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180430

よい天気だ
風もほとんどない
天気は2日まで保ちそうだ
今日で4月もおしまい
今年も1/3が過ぎてしまった
雑用を済ませよう

垣根のヒイラギモクセイに虫が付いた
テントウノミハムシ
殺虫剤(オルトラン)を撒く
見事に下に落ちた
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植木屋
このヒノキ
結構手間暇喰った
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中新井川緑道を通って
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徳田カトリック教会
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今日の花
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180429

よい天気である
風もほとんどないが、
昨日の風で、
落ち葉が凄い

野方の駅の待合室
上り線の電車の近づくのが分からない
欠陥待合室
前は前面ガラス
電車の近づくのは分かったが、
電車から丸見え
何で目の高さにスリット状に透明な部分をつくるなどという工夫がなされないのだろう
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今日は墓参り
清澄庭園沿いの近代建築
一寸暮らしてみたいと思う
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高田馬場の西武新宿線ホーム
ここまで客は馬鹿なのか
客は客なりに工夫して、秩序をつくっていたと思うが、
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植木屋
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今日の花
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180428

今日もよい天気
風はないが
クスノキは凄い

曹洞宗 高雲山 瑞圓禅寺と
法雲山 仙壽院
寺院の前を通って
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JIA文化財修復塾
本年度最終講座

今日のガスメーター
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懇親会 ハーブにて
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180427

よい天気だ
風もあまりないが
クスノキさんはしっかり散ってくれている
ヒノキ剪定
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今日はあたり屋の会
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180426

良い天気だが風が強い
クスノキの落ち葉が舞い飛んで坂の下まで

午後、南のヒノキを道路側から高枝鋏で剪る
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北のヒノキも南側を少し剪る
多少明るくなったか?
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中野たてもの応援団の定例
スマイル中野
その後、大谷ツアーの打ち合わせ

180425

久しぶりに本格的な
ごみの集積場が遠くなったので
久しぶりに長靴を履いて出しに行く
しかしこのも数時間後には止むようだ
その後暫く天気が続く
午後からは青空!
できれば5月2日までは
天気がもって欲しい

しかし、明るくなった!
まだ、葉がでたばかりだから 
そう暗くはなかったが、枝が広がり葉が大きくなると
空が見えなくなっていた。
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積水ハウスが「地面師」詐欺により63億円の被害

JIA文化財修復塾WEB会議

今日の緑の家
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榎稲荷 お萬榎 江戸名所がJIAから駅までの通り道にある
日本三大縁切稲荷
大東亜戦争前まで榎の上部が女陰に見られる「お萬榎」に、
内藤新宿周辺の遊女や女将などが多く拝みにきたという。
昭和二十年に空襲で焼失するが、
戦後、瑞円寺の裏側に再建された。
縁切稲荷としての詳細は不明。「縁切榎」の可能性あり。
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•昔、この地に根元の形が女陰にそっくりな榎の木があった。
ある大工がその根元を女房のに似せて加工した。
すると女房が女陰の病にかかった。
榎の祟りだと思った大工は祠をつくって祀った。
すると女房の病気は治った。
•婦人病・性病平癒。   
参考文献:『ご利益別ピンポイント神社』 マガジンハウス編 マガジンハウス

木の幹
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180424

昨日は結局、雨は降らなかった
今日も一日曇りらしい
しかし、4月もあと一週間

植木屋に追われた一ヶ月だった
どうやらクスノキ大を残して大物は終わった
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今日は森美術館
内覧会なのに写真の制限
森美術館としては珍しい
それぞれの作品の説明の文字が小さく
ものによっては位置も非常に見にくい
建築展らしいといえばそうだとも言えるが
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パブリックアート「ママン」(卵を持った巨大蜘蛛)彫刻家故ルイーズ・ブルジョワさんの作品に、
テキスタイルアーティストのマグダ・セイエグさんが編み物600ピースを被せ、
「無機質なものに温かな人間性を融合させた。」
脇の屋根のある歩道の列柱も同じように温かなテクスチャに覆われていた

今日の花
180424-04.jpg 昨日の暖かさで一気に開いた

180423

曇り
雨が降りそうだが
天気予報では一日中曇り
しかし昨夜のTVでは怪しいことを言っていた

植木屋
カキの木などけりをつけたい
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Y邸
アプローチに手すり工事?
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今日の花
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180422

天気も良く静かな日曜日
風もほとんどない
有り難いことに
クスノキの葉っぱもそれほどではない
マサキのうどんこ病
酷くなってきた

日暮里で山手線から常磐線に
暑くなってきた
半袖の人Tシャツの人が多い
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今日は北千住
なかだえり「水彩画展2018」
今回を区切りにして個展は暫くお休みになるらしいので出かける
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その後、駅まで路地を抜ける
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今日の
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植木屋 カキ、シイノキⅠ
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今日の花
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180421

穏やかな陽が射している
今日は暑くなるということである
湿度は低い

平和の門を考える会
[平和の門103歳を祝う]
観音克平氏富澤睦郎氏の講演
富澤氏の講演は耳の悪い僕には聞こえない部分が多く残念だった
大事なところは録音して印刷物にしたい
もう少し頑張るならば、
ユーチューブで、あるいはホームページで流せれば良い
しかし手が足りないのは何とも致し方ない
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後藤一雄先生のお宅
巨大なスピーカーのある部屋
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終わって、
平和の門を見て、
刑務所解体時のビデオを見る
調査は藤本盛久先生平井聖先生
さすがにお若い!

180420

晴天
風もない
4月も三分の二が過ぎようとしている。

何時ものヤマモミジ
一寸場所を下に移してキノコ
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夕方から新宿
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シーアンで大成宇峻会

今日の花
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180419

良い天気だ
風もない

午前中に中野区役所
平和の森小学校についてヒヤリング
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ついでに中野の情景
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チェコ大使館、チェコセンター東京展示室の
[プラハの機能主義建築-伝統と現代建築への影響」
ひとりでゆっくり鑑賞させて頂く
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渋谷川
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大崎で会議
大崎も変わったな!巨大ビルばかりだ!
昔からある大谷石の擁壁に射す影
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今日の花
180419-11.jpg 180419-12.jpg この黄色い花は何 始めて見る花

180418

しとしと雨が降っている
うすら寒い

白銀台
国立公衆衛生院も新しくなって
「ゆかしの杜」となって活躍している
港区からはお知らせはなかったが
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今日はこちら
O先輩宅
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日本橋三越でたなかふみえ作品展[彩りのうつわ] を見て帰る
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今日の夕日
180418-03.jpg 180418-04.jpg 右の写真は何故メッシュが写らないか?

180417

今日は夕方から雨の予想
何か薄ら寒い

植木屋さん
昨日の続き ヒノキ
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夕方から本当に雨

今日のガスメーター
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今日の花
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180416

青空がでて陽が射しているが
風が多少ある
午前中、郵便局と銀行

ヒノキの剪定
だいぶ向こうが透けて見えるようになった
あと一踏ん張りか
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今日の花
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180415

今日は朝から雨
昨日の夕方振り出しそのまま降り続けているのだろ
夜は風も強かったようだ
4月も半ば、はやいな~

植木屋
 昨日の続き
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ヒノキ
全然変わってない!
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夜の八幡神社
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今日の花
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180414

曇り空
今夜から天気が悪くなりそうだ
でも回復も早そうだが

文字色植木屋さん
シイノキⅣ
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クスノキ中最終 飛び出していた髭がなくなった
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シイノキⅣの梯子の掛け方が難しい
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今年は梅のなり年
そういえば去年は少なかった
今年は梅酒でも作るか
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夕方に雨がぱらつく
なんとなく薄ら寒い

180413

天気は良いが
一昨日ほどではないが風がある
関係ないが
今日は13日の金曜日

植木屋
シイノキⅣの剪定
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180413-03.jpg180413-04.jpg180412-02.jpg

先日解体した民家のあと
更地になる
そう云えば道路の反対側に鉄骨屋があったが、
いつの間にかなくなっている
飲み屋のイワン今日は休みの張り紙が出ていた
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。
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特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

180412

昨日とうって変わって
風もなく穏やか
風で飛ばされた落ち葉がすごい

少しだけ植木屋
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上野都美術館
キルト日本展
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歩いて鶯谷
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久しぶりで
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鶯谷駅
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180411

春らしい薄曇り
微風あり
鼻がむずむずする

区役所の経営室施設分野 
施設整備担当のところに
哲学堂学習展示施設のことで
安達さんと説明書A4一枚を届けに行き話を聞いてもらう

植木屋
午後から風が強くなる
まともに仕事ができない
クスノキ中を多少仕上げて
あとは剪った枝を束ねる(2回分)
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これは何という植物?
ハクチョウゲとは葉が違うようだが
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今日の花
180411-02.jpg 180411-03.jpg いい香りがする

180410

今日も良い天気だ
早4月も三分の一が過ぎてしまった

昨日はJIA中野地域会総会
結局、変わらず新年度に
何とかならないかと
まだ思っている

植木屋
クスノキ中目処がつく
全て周囲から剪る
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第14回キルト日本展入賞作品展 4月10日~15日が始まる 東京都美術館
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青いレモン 番外編 100
今回でこのシリーズも終わりにしようと思う。以上で宇都宮大学時代以前を纏めた。それ以後の話はまたいずれと思っているが、今の時点ではまだ生々しすぎるような気がする。また、宇都宮に行く前のことで書き残したい話は山のようにあるような気もするが、それはまた別に思いつくまま書き足せば良いと思っている。元々清家研をでて、田町の夜学でも設計を教えたし、清家先生からの話でテレビの計画の講義も行った。しかし、専門が何であるかについては、博士論文を何処の研究室で取ったか、指導教官(当時は教員と呼ばず教官と云っていたが、その方が私には馴染みがあり、教員という言い方はあまり好きでない)が誰かのと云うことの方が論文の内容が構法であることよりも世の中には影響力を持っていた。構法は計画の研究の中では特に目新しく興味をひく存在では無かったが、材料施工の中では割合新しく変わり種とみられていた。また、これは大分経ってからの話だが、建築材料学も材料だけを扱うことでは、化学などの分野と競合してしまうし、その専門的な壁を打ち破れないことから、行き詰まり、材料の使い方つまり工法と合わせて考えるようになってきた。私の専門分野としていた構法が助けとなって、材料施工の分野からかなりいろいろ手がさしのべられた。しかし、わたしは計画の人間だと思っていて、それが大きな流れの中で良かったのか悪かったのか分からないが、材料分野から差し出された手にあまり応える気にならなかった。そんなこともあり、何人かの先生からは、私の専門は何かと真面目に問われたことが何回かあった。
それはさておき、宇都宮大学の話が進み、かみさんと車で大学を見に行った。大学の廻りを一回りし、正門の反対側にある小さな通用門らしい東門から一寸入ってみた。体育館や運動場が広がり特徴の無い静かな学校に思えた。見たからどうと言うことはなかったが特にいやだとも思わなかった。
そのあと話が進み出し、清家先生の知り合いである機械工学が専門の貴志先生に挨拶に行く。その時、貴志先生の助教授の秋山先生に学内を案内して頂く。
常識が無かったのか、あるいは不勉強で赴任した後に東工大と宇都宮大学の大きな違いに始めて気付く。東工大は一つの講座が、教授1,助教授1、助手2、技官1で技官のいないところには学科で人を張り付けていた。工業大学にも講座という単位はあったが、どちらかというと研究室が活動単位であった。旧制大学は何処もこれに近い。さらに技官2の処もある。ところが、宇都宮大学のような新制大学は教授1、助教授1、助手1、技官1で一つの講座になっている。全て教授以外はその子分と言って良い。研究室を持ったらやりたいと思っていたことがガラガラと崩れたような気がした。名前は助教授になったが、授業が増えただけであまり変わり映えしないというのが実感であった。それから、もう一つ実感したことは宇都宮大学の助教授よりも東京工業大学の助手の方が世の中の評価が高いということである。それは勿論将来のことを勘案してのことだろう。
その上、上の教授である吉岡先生はなかなかの狸なのだ。好きにやったら良いよといいながらそんな材料関係の仕事でほとんどの時間が塞がってしまった。
宇大へ行ってからの話はまた次の機会にするが、宇大に赴任する前の1年半、非常勤で宇大に教えに行った。まずは設計製図を後期半年、材料実験を次の年の前期半年、後期にまた設計製図を担当する。一年目は、建築棟が無く電気電子の部屋を間借りしていた宮沢先生のところでお世話になった。次の年には建築棟もでき新しい吉岡研究室を基点にして授業を行った。一年目は終わればすぐ帰れたが、二年目からは授業が終わるとその後、必ず飲まされて帰るのが遅くなった。だからと云うことではないと思うが、酒は楽しんで飲むのは好きだが、お付き合いや無理強いはどうも性に合わなくなってしまった。

180409

青空だ
風もほとんどない
何故かクスの落ち葉も少なかった

植木屋
クスノキ中
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JIA中野地域会の総会

今日の花
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青いレモン 番外編 99 長津田計画室 最初の小さな家で 林さんの仕事 小野研の一年 イランのコンペ
長津田計画室は、東工大の新キャンパスの計画を行う行ってみれば特別室。このキャンパスの土地は可成り前に得ており計画も進められていたが、この頃まで計画には平山さんや八木君が携わっていたが、中央に池を残した配置計画、そのための道路計画、汚水処理施設計画が精一杯で、具体的な校舎などの建物は精密研究所の建物にやっと手が付いたところであった。
そして、この頃から長津田の計画が急速に進み出した。化学三専攻、物理三専攻、工業材料研究所、図書館、電子顕微鏡棟などが計画され次々と建てられていく。石油ショックあけの物価急上昇の時代、タイル貼りが、吹きつけタイルになり、塗装になり、打ち放しになるなど予算との格闘であった。しかし、各先生方の希望を入れながら、施設部と駆け引きをしながら次から次へと計画を実行できることは面白く、古村研を出て生き返ったような気がした。その反面、各校舎の大きなデザイン的な方向性は既に基本ができていたから枠の中での戦いであった。そういう意味では、液体窒素の小屋や、危険物倉庫などは、小さなものであったが、多少自由にできるので楽しませて貰った。液体窒素や危険物関係の建物を作るのには神奈川県との折衝が必要であり、県庁や民間の研究所にも何度か足を運んだ。図書館棟は校舎とは別のデザイン言語が使えかなり楽しませて貰ったが、予算が2年度に跨がっており、細長い建物の途中が繋がらず、完成したのは長津田計画室を辞めてから何年かした後の話であったが、一応当初の計画通りの姿になった。
長津田計画室のメンバーは、谷口汎邦先生がチーフで、その元に、岩下君、高橋君がいて、後に槙さんの事務所の空きを待つ高田君が加わった。学長室での会議にも度々呼び出されたが、当初は、建築の加藤六美先生で、暫くして工材研でお世話になった斉藤進六先生に変わった。
長津田計画室にいたときも小さな家が役に立った。まだ高田君は長津田計画室に配属されていなかった頃であるが、イランの王立図書館の国際コンペがあり参加した。イランに行っていたこともあり、どうしても参加したくなり誘った。岩下君、高橋君、それに筒井君が加わりかなり熱を入れて計画を練り案を提出した。模型写真は秋山さんにお願いした。結構、費用も掛かったと思う。入賞はできなかったが、丹下健三の案と我々の案だけが、一番奥まで、アプローチを引き込むという案で他と区別できた。コンペが終わって何年かして、革命が起きパーレビ王朝は滅びてしまった。
まだ、長津田計画室に決まる前だったかも知れない清家研究室に暫くおられた林哲也さんから連絡があり、今の玉川高島屋あたりの開発計画を一緒にやらないかと誘われたが、話はうまく纏まらなかったか、たちぎれになってしまった。
その頃、長津田計画室は、建築棟の北側で、地下にあった。北側は南よりも地面が低く外に面しており居住環境はそう悪くなかったし、人目に付かずなかなか居心地がよかった。暫くするうち、清家先生から大学の話が舞い込んできた。一つは東京の私立、もう一つは関東の国立大学で新設の建築関係の学科であった。こちらの方は論文がもう少し要ると云うことで、茶谷先生、青木義次さんと連名で構法の論文を書いた。それが通りほぼ、国立大学へ行けることになる。しかし、古村研は研究所所属だし、田町の教員養成所だけでは教育歴がたりないから、新たに助教授になった小野研の助手を一年間勤めろということになった。小野さんが博士論文を纏める時期に私の論文の面倒をみてくれたこともあり、小野さんの博士論文の実験調査の手伝いで明け暮れた。各地の小学校・中学校の体育館の床の弾力性を測定して回った。ワンボックスカーを借り、奈良など各地の学校をどさ回りした。後半は、小野さんがアメリカに研修旅行に数ヶ月行くことになり、留守を預かるようなことになる。小野研の一年、その小野さんも2018年6月9日、鬼籍に入られた。

180408

今日はよく寝た
良い天気だ
中野たてもの応援団による
白鷺民家の屋敷林に於ける
野点の会
一度に緑が広がった
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今日の鷺ノ宮住宅
カナメモチの新芽が色付いている
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終わってから1時間少々植木屋
クスノキ中の剪定
一昨日剪ったが落とせなかった枝を落とす
これで西側の大枝はほとんど落ちた。
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青いレモン 番外編 98 助手になる 古村研 歯医者 小さな家
前の年の暮れに、実験装置が完成して、年が明けて実験が始まり、各年一人ずつ2年で卒論生の2人に世話になった。何とか論文がまとまり発表にこぎ着けた。その年、建築では後藤研の森下さん、平井研の斉藤君、吉見研の大岡君と私が工学博士を授与された。その頃は今と違ってよくしたもので、博士号を取るとどこか研究内容に関連したところに就職できた。
私がやりたいことは設計、大学に残りたいから論文を書いたのだが、谷口吉郎先生が風洞を使い風圧力の実験をし、博士号を取得されていた、昔の先生方の時代とは状況がかなり変わっていた。清家先生に「僕も始めの仕事は工業材料研究所だった。」と云われ、工業材料研究所に新しく助教授として入られた古村先生の助手になった。そういえば、清家先生は谷口忠先生の研究室の出身で、卒業論文で、爆発が生じたときの木造建物の金物の影響が如何に強いか研究されたとお聞きした記憶がある。その谷口忠先生は、定年になったとき自分が居なくなると工業材料研究所が成り立たなくなると憂いて、暫く工材研の一角に陣取って動かなかったという。
始めて国家公務員になったときに、辞令を渡して下さったのが斉藤進六先生で、先生は後に東工大の学長になられた。斉藤先生のところの助教授に名前はうろ覚えだが、確か沢岡先生等云う若い助教授の先生がおられ、超高圧炉での化学反応を実験されていた。成功すれば宝石がいくらでもできるが、実験に失敗すれば、大学がすり鉢状に吹っ飛ぶと云われていたが、どちらの結果も聞いていない。
古村先生は、原田先生の弟子で、大阪の研究所におられ火災が専門であった。それなりに面白いところもあり、勉強になったが微分積分、偏微分などを多用する。入ってきた4年生も一緒に勉強会をやるのだがその頃は形のないものにはどうも興味が湧かなかった。コンクリートのシリンダーを何百個もつくって、加熱炉の中で力を掛け、火災時のクリープを測定したのはこの時期である。
工業材料研究所には、後藤一雄先生、小池先生、丸茂先生、宗宮先生などユニークな先生がおられたが研究室が、研究所の本館から離れた新館に在ったことや、助手で、教授会に出なかったので、お話しするのも懇親旅行時だけであったからあまり繋がりはできなかった。建築系の先生は、後藤先生、小池先生、古村先生で、後は化学系の先生だったと記憶している。建築系の先生ではないが、懇親会の幹事を一緒にやらして頂いた丸茂先生とはいまだに年賀状のやりとりが続いている。
古川さんという事務官とはその後、長津田計画室に移ってからも暫く付き合いが続いた。多分、古川さんが本部の営繕に移ったからだと思う。もう1人、これも何故か分からないのだが借金をしに来る事務官がいた。4~5回位借りに来ただろうか暫く経つとちゃんと返してくれるが、なんとなく気持ち悪かった。工業材料研究所は、トンネルの南側にあり、敷地の中にお稲荷さんが在って、トンネルの向こう側の先生方は決まった時期にお参りしてお祓をしていた。工材研の建物を建てるときにお稲荷さんを動かすかして、その後、工材研の先生が何人か若くした亡くなられたと云うことで、お祓いをしていたと聞く。工材研の研究室の中で唯一古村研は、トンネルのこちら側の新館にいた。そのこともあって、工材研の先生方との繋がりは強くならなかったが、この新館の建物は清家先生の設計で、研究室は北側に面していたが明るく居心地がよかった。2年弱で、工学部の長津田計画室の助手に配置換えになり、お金を借りに来る事務官とも縁が切れた。
古村研にいたころ虫歯で、母が掛かっていた娘の幼稚園の父兄の歯の技工士の方に紹介して貰って、自由が丘の歯医者に通った。なかなかの名医で、一通り治療が済んでから、一回だけ金冠がとれてしまって、付け直して貰ったことがあるが、治療後50年歯医者知らずが続いている。
もう一つ、この頃、工材研の近くにアパートを借りて、設計の仕事に対応できるようにし、いくつかの住宅を創った。小さな家の第一号である。
更にもう一つ、家の2階が火事で燃えてしまったのが古村研にいたときである。全員無事でよかった。

180407

春らしい天気だ
雨だと行っていた予報も外れ、
陽が射している

荒井先生を偲ぶ会
成蹊に於いて
予想を遙かにしのぐ盛会でした
雨でなくて良かった

二次会「鳥良」
三次会臣公の店(何回も行ったことがあるのだが、実は店の名前を知らない)

カメラを忘れた
・・・・・・・と思っていたが
いつも入れている場所から飛び出て
ザックの底に潜っていた
残念無念

今日の花
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我が家の山吹は七重八重ではない

青いレモン 番外編 97 2つの研究室 荒木と飲む 深夜映画 
イランで難波さんに酒を教わったが、恒常的に飲むようになったのは吉岡研の時で、それも論文がかなり進み、二つの研究室のうち吉岡研にいる時間が増えてからだと思う。ほとんど毎日、特にゼミが終わった後は必ず、先生が、髭のニッカとつまみを買ってこさせ、酒盛りが始まる。5人か6人で、一本空くと終わりになる。飲んでばかり居ると仕事が捗らない、どんどん飲んで早くあけ酒盛りを終わりにしたい。ところが早く終わりすぎたり、先生の気分次第では、もう一本買ってこいと云うことになる。そうなるとその日はもう仕事にならなくなる。
誰もとは云わないが、特に研究肌でないものが博士論文を書いているときは気持ちがすさみ荒れてよく酒を飲む。同じ悩みのある荒木と緑が丘の「芝松」でよく飲んだ。「芝松」は焼き鳥屋なのだが、焼き鳥と云っても実はヤキトンで、いろいろなネタがあり、好きな人はかなり遠くからやってくるので、6時にはめぼしいものは無くなっていることが多い。タレよりも塩が好きで、竹串の先に辛子を付けて食べるのがここの特徴であった。今は禁止されているようだが、レバ刺しもよく食べた。「芝松」の親爺さんの息子が相撲取りになり、いいところまで云ったのだが、体をこわして、戻ってきてから、焼き鳥のほかにちゃんこ鍋も始め店を広げた。僕としては店も狭く薄暗いちゃんこを始める前の「芝松」の雰囲気が飲み屋らしく飲んでいて気分がよかったのだが。
荒木と飲むとき、彼は生ビールは「腹がわれる」と云って何時も壜ビールだ。芝松は飲んだ壜を片付けないから10本飲めば、カウンターの目のまえに十本並ぶそれがまた気分がよい。焼き鳥も食べた串の数で精算する。飲み終わり、大抵、荒木を送って、気分がよいとそこでウイスキーを一二杯飲んで帰る。毎週のように数年間、よくあんなことが続けられたと思う。
論文でやりきれない気持ちになっているのを癒やしてくれたもう一つは深夜映画である。深夜映画は、大抵三本立てか四本立てで、ヤクザ映画とエロ映画である。こちらは友達とではなく子供を寝かしてから2人で出掛けた。親と同居していると、万一の時を心配しないでも済む。その頃は下火になって来ていたとは言え、まだまだ映画館が沢山残っていた。野方に二つも映画館 西武座と野方映画 高円寺には高円寺平和 阿佐ヶ谷にオデオン座 中野の南口の駅前広場に面したビルの2階や五叉路にも名前を忘れたが小さな映画館があった。中野の南口の映画館はせいぜい50人がすわれるかどうかで、画面は幅がせいぜい2メートル。映写効果をよくするためか画面にはグレーのドットが付いていた。近いこともあって、深夜映画は、西武座か野方映画だった。ガラガラの劇場内はタバコの煙が漂い、前の席に足を乗せ、休憩時間は何とも不思議なガラ~ンとして殺伐とした雰囲気が漂っていた。論文も終わりあまり行かなくなり、いつの間にか廃業の紙が入口に貼られていた。

180406

雨の予報であったが良い天気だ
もう雨雲は通り過ぎたのだろうか
だとすると有り難いが、

鈴木エドワードさんの墨絵展
前と違い動物の絵が多かった
次の対象は人間かな
などと話して帰ってきた
大変気持ちの良い展示会であった
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4月のイッキン会
いつのも場所で、
いつもと通り
ジー公とタカショウが欠席

青いレモン 番外編 96 吉岡研 村口さん アトリエオメガ 
進学と同時に休学していた博士課程に復学の手続きをした。イランへの出発前のもろもろの事情から吉岡研へ所属することにしたが、清家研との腐れ縁もあり、両方の研究室に机があった。博士論文の内容も次第に決まり、週一回のゼミでは詰めたものを発表するのだが、遅々として進まなかったが、吉岡研究室の人達の協力を得て、実験装置が完成してやっと軌道に乗った。
研究に関しては吉岡研、コンペや設計の仕事は清家研と忙しく毎日が過ぎていった。イランの仕事での一年間に加えて、帰国してからのあと一年が瞬く間に過ぎ、結局博士課程を修了するのに5年掛かったしまった。瀬尾さんや渡会さん森下さんなどと始めたアトリエオメガの活動もこの頃が一番活発であったと思う。セントラルガラスのコンペ、Gコラムのコンペ、北海道記念タワーのコンペ、日本とフランスの共同コンペ、建築会館のコンペなど随分数多くのコンペに応募、入選したり佳作になったり、引っ掛かったりなどなど随分楽しませて貰った。村口さんの設計事務所の手伝いも随分やった。事務所は初めのうちは風呂屋の二階であったが、そのうち神宮前に村口さんの設計で建てたビルに移った。ある日纏めてアルバイト代が出たが実入りのない我が家にとっては天の恵みに思えた。

180405

ついにクスノキの落ち葉が散りだした
生え替わりの時期だ
それに風も多少あったみたいで、
かなり酷い状態だ
やはり3月末に剪定すべきだ
去年もそう思ったが実行できなかった

今日は木登り剪定の日だ
木登り成功
シイⅢ
年とともに身軽になる?
クスノキ中は小手調べ
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今日の写真を撮らせてくれたネコ
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多分この鉄道が通る前からあったのだろう
向こう側にもがある
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。
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特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

青いレモン 番外編 95 披露宴 帰国の挨拶 一級建築士 
なぜ、就職するまでで宇都宮大学に就職するまでではないかというと、一つは、場所が変わってないこと、もう一つは、それに関連して、自覚が足らず、なんとなく学生の続きをやっていたような気もするからで、やはり一つの区切りは宇都宮大学に勤めることになったときだと思う。
オープンの航空券の期限が切れる前の日に帰国し、翌日、親が用意してくれた日本橋クラブでの披露宴に出席する。ほとんど全て親が用意してくれたので、出席したとしか書きようがないが、本人がいないのに両家ともお呼びした方に過不足なかったことに驚かれていた方がいた。特に山岳部の顧問をやられていた荒井先生は、後になって何回か口に出して感心されていた。親戚の中には、もっと形式に則った披露宴を行うべきだったと不満顔の方もおられた。意外であったのは、小さいときから、厳しく恐いと思っていた大叔母が凄く悦んで下さったのは望外の喜びであった。
イランにいる間、時間が余ると、我が家の2階をどう改造するかスケッチを描いて楽しんでいた。その多くの案は、外に螺旋階段を付け直接2階に上がれる案であったが、帰ってみると既に2階は改修されていた。おやじは悦んでもらえると思っていたのに、不満な顔をする息子に一寸がっかりしたようだったが、そこが我々の新居になった。
披露宴が終わってから、清家先生ほかお世話になった方々のところをご挨拶に回ったり、復学の手続きをしたで見る間に日が経っていった。一通り後始末を済ませて落ち着いたころ、一日遅れで、一級建築士の試験の申し込みが間に合わないことが分かった。結局、受験は次の年に持ち越されたが、講習会に行った同級生の使ったテキストなどをもらい受け次の年受験。現在と違い、そんなに難しいものではなく誰もが合格していた時代で特に感慨も湧かなかった。

180404

相変わらずの春らしい天気
杉花粉ももの凄い

渡良瀬川を越えるとまだの季節だった
道の駅は、
ソメイヨシノもシダレザクラも満開
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黒羽へ、
国の重要文化財になった、茅葺き屋根の大雄寺
最近話題の雲巌寺
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住職の説明を聞く
絵文字の般若心経があった
多羅葉(葉書の木・裏に字が書ける)やハンカチの木があった

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寺の中の木と云う木にに薄緑色の得体の知れない綿くずのような苔?が絡みついていた

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木の幹
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今日の小屋
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を拾って帰る

青いレモン 番外編 94 トルコの旅そして・・・・・
明くる日はトプカピ宮殿を見に行く。そこを出た林の中の道でハシーシーはどうかと怪しい男が寄ってくるが断る。イスタンブールでは売人と警察がぐるになっていて、買うのを確認して暫くすると警察官が寄ってきて捕まえるのだとジェトロのイスタンブールの駐在員の平松氏に聞いたばかりである。麻薬については罪が重たいから大変なことになる。少なくとも暫くは日本に帰れなくなると云うことだ。
夕方の7時半発の長距離バスに乗りイズミールに向かう。またアジア側に戻ってしまったことになる。明くる朝バスの中で目を覚ます。お茶のサービスがある。だんだん明るくなってくる秋枯れの景色はまさにイメージにあるギリシャの世界である。ヨーロッパに来たんだなとじわじわと感動が湧き上がってくる・・・・・・・と少し補ったが、見本市の会場が完成し、数日見本市を見物し、旅に出てからの話は、すでに2016年の年頭から150回にわたり「旅と車と私たち」として連載したものと部分的に重複する。日本出てから約一年の日記を読み直すと確かに多少書き足したいこともあるのだがやめることにして、帰国後、宇都宮大学に就職するまでのことを書き足しておくことにする。

180403

桜もほぼ終わり
暖かくなった
花粉が飛んでこなければ、
春うららなのだが

今年はドウザンに花が付いた
去年はひとつも花が咲かなかったが
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植木屋
道路から高枝鋏と高枝鋸で伸びた枝を剪定
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計画道路沿いに残っていた民家が解体されてしまった
奥に庭があったようだ
店を閉める前
と云っても随分昔のことだが、
文房具屋だった
脇にポストがあり
切手も扱っていた
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今日の花
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青いレモン 番外編 93 イスタンブールで 
バスで友達になったスイス人とパキスタン人と一緒にイスタンブールの鉄道駅に行ってみる。恐らくここから鉄道を使ってギリシャに入ることになる。その後、歩いてアヤソフィアのそばを通り青のモスクを見て、イスタンブールに着き気が大きくなったのかこの日の朝食はパキスタン人のおごり、昼はスイス人のおごり、皆はこれからナイトクラブに行くと云うが、やめてホテルを探す。行き当たりばったりに安ホテルを見つけ荷物を置いて、街の中を散策、ホテルも今のところより良さそうなホテルを教えて貰い明日からの宿泊を予約。朝、タクシムの近くのGezi Hotelにタクシーで行く。トルコはタクシーが安い。地の利もよく気に入る。ここにはトルコに行った3回とも利用させて貰った。ジェトロのオフィッスに行くがまだ日本人の所員は誰もいなかったので、現地採用の女性事務員にタクシーを捕まえてもらい、エジプト大使館に行きビザを貰う。その後イラン大使館にも行きビザを貰う。お金を少し替る。日本人の旅行者と独学で日本語を学ぶ青年に会う。昼食を共にする。日本語を学ぶ青年にいろいろ案内して貰う。独学でこんなに巧くしゃべれるようになるのかと語学の才能のない僕はただただ感心してしまう。
ジェトロに戻り車で黒海の入口まで案内して貰う。途中にカジノがあたりしたが、あまり興味はない。海峡沿いに走るのだが、一階よりも二階三階が飛び出した木造の民家が印象的であった。ホテルで久しぶりにゆっくり風呂に入り豪勢にビフテキを食べる。テヘランのランタンホテルと同じようなクラスである。食事の時ペルシャ人に会う。なんとなく懐かしくファルシーで話す。
明くる朝、イラン大使館で3ヶ月のビザを貰う。結構高い。アヤソフィアと地下の貯水槽を見て昼飯を食いバザールで毛皮のコートと海泡石のパイプを買う。裏がむくむくの毛皮のコートはさんざん選んだのだが、実は女性もので、後で笑われてしまった。海路ギリシャへとも考えたが、巧い便がない。鉄道駅でギリシャに行く汽車が毎日でていることと時間を確認する。ホテルに帰り荷物を置き、夕食は外で食べる。

180402

春らしい陽射し
4月2日(火)晴
風も無い

4月から
荒牧医院に歯科が開業
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道に落ちる
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植木屋 
モッコクと南の垣根 
最後にシイノキⅢ
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道の階段
昔は知らないで車を運転していると
突然階段が現れた
一方通行になり、
危険は減じたが、
ここまでやるか
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坂の下の保育園
仮設施設だというのだけれど
センスが無い
予算が無いといだろうけど
そんな問題では無い
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今日の花
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青いレモン 番外編 92 バスに乗り合わせた人々
バスに乗り合わせた人々は、テヘランからトルコに向かう人達だったが、皆、飛行機に乗ることよりもバスの旅を選択した人々でもある。その理由はいろいろだが、経済的理由が大きいのではないかと思われた。バスの旅を楽しもうという人は多分乗り合わせていなかっただろうと思う。国境を越えられなかったおばさん。何とかなるのではないかと期待していたのではないか。現にパスポートなしでも理由が付けば、パスポートを国境で発行してもらえることもあるわけだ。それらの手続きが済むまでバスはだまって待っている。今回は7時間だが、場合によると出発が明くる日になることもあるようだ。
ドイツに留学する家族連れ、夫婦に娘2人。ドイツ人のおばさんイラン人と結婚したが、耐えられなく娘とドイツに帰国。その小さい娘がもの凄く可愛くて写真を撮らしてもらった。そのほかレストラン経営のおじさんとか、へんてこりんでどこかおかしいドイツ人のおばさん、イラン人の若者、皆一生懸命生きている人達だった。
やがて遠くに海が見え下り坂になりウスクダラの街に着く。今は海峡に橋が架かったが、当時はフェリーで海峡を渡る。海峡を渡ってイスタンブールの街の中心にある広場にバスが止まり解散。


180401

良い天気
午後から風が出てきた、
ついに4月に入ってしまった
今年も1/3が過ぎ去った

モッコクを少し剪る
余り変わってないように見えるが、
右の木と比べると小さくなっているのが分かる
東側の垣根を刈り込む
何故か垣根はあまり伸びていない
マジックトリマーを使用
なかなか使いこなせない
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今日のガスメーター
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■大きいことは良くないことだ 2
規模の大きさにより、大企業が仕事を独占するシステム
大規模開発、大規模建設、フランチャイズ化などなど
さらなるコンピューターの発展により、
個人や、小規模企業が参画できるようになると思われる
そのあたりの転換を目指す人がでても良い

コンビニだから、仕入れをコントロールできる
ならば一般小売店であっても可能であるはずだ
運搬も昔と違って対応できるようになってきている

役所による、入札条件、・・・・・以上の経験がある
などの枠さえ外せば、開発も建設も大手である必要はなくなる
勿論、其れに対する大手の抵抗はかなり強く
既得権の確保に力を注ぐはずである

大きくなり、それに対処する企業も大きくなれば、
自然と富の集中がおき、
そのような大きな企業は政治と結びつく
そして、人々に10パーセントくらいの恵みを与え
あと、90パーセントはさらなる企業の拡大に力を注ぐ

今日の花
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青いレモン 番外編 91 イランよさらば 
朝4時に目が覚め、日本に手紙を書く。朝食を食べ、チェックアウト250Rls。やがて国境に着くイラン時間で10時45分トルコ時間9時15分に時計を直す。草原の中の何もないところだがアララット山間近に見える。ノアの箱舟が漂着したところだという。国境をでたのが夕方の4時15分。実に7時間待ったことに成る。パスポートを持っていない女性が2人いて、1人は夫がトルコにいると云うことで、パスポートを作って貰う。後の1人はトルコに入国できずバスの席が1つ空く。昼のシシリクはなかなか美味しかったが。国境というものがどういうものかと云うことが少し分かったような気がした。夜の10時にエルズルムの街に着く。35LIRA。スイス人と同室で、夕食も一緒に食べるが、なかなかのインテリでトルコは何回か旅したことがあるとのことでいろいろ情報を持っている。トルコのラクという酒を教えて貰った。アラックとも云いぶどうを原料とする蒸留酒で水を加えると非水溶性成分が析出して白濁する。度数は45度以上だという。一寸甘みがあり口当たりはよいが水で割ってもかなり強い。後日、沖縄に行ったときに、ドナンという酒を飲まされたが、与那国島のドナンはかなり度数が高く、やはり水で割ると白濁する。
スイス人にもう一つ教わったのは、トルコでは客がキッチンに勝手に入り料理を選択して注文できると云うことだ。これらは後で、トルコに入ってから名前を知らない食べ物を注文するのに役に立った。パキスタン人とも友達になる。
明くる日もバスの旅は続く、アンカラからイスタンブール近くまで随所に見られる木造の民家が素晴らしかった。丸太を横に張ったものや、1階は丸太で、2階がハーフティンバーのものなど何故かどの家も2階が1階よりも張り出している。やがて人家が多くなるが尾根沿いに道が作られ眺望がよい、波のように続く丘陵をべったし人家が覆っている有り様は壮観である。緑は極めて少なく低層の家並みが地形をそのまま表している。その町並みの所々にモスクのミナーレットが立ちモスクのドーム屋根の上には金色の月と星が飾られている。

プロフィール

konishikonishi

Author:konishikonishi
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