準備作業は、修論のまとめと平行して行われた。その頃、学生紛争が次第に熱気を帯びてきた時期で、ストの決行の日以外は学生は構内に自由に入れるが先生方は入構が制限されていた。ストの日も塀には破れ目があって、適当に入り込んで研究や、イランの仕事をしていた。
出発前の作業として、屋根の天幕について太陽テントとの打ち合わせ、鉄骨の原寸図のチェックと仮組立の立ち会い。
展示ブースのパネル等も日本で制作し、イランに送ることになっており、丹青社と打ち合わせをした。社長が、イスラム教に詳しく生活習慣、コーランなどについていろいろ教わった。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

konishikonishi

Author:konishikonishi
http://www.524to524.comを参照して下さい。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR