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180202

またが降っている
一寸積もってはいるが、
先日とは違って、
うちの辺りでは、
雨で濡れていたから積もり方が違う

午後にはも止む

日本建築仕上学会の会議
終了後、東京駅経由で
荻窪へ
一次会がそろそろ終わるところ

青いレモン 番外編 033 研究室の仕事の手伝い 
研究室の手伝いは随分とさせてもらった。四年の頃の居場所は製図室で、持ち物も大体そこに置いていた。凡研にも机があった。清家研究室は、実務の仕事が多く、東名のサービスエリアだの水族館、都美術館、東工大の80周年記念棟など大忙しであった。研究室に行くと先生がおられるときもあった、機嫌がよいときは、先生がひとりでにこにこしながらしゃべり、廻りでみな聞き入っていた。たいてい30分か小一時間ほどしゃべって、じゃあね、何かあったら自宅にいるからね云ってと帰られる。ご自宅は近く車だと10分は掛からない。
だいたいにこにこしておられるのだが、いつも機嫌が良いとは限らない。悪いときには灰皿に吸い殻があっても汚い、曲がっていてもタバコはいやだねと・・・・・とりつく島もない。
当時は大学院生は少ない時代で、研究室の仕事は、主として卒業生が工業振興会の嘱託という位置づけで行っていた。4年生になった頃から学生紛争が次第にあらわになり、大学院に進んだ頃には研究室でやっていた設計の仕事は、大学外にデザインシステムをつくり分けざるを得なくなった。多分建築棟ができ学科が緑が丘に移ると同時に佐藤さん、村口さん、角永さんなどデザインシステムのメンバーが大学からいなくなる。それは少し先の話。
本館時代、研究での事務は文ちゃん、時々宮坂先生が顔を出す。谷口先生は清家研究室には滅多に顔を出されなかった。篠原先生も清家研出身のはずだが、研究室では一度も顔を見なかった。
本館に研究室があった頃、大岡山の商店街が近く、昼を一緒に食べに行った。たいていあたり屋で、帰りにパチンコ屋による。10年近く先輩の村口さんが好きで皆もつられていくような感じだった。その頃は弾を一発ずつ指で穴に送りこまなけらばならず、上手くなると面上に6つぐらい弾を浮かせられるのだが時間つぶしには一発ずつ落とし込んでゆっくりやるのがよい。それでもたまに少しはでることがあってタバコなどの景品に換えた。そういえば大岡山の南口にもパチンコ屋が2軒、スマートボールの店も1軒あった。

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