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180216

昨夜は比較的暖かかったが、
今朝なまた寒さが戻ってきたように感じた
しかし温度計を見るとそれほどでもない
青空だがなんとなくもやっている

妙正寺川の水鳥
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今日のポスト
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今日の
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今日のマンホール
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大谷の石蔵に関するTBSの取材

今日の花
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青いレモン 番外編 047 研究室の飲食  
博士課程になってすぐに休学し、イランに行き、丁度一年後に復学。建築材料の吉岡先生の部屋に出入りする様になると、毎日の様に飲むので驚かされたがそれはまた後の話。清家研究室は、先生が飲まないことや、自動車の利用者が多かったこともあって、飲む機会は皆無に近いほどなかった。多分、卒業するまでに飲んだ記憶は、4年生の時の忘年会で、あと一回は道路公団のサービスエリアの設計の手伝いの打ち上げだったのではないだろうか。清家先生は、美校の出身、その後東工大に来られたので、上野には詳しい。
忘年会は、上野の公園の中にある洒落た韻松亭と云う料理屋で開かれた。美味しく食べたのだが、清家先生と宮坂先生と忘れたがあともう一人が頭に布を被り黒い輪を載せアラブの格好して現れ、三人の博士であるとクリスマスの歌を唄った。クリスチャンらしい清家先生の嗜好を始めて見た思いがした。打ち上げの会は渋谷の鳥長だったと思う。
研究室の行事とは別に八幡製鉄や、大成建設、ジェトロの仕事で先生とご一緒させて頂き飲み食いした回数はかなりの数になるし、先生を囲む会や先生の慶事を祝う会で会食したことも数え切れない。しかし、個人的に先生にご馳走になったのは、多分イランに出発する前の目黒通りに面したホテルでの一回だけだと記憶している。
先生は飲まれないが、飲んだ席で、一番酔っ払っている様によくしゃべられるし、飲食に関係なく人が集まっていると楽しそうに次から次へと話をされた。おそらく先生にとっては、アルコールはそれほどコミュニケーションのための必要素材でなかったのではないかと思う。お飲みになれないのではなく、インドに行かれたときに調子を崩され、それ以後心臓を心配され飲まれないのだとも聞いたが真意は分からない。
大学では先生は帰りがけに、10分か15分ぐらい、長いときでは小一時間立ち話をされていたことを思い出す。何の変哲もない話なのだが、楽しく、また、その中でいろいろなことを教えて頂いた。
いつもにこやかで、他の人にはあまり不機嫌なところは見せない。特に50才を超えられてからは研究室では学生達を坊や達と呼ばれて優しい先生になられた。あるいはデザインシステムとして、設計の組織が外へ出たからかも知れない。大岡山にいた頃など機嫌がわるいと、研究室の本や器具が曲がっている、灰皿に吸い殻があると其れが汚いと、普段あまり云われないことを次から次へといわれ、八つ当たりしているのではないかとさえ思えてしまことが度々あった。それがまたもの凄く怖いのである。

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