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180331

早3月も終わり
良い天気だ
風も無いがまだちょと寒い

中野の妙正寺川沿いの
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練馬経由で
江古田
一寸飲んで食事して
江古田の変な家の前を通り
始めてのお呼ばれ
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新井薬師経由で帰る
新井薬師の桜は八重桜
右と左で色が違う
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今日の配管
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植木屋
右上の飛び出ているところを飛ばす
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今日の花
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青いレモン 番外編 90 一人旅への出発
何とかバスの出発間に合い、荷物を積み込んで貰った。床下の荷物置き場では足りず屋根の上に荷物が置かれ、シートが被せられる。バスは満員で、隣は30歳を少し超したぐらいのスイス人で、立派な髭を蓄えていた。
土漠を抜けてバスは西へ進み、次第に山がちの景色かわっていったが寝不足のため目蓋が重い。乗客の半分は寝入っている。イラン人だけでなくトルコ人らしい服装の人達もかなりいて、数人ヨーロッパ系の人も数人いる。日本人は僕一人のようだ。
途中で何回かトイレ休憩があり、昼はチェロキャバブを食べる。道に沿って大きな墓地があったのを覚えている。反対側の車線をボンネットに大きなナンバーを付けた車が何台も疾走していく。ラリーをやっているようだ。
暗くなったころ第一日目の宿泊地タブリツに到着する。渓谷沿いの街で、タブリツの中心街なのか外れなのか全く分からない。あまり大きな街には思えなかったが、後で調べるとタブリツは結構大きな都市である。泊まったホテルメトロポールは、安いバス旅の宿泊にしてはなかなか良いホテルであった。
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180330

良い天気だが風が強い
夜中はもっと強かったのだろう
道は落ち葉の絨毯

夕方より
JIA東京連携会議

次第に聳え立ってきた国立競技場
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今日のガスメーター
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青いレモン 番外編 89 事故 現場の帰りに 
ヴァキリーはシトロエン2cvの貨物に乗っていた。二人で、その車に乗ってカスピ海に行ったころからよく運転させて貰った。エンジンもそれほど大きくなく、エンジンのパワーを常にフルに引き出すような状態に保つと運転が実に楽しく、日本で乗っていたワーゲンと同じような感覚で運転できた。現場に行くときも時々借りることがあった。そんなとき、現場の帰りに町外れの交差点を左折した。相互二車線の比較的大きな交差点である。もうすっかり右側交通に慣れたつもりになっていたが、実はそうでなかった直進車を意識せずに左折をし、直進してきたタクシーと衝突してしまった。僕はかすり傷程度で、タクシーの運転手は無傷で、お客も乗せていなかったが、ラジエターが壊れるなど、車はかなり大きなダメージを受けた。シトロエンのエンジンルームは実にメンテナンスに手間が掛かるかが分かったのだが、ファンベルトを取り替えるのにもいくつかの部品を外し大騒ぎしないといけないことが分かった。ましてやラジエターの修理となると、大騒ぎである。時間も掛かり、かなりヴァキリーに迷惑を掛けてしまった。修理自体は保険で何とかなったが、その間車がなく代車を必要としたり、事故後の手続きに時間を割かせてしまった。またその対応を許して下さったジェトロの松下さんにも涙が出るほど感謝している。ヴァキリーはその後も同じように付き合ってくれ、僕たちの結婚を家族ぐるみで祝ってくれた。彼と彼の家族に対して言葉にできないほど感謝しているが、十分に気持ちを伝えられなかったのではないかと悔やまれ続けている。

180329

風も無く、
なんとなく春うらら
しかし花粉の飛び具合はかなりのもの
反応も人様々

シイⅦもだいぶさっぱりした。
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秋海棠が咲き出した
ハナモクレンも咲いている
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中野たてもの応援団
大谷巡りについての打ち合わせ
応援団3月定例

中野の桜が見事
180329-08.jpg 180329-07.jpg 180329-03_20180330103436afd.jpg 近所の桜

180329-05.jpg 180329-06.jpg 中野の交差点の桜のトンネル 会議室の窓から

格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。
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特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

青いレモン 番外編 88 見本市の概要 
開催間際と、開催直後に各国館を見て回る。日本館は単なるブースを並べただけであるがブースにとらわれずに空間を立体的につかって展示しているところも多く、確かに用意する側や、展示場の計画を練る上では楽であったが、物足りなさはあったと思う。
見本市の規模等、概要についてはすっかり忘れてしまったが、日本貿易振興会(ジェトロ)から出された1969年第2回アジア国際見本市 ASIA69 会期:1969年10月5日~24日 参加報告書に詳しい。
この見本市のジェトロ代表の佐々木宏はこの報告書の第1ページ「第2回アジア国際見本市を顧みて」に、その冒頭で、この見本市が雨に悩まされたことを述べている。各国のどのパビリオンも雨を計算に入れてなかったと。出展者は大わらわであったが、イラン人は「雨は繁栄である。」とあまりマイナスに捉えていなかったようだ。この頃のイランの世状がイラクに比べかなりよいとを述べている。
参加国21カ国、国際館に18カ国
日本館は32社で合計88小間
入場者は20日間で1,032,179人であった。この内イラン人以外は約5,000人であった。また、国王王妃の妹殿下夫妻も日本館を訪れロータリーエンジンに興味を持ったと記録にある。

180328

風も無く春らしいよい天気

ちっとだけ植木屋
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何故かコンクリートのテーブル
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夕方からJIAで会議
国立競技場
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新井薬師駅
廃レールの駅舎
この補剛材は分かるが不細工
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青いレモン 番外編 87 丸玉屋 
10月4日見本市会場のプレビューで記者が押し寄せる。10月6日より一般公開が始まる。10月15日、丸玉屋の大久保技師テヘランに到着し我々の宿泊所で一杯やる。19日に花火を打ち上げたようだが、私は10月7日にテヘランを離れ旅に出る。
理科年表によるテヘランの年間雨量をこえる雨が、この年、会期中に降った。
飲むときにはなにがしかの思いが残る訳であるが、この丸玉屋のオヤジと飲んだ時のことは何故か胸をつかんで離さない。火薬というものを扱い、日本の花火を世界に広めてきた。そのために必要となる、輸送、保管、警備など様々な面倒な事務手続きをこなしてきた。いくら見本市で催すためというお墨付きがあっても可成りの量の火薬であることに変わりないから手続きや検査も厳しくなる。米国各地ヨーロッパ各国での花火の打ち上げも行ってきている。そんなことをスマートにこなせそうもない風貌のおやじさんなのだが、現に目の前にいるし既に花火も到着し保管され警備がなされている。
しかし、酒もよく飲むし強い。安全は期していても事故は皆無ではない。何人もの身内や仲間が命を失ったり大けがをしている。作業小屋が吹っ飛んだこともある。でも、観客のことが第一だという。そして、いくら注意しても事故はあるから、その日その日を生きているのだという。一期一会にも繋がるがそれともまた微妙に違う。
次の朝、テヘランを発ってしまったので、花火の打ち上げは見られなかった。オヤジが言うにはこの頃ドイツやアメリカでも花火がなかなか巧く上げられるようになってきたが、丸く広がるあの丸さは日本の花火に絶対かなわない。
最近は間近で打ち上げ花火を見る機会が滅多になくなったが、空に広がる花火を見る度に丸玉屋のオヤジを思い出す。おかげで飲み過ぎ、明くる朝もう少しでイスタンブール行きの長距離バスに乗りそこなうところだった。

180327

春らしい青空
鼻水が垂れなければ真に快適なのだが、

ヒイラギモクセイの芽がまだ出ないうちに刈り込みと思っているが
間に合うか?
前回いつ刈り込んだか覚えていないが余り延びていない

植木屋
随分剪ったが、余り変わってない
180327-02.jpg180326-06.jpg180326-05.jpg

妙正寺川沿いの夜桜
川に張り出した枝が切られてから
迫力が無くなった
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巨大化の弊害
全国各地に散らばるコンビニ
コンピューターを使って売れ筋製品を確認し
仕入管理、在庫管理などを行い便利に買い物ができるようにしている
しかし、平均的な人間でないと使うのに抵抗がある
最近はコピーをとったり、A3をスキャンする以外ほとんど使わない
そうはいっても、
札幌でひとり暮らしをしていたときには
よく使ったし、
便利だった
便利さに流されていた、負けていたともいえる

独立した工務店が減っている
大きな住宅産業の下請けになっているところが多い
また、独立した工務店では、
新築はやらない、リフォームだけだと云うところが多い

バブルの頃、「地上げ」、「地上げ屋」などという言葉を良く聞いたが、
あのときほどでは無いにしろ
土地の集約化、巨大開発・再開発が現在でも各処で見られる
巨大事業は巨大企業で無ければ携われない
それだけのノウハウが必要だということもあるが、
同規模の事業に参画したことが、実績として認められ、
それが無いところは手さえ挙げられない

こうして大企業はますます栄え
小規模事業者はその傘下におさまらざるを得ない状況が作り出されている
確かに、一見よく見える質や、
一見良さそうに見える効率などを考えると
なるほどと思えてしまうところもある訳だが、
話はそう単純ではなさそうである

格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。
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特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

青いレモン 番外編 86 出品者との交際 
展示については、日本から来たジェトロの職員が対応していた。来るはずの建物が届かないとか税関でストップが掛かっているが何とかして欲しいなど建築とは直接関係ない話である。それでも、ブース内で使う電力の不足とか屋根のテントの隙間から漏れる直射日光に対する懸念とか多少あった。県の協議会などによる出展もあるが、大抵は1社単独で1~数ブース出展している訳で、担当者が日本から来ているところもある。近隣に出張所を持つ会社はそこの所員が出張してくる。勿論、現地のエージェントに丸投げのところも少なくない。
商品やパネルなどを並べて、多少現地で調整して、などなどの活動は必要だが、数日で終わる。特に展示に力を入れており、数名できているところは時間をもてあましている。こちらも建設途中と違ってそうやることもなくなっている。誰かが、街の中にボーリング場があることを見つけ出してきた。聞いてみるとテヘランではかなり流行っているらしい。何回かボーリング大会が開催され、普段あまり話さない出展者の方々と話ができた。中に、それほど近いという訳ではないが親戚がいることがわかって、世の中って狭いなと思わされた。小松製作所のスタッフで、ブルドーザーを出展していた。ものが大きく現地での組み立てもあり数名でテヘランに来ていたがそのうちの1人で、ベールートの事務所から来ており、中近東のことに詳しかった。仕事終了後まずは中近東を回るつもりだったので、治安状態、生活習慣、各国の物価、宗教上の注意点など。また、戦争状態にある国もあるが、旅行は可能であると言った様々な貴重な情報を得ることができた。ジェトロのスタッフの中にも中近東の事情に詳しい人がいるのだが、仕事柄目線が違って、ヒッピー旅行にはあまり役に立たない。

180326

風も無くよい天気だ
まさに桜日和?

今日は飯田橋で会議
午前一つ、午後一つ
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タイルカーペット
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植木屋
シイⅥの続きとシイⅦ
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180326-06.jpg>180326-05.jpg

今日のきのこ
余り可愛くない
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今日の花
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青いレモン 番外編 85 展示 出展者との打ち合わせ 
会期が近づくと展示物が現地に続々と届き、出展する会社の担当者が現場に顔を出すようになる勿論テヘランに出張所を持つ会社の多くは現地事務所の人が担当する。
一流の商社、東京芝浦電気、本田技研工業、シチズン商事、日本電気、ヤマハ発動機、日産自動車、小松製作所などの建設業機械・・・・・と40社の他、政府ブース、東京都ブースと多種に及ぶが、既存のブースが決まっており、そこに展示物を日本国内で決めた通りに並べるため、室内展示に関しては問題は生じなかった。屋外展示は自由度が高いため、何処まで許されるかなど多少議論の余地があった。
梱包のままの展示品が次第に姿を現し、説明パネルなどが立ち始め次第に展示会場らしくなる。テントの側面から直射日光が入るのを何とかして欲しいとの要望があり、三角形のテントをベットはることで対処した。

180325

蒼空の広がる静かな良い天気
今日は一寸送れてお彼岸のお参り
日曜日が一番道路が空いていて良い
ところが今日はが見頃なのか何処も車がいっぱい

カナメの葉っぱ
この時期に真っ赤になって落ちる
なかなか良いものだ
最近は新芽が赤く芽吹く赤芽のカナメがもてはやされるが
ちらちらっと真っ赤な葉を覗か散っていく普通のカナメが好きだ
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尾張屋さんの墓
今日廻った4つのお寺のうちの一つ
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今日のガスメータ
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今日の花
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青いレモン 番外編 84 バハニアンと鱒釣り 羊のチーズ 
金曜日の早朝、現場監督のバハニアンが車で迎えにきた。イスラム教国のイランの休日は金曜日である。前からの誘いで、山に虹鱒釣りに行くことになっていた。
食品店によって飯の材料を買う、と云ってもおかずは現地調達ができるはずと云うことで、パンと野菜少々、蜂蜜と山羊のチーズ。まずは朝食で、車を山に向かい走らせながら、パンに蜂蜜を掛けた山羊のチーズと三つ葉に似た雑草みたいな野菜を挟んで簡単なサンドイッチにして食べる。これがなかなか美味しい。目的地に近づいてから餌を買う。日本で云う沙蚕(ゴカイ)のようなものだが、少し違うような気もする。
山といってもエルブルス山脈の南側だからほとんど緑はない。褐色の石の原を川がうねって流れている。川幅は広いところもあり、狭いところもあるのだが、だいたい十数メートルと云ったところだ。基地を決め荷物を置いて、用意をする。釣り道具は全てバハニアンからの借り物である。釣りの餌を売っているところがあるくらいだから釣りをする人も少なくないはずであるが、この日、我々はこの川の河原を数キロ上下しながら釣ったが、誰にも会わなかった。
虹鱒釣りは初めてだったので要領を説明してもらい始めは同じ場所で一緒に釣る。始めの10分ぐらいは何も掛からなかったので少し場所を移動する。日本の川と違って、日影もなければ、淵らしいところもない水は澄んでいる。こんなところに魚がいるのかしらと一寸心配になったところで、バハニアンが一匹釣り上げ、続いてこちらも一匹釣り上げる。後はそれぞれ移動しながら釣り続ける。朝から夕方近くまで、釣り続けてかなりの収穫があった。餌がなくなり最後の30分ぐらいバハニアンはルアーを使って釣っていたが、生き餌ほどはつれなかったようだ。一匹一匹は20㎝から25㎝ぐらいと小さいのだが2人合わせて50匹近くとれたような気がする。僕の収穫はそのうちの三分の一。
昼は、朝同様に簡単に済ませたが夕飯は虹鱒を飽きるほど食べた。日本のものと全く同じような形をしたアルミの弁当箱に油を入れ、ラジュウスで唐揚げにし、塩胡椒で食べるこれが実に美味い。薄暗くなるまで虹鱒を堪能し帰宅する。


180324

青空の良い天気だ
桜は一気に満開になるだろう
いまだに冬の格好をしているが
やはり春かなとも思う

植木屋
今日はシイⅥとカキ北
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180324-02.jpg 180324-03.jpg 180324-04.jpg シイⅥ (モチ・マテバシイ・シイ)

今日のガスメーター
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今日はここまで
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青いレモン 番外編 83 建設現場 設計監理 現場への往復
テヘランの街は緩やかな南傾斜になっており、一番南に旧市街があり、そのすぐ上に官庁街がある。上に上がるに従って、小綺麗になる。小綺麗な街の中央を東西に横切る道路が走っており、そのすぐ上にジェトロの事務所がある。この東西に横切る道路を西に行くとテヘラン大学があり、その先に大きなロータリーがある。更に西に行くとテヘラン空港がある。街を抜けて北に登っていくとシュミランという避暑地があるが、今では街と避暑地はほとんど繋がってしまっている。それでも私がいた当時まだ間に人家が無い地域があり、アジア国際見本市の会場もそこに位置していた。見本市の会場の西側にはゴルフ場が建設中であった。街のどこからも北にそびえるエルブルス山脈が見え、テヘランに着いた当時はまだ雪を被っていたが、夏には緑のない褐色の山々になってしまった。その山々の中で、ひときわ目に付くのが、ダマ-バンド山でかなり遅くまで雪があった。イラン在住の日本人にはテヘラン富士とかイラン富士とか呼ばれていたが、標高は5670mで富士山よりも高い。テヘラン自体の標高が高いから、あまり高い山には感じられない。
 ダマ-バンド山
事務所から現場まで、車だと20分から30分だが、バスを利用すると小一時間かかる。バス停は表通りにしかないからそこから歩くほかない。会場の敷地は、表通りから5~600m西に入ったところで、その間、緩やかな起伏があるものの建築物はないもない。
西に向かうアスファルト道路がゆるい丘を越えるところがあり、先方から車が丁度その頂部に来ると車体の下から向こう側の空が見え、夕方には車の底から夕日が射す不思議な光景が見られた。
現場の打ち合わせは、当初、立ち話で始められたが、煉瓦を重ね、椅子がわりに座るようになる。やがてテントが持ち込まれ、椅子と机も用意され、煉瓦の壁が立ち上がるとその中の小さな部屋が現場事務所になった。施工会社の社長のアフタンドリアンと現場監督のバハニアンの間にもう1人アルメニア人の工事部長がいてこういったことの世話を焼いていたが、工事のことにはあまり関わらなかったので印象が薄い。
現場の進捗状況を一通り見て、バハニアンの他、設備関係者などとの打ち合わせをし、ジェトロに帰り難波氏に送る報告書を書く毎日が続いた。

180323

雨は降っていないが
青空はでていない
花曇りか
まだまだ寒い
花冷えか

餌台に今日は鳩が
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公園を潰して保育園に
安易すぎる
もっと活用できる場所があるのではないか
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今日は中野で一つ、
高円寺で一つ
会議あり・・・・・・と云うことで植木屋が思うように捗らない

それでも合間に少々
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高円寺の豊味苑の戦略会議には珍客が
それから先生も
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今日の花
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青いレモン 番外編 82 女性事務員達 おっさん 
会期中のインフォーメーションやアテンダントに雇われた女性事務員達は会期前の準備をジェトロの事務所で行っていたが、会期間際になり、ほぼできあがった見本市会場で仕事するようになった。ブースも完成し、展示品も既に会場には運び込まれた。インフォーメイションデスクに座っている写真が残っている。会期前は二人、、寸前から数名に増えたが、よく覚えていない。
写真: ヴァキリーとアテンダント 会場にて
会期が始まると同時に私の役目は終わりになったためテヘランから失礼したので、彼女たちの働く姿を見られなかったのが残念である。
また、会場に展示品が運び込まれるようになると、当然盗難が問題になる。工事中のガードマンが継続して任に当たることになった。現場での服装から、背広に替えて、会場に立つ。日頃おっさんと呼んでいたガードマンも髭もありなかなか立派に見える。まさに馬子にも衣装である。

180322

明け方には雨が上がったようだ
しかし空はどんよりしている
夕方になってやっと太陽が顔を出す

四季のまちの桜はもう色付いている
今日は中野セントラルパークサウスのB1コンベンションホールで、
中野駅周辺まちづくりフォーラム
1万人アリーナありきの話に終始
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今日のコーナーガード
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今日のガスメーター
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今日の夕焼け空
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今日の花
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青いレモン 番外編 81 アフタンドリアンとバハニアン
建設会社の社長のアフタンドリアン、現場監督のバハニアン共にアルメニア人である。言葉は「こんにちは」にあたる「インヴェス・イエク」だけ覚えているが、ほとんど子音で構成され日本人には極めて発音しにくい。昔、「灰とダイヤモンド」という映画があったが、それと同じような印象である?
アフタンドリアンはほとんど英語をしゃべらないが、バハニアンは英国大使館の仕事をしたことがあると言うことでかなりしゃべれるし、専門的な知識もかなりあり専門用語をよく知っている。一杯飲み屋のカウンターでヨーグルトをスプーンですくって口に放り込み小さなグラスに次がれたウォッカを一気に流し込む飲み方を教わったのもバハニアンからである。誠実で、親身になって工事を監督してくれた。彼がいなければ、日本館も上手く問題なく完成しなかったのではないかと思う。
それでも現場での事故が一回だけあった。イランの一般的に使われる電圧は220Vで日本の100Vと違って感電が怖い。日本館の煉瓦の外壁の足元に菊の花を植え壁面に高さ1m位のアラビヤ文字でジャパンと金属文字を浮かして付けた。裏側に電気を入れ、夜間文字が浮き出すようにした。配線の絶縁が十分でなかったのか?足元に散水していた展示会場の従業員が感電し倒れた。いろいろ検討したが、この電気は付けないことで締めくくられた。

 裏に照明の入るはずであった文字盤
 会期数日前 名黒カイロ所長の視察

180321

6時頃はまだ雨が降っていなかったが、
次第にパラパラと降り出す
昼頃にはに変わり
少し積もる
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餌台に鳥がきている
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大きなアカミミガメ2匹
冬眠せずに水の中で寒そうにしている
うちのカメはとっくに冬眠しているのに
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日銀洗心寮の前の道
向こう側で新しい建売
工事している
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今日の花
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青いレモン 番外編 80 水盛り遣り方
日本は木の文化、イランは何だろう?行ってみるまでは砂の文化と思っていたが、イランの砂漠はエジプトの砂漠から我々日本人がこれが砂漠だと思っているイメージと掛け離れている。言ってみれば、土漠なのだ。従ってイランの文化は砂ではなしに土だと言っても良いかも知れない。そう思ってみると確かにそういうところもある。
土で建物を作ろうとすると、中国のヤオトンとかハンチクが思い浮かぶが、煉瓦も土の文化のそのものである。
日本館の建設が始まってすぐに、敷地の測量や水盛り遣り方が行われた。日本だったらまず水杭を打ち込み水貫を打ち付け水糸を張る。高さを出すのに今では使われないがかつては水盛盤を使ったらしいがもう私の時代はレベルであった。
ところがイランでは水杭の代わりに煉瓦を一枚角で積みその頂部にモルタルを塗り鏝で平らにする。その表面に墨をつける。高さの方はその煉瓦の角柱を一定間隔で立て、そこに角パイプを渡し、水準器を乗せて、高さを調整しモルタルの厚みで水平を出す。乾燥しているから、モルタルは短時間で乾く。日本館の場合、その作業を一辺で50回以上繰り返した。高低差も1メートルを超えていたので、短柱が見事に並んだ。最後に心配になりレベルで測ってもらったところ誤差は意外と少なく数ミリ程度であった。
木が少なく貴重である。地面が固く杭を打ちにくい。などということもあるが、やはり煉瓦の国、土の文化の国であると言うことが実感された。




180320

朝から雨
折角時間が取れるのに植木屋休業
と、思っていたが雨が止んだので一仕事
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いつの間にか3月も三分の二が過ぎようとしている

今日のポスト
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ネコ
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中野の新旧民家
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今日の路地
大和町にて
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今日の階段
昇った先には公園の大銀杏が枝を広げる
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刑務所の資料
東シドニー技術専門学校 
以前はダーリング・ハーストと云う有名な刑務所だった
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今日の花
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青いレモン 番外編 79 マシンブリックとコモンブリック 床の造り方
難波さんとイランに着いて、まず行ったのはコアーキテクト探しであったがどうも費用が高すぎる。と云うことで、直接監理をすることになった。難波さんに大変だが何とかやるように言い含められる。しかたないので次の段階として、施工会社を探す。文献を調査して、何社か選んび、入札を行った。それでも多少予算オーバーだと言うことで、設計の方も無理のないところで、工夫することになった。
煉瓦の壁は一枚半積みで厚さは変えられないが、表は煉瓦色した煉瓦を用い、内側は褐色の煉瓦を用いることにした。煉瓦色をした煉瓦はマシンブリックと呼ばれ、文字通り煉瓦色をしていて、平の部分に丸い穴が十幾つかあいている。かどがピン角で精度もよい。砂漠の色をした煉瓦はコモンブリックと呼ばれ、木枠を使った手作りらしい。角も甘く、色が砂漠色(正確には土漠色)をしているのは焼成温度が低いためだと思われる。
床の材料の選択も費用に大きく反映してくる。テヘランではテラゾーブロックはもっともポピュラーな床材らしく種類も多い。種石が細かく白っぽいものが安く色の濃いもは比較的高い。始めから床は明る釧路っぽいものをイメージしてイットから問題はなく、値段も安いと言うことでほっとした。
これは平屋の日本館と関係ないが、2階以上の床の造り方は、大変面白い。当時、のごく一般的な床の造り方は、まず鉄筋を組み、したから支えを受けて、コの字型というかU字型というか煉瓦色した薄い焼き物のカバーを下から上に向かって並べその中にコンクリートを流すと小梁ができる。小梁間に下から見るとほとんどそれと分からないほどのゆるいアーチをコモンブリックで掛ける。この造り方が面白い。モルタルの粘着力を使って、小梁の側面に煉瓦を貼り付ける。最初の一列は僅かに下の方のモルタルを厚くすることで傾斜をつけてる。一列が済むとその表面にまた煉瓦を張り付ける。これを続けてゆるい下から見ると曲面になっておらず平面に見えるほどの本等にゆるいアーチを組む。煉瓦の向きは、長手方向に平が側面になるように貼り付けていく。小梁間がゆるいアーチで埋まるとその上にモルタルを流して、平らにすると床ができあがる。後は仕上げ工事だけになる。モルタルの粘着力が利用でき、ゆるいアーチとすることで、下からの支持は要らない。実に上手い方法であるが、小梁の間隔は1m内外で、アーチの頂部と端部では高さが、2~3センチ程度で我々日本人から見ると一寸恐ろしい構造に思えるが、明くる日にはモルタルも十分に乾いているとは思えないその上で職人が作業をしている。


180319

曇り空だが
朝の時点ではまだ雨は降っていない
今日の天気は次第に崩れそうだ

宇都宮
篠原邸
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もう一つの石蔵
カフェ 月・火休業
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田川沿いの廃屋
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田川の水門
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国立栃木医療センター
往き来の間だけでも雨に降られずに済めば良いがと思っていたが、
どうやら傘を使わずに済んだ

宇都宮のガスメータ
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青いレモン 番外編 78 沢田氏、藤田氏、濡木氏 
日本から見本市のための特別要因が3名来る。N氏が一人で早めに、その後、S氏とF氏が到着。
N氏がチーフである。まず、俺はジェトロプロパーだが、松下氏は通産から来ているからいずれ帰る。腰掛けだとばかりに差別する。当時の私は珍しいものを見る様な態度で接していたのではないかと思う。多分官僚的という一言で説明できるのかも知れない。
S氏についてはあまり印象がない。静かな温和しい紳士だった。F氏についてもそれほど印象は強くなっかたのだが、数ヶ月後に私が無銭旅行でギリシャを回って、エジプトにたどり着いた際、カイロの名黒所長のところに見本市終了の挨拶に来たF氏とばったり会い、ルクソールまで御一緒させて頂いたため、泊まったホテルのフェンスに咲き乱れていたジャスミンの香りと重なって想い出の中の一人になっている。F氏は私の自由奔放な旅を心から良い意味でうらやましく思って頂いていたような気がする。
ルクソールからの帰り、名黒さんに一等に乗れと言われていたのにもかかわらずF氏を誘って2等に乗った。確か3等まである。1等も2等もコンバーティブル形式で、座席が決まっている。何が違うかというと車両自体に指定の切符を持っていない人も入れるかどうかが違う。カイロが近くなってくると次第に混んでくる。あと1時間少々となった頃には6座席の個室に10数人が入り込んでしまった。しかも、皆が皆、野菜やその他の食料を入れたカゴなど荷物も持ち込んでくる。魚の入った生臭いカゴや、生きた鶏までいる。勿論、車掌など通路を歩けなくなっているから文句を言いたくとも伝えようもない。F氏はトイレに行きたいのだが動きが取れないトイレの中にも人が詰まっているから例えそこまで行き着けたとしても用は足せない。カイロについてどうやら間に合った後のほっとしたF氏の顔が忘れられない。
N氏はなかなかのやり手で有能なのは分かるが、将来は国会議員秘書希望当時の私にはもっとも理解できない違う人種に思えた。それでいながら、話したり、飲んだり、三人の中でもっとも早くからテヘランに着いたこともあり、郊外の砂漠に遊びに行くなど一番付き合わせてもらったとも言える。ディスプレーに使う名札の数で言い争いはあまり良い想い出とは言えない。
また、彼はなかなかの語学の達人で、私がイラン語を片言しゃべれるようになったのも彼のおかげといえる。現場に行く借り上げた来るもの運転手と片言でしゃべるのだが、1つの単語が、2つになり、それをつなぎ合わせて、何か言う。返ってくる言葉を繋いで更に新しい表現を加える。
その語学の先生でもある運転手と仲良くなったおかげで、テヘランを離れる前の晩、まる玉屋のオヤジと飲み過ぎて寝坊し危うく長距離バスに乗り損なうところを助けてもらう。

180318

良い天気だ
まだ寒いが桜が咲き始めたそうである

ご近所
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このごみの集積場所が今日限りで変わる
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中井の妙正寺川に架かる橋のたもとが満開
彼岸桜か?

国際文化会館
しょうじ会 → あかりの会
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こちらのの蕾はまだ堅い

今日のUFO
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今日の花
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青いレモン 番外編 77 ゴルバハルの家族 
ヴァキリーの家はイランの庶民的な家庭であったような気がする。家に遊びに行くとごく普通の街の中のごく普通の家に住んでいることが分かる。夏には屋上にベッドを出して暑さをしのぐと云った暮らし方である。夏の盛り、夜ビルの屋上から住宅街を望むと、そこいら中の建物のほとんど全ての屋上にベッドが出され、そこで夜風に吹かれて睡眠をとっている姿が見られる。街を歩いていても分からない暮らしの一面でありその様は実に壮観である。
一方、ゴルバハルの家は西洋化したフラットでガラスの多用された明るい建物で、エヤコンも付いている。まだ親の家にいる弟さんのところに行ったことがあるが縦目のベンツが置いてあった。その弟さんのやっている街の中の楽器店のウインドディスプレーを頼まれた。取り扱っている楽器は実に様々な民俗楽器から現代的なものまであり、それが対比して並べられれば良いなと思い、釣り糸でショウウインドーの中に様々な楽器を吊した。勝手が分からず工夫しているうちに何故か施工までやる羽目になった。
ゴルバハルのフラットに飾る絵を描かされることになったがこちらは上手くいかなかった。日本の墨絵のようなものを瞬く間に仕上げることをイメージしていたらしいが、キャンバスと油絵の具の道具が用意されていたことや、打ち合わせが十分でなかったこともあってしびれを切らされてしまった。
しかし、ゴルバハル一家を通してユダヤ人社会を垣間見られたことは大変ありがたいことであったと思う。

180317

良い天気である
北風が少々吹いていて
風に当たると寒い

今日も植木屋
モチ、シナ、マテバシイなど
今日は写真を一枚も撮らなかった
(下の写真は18日朝に撮ったもの)
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まだまだ一月は続く

青いレモン 番外編 76 ヴァキリーの家族 
松下さんは家からお弁当を持って来たり家に帰って食べるので、昼食は毎日のようにヴァキリーと共にした。行くところは数カ所決まっていて、マクドナルドのようなところが多かった。マクドナルドではないし、食べ物も違った。コーラを飲んでピロシキやサンドイッチをよく食べた。サンドイッチに挟まれているものが羊のチーズであったり、羊の脳みそであったり、日本では食べられないものが少なくなかった。コーヒーショップで軽食をとることもあったし、忙しいときや、1人の時は、パン屋でパンを買い事務所で紅茶を飲みながら食べた。ラーメン屋や蕎麦屋はなく食べ物は日本ほどバラエティーに富んでいるとはいえなかったが、似ているものでもロシア系のものやトルコ風のものなど違いがあるらしい。近いのに不思議とインド料理というかカレーは見かけなかった。
だいぶ後のことだが、ヴァキリーが奥さんをもらったと紹介された。正式に結婚したのかどうかは分からないが時々一緒にドライブした。妹さんがいて小さな遊園地に遊びに行った。ローラーコースターなど大きなものは無く、メリーゴーランドやマジックミラールームなどの施設が並んでいた。
休みの日、ヴァキリーが家族とアブアリに連れて行ってくれた。アブアリとは水があるという意味らしいが、勾配のある複雑な地形の疎林の中を川が流れていて、地面には芝生のような草が一面に生えている。川沿いには大きな岩が露出しているが、その上に洗ったカーペットを干している。緑の草原の中に無数のカーペットが彩る様は壮観でありここテヘランの近郊でしか見られないのではないかという。
ここアブアリは有名な行楽地で、この季節の休日は大勢の人が集まってくると言う。何組かが円陣を組んでサッカーボールを蹴り合っているが、誰も選手ではないかと思うほど上手い。その頃日本ではサッカーは、まだ盛んでなく一部の人しか興味がなかった時代であったので、感心してみていた。
所々に小さい掘っ立て古びた木造の小屋のトイレがある。小屋の前にお爺さんかお婆さんがいて、利用者に水の入った口先の長い器を渡す。イランでは紙を使わないで水で洗う。だから水の入った容器を受けとらないと不審がられる。
夕方など車で、街の中を走った。車の中で歌を皆で唄いながら走った。何故か分からないが黒田節が好きで、よく歌わされた。



180316

曇り
南風若干

財務省に要望書を出しに行く予定であったが、
延期
小雨が降り出す

雨の中、それほど濡れそうもないので、植木屋
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消防署通りの解体が進む
椋の保護樹木のあった建物も解体
もっともだいぶ前に椋の木は枯れていたが(右側の写真)
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荒牧医院の入口横に照明器具が付いた
これで外部は完成か
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今日のガスメーター
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今日の花
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青いレモン 番外編 75 ゴルバハル 
見本市の会期も次第に近く成り、ジェトロのオフィスも多忙を極めるようになってきた。現地採用の事務員をもうひとり雇うことになり、面接が行われ、ゴルバハルと云う男性に決まった。
色白で健康的な体格。見るからに真面目そうな顔をしていて、採用が決まってから話をしたが、ユダヤ人だそうで、見た目通り真面目で面白味に欠けるところはあるが言うことが全てまともである。眼鏡を掛けている。髭ものばしていないし円筒形の帽子も被っておらず、普通のサラリーマンの格好をしている。時間は正確だし、レポートなども綺麗に纏めていた。一見もの凄く能力がありそうであるが、あまり融通性があるようには思えない。仕事のことでは何事も適当にそつなくこなし、何とかやってしまうヴァキリーとは全く性格が逆で、ヴァキリーは遊び人だからあまり彼とは付き合わない方が良いと忠告された。その理由もよく分かるのだが、ある意味では、余計なお世話であると感じられた。ヴァキリーは、結構危ないこともやっているのだが、人間味があってイランを出るまで付き合い続けたし、その後も暫く文通が続いた。ゴルバハルとはイランを出て以来全くつながりが切れてしまった。
ゴルバハルとは確か“美しい花”と云った意味だと聞いた。
イランには様々な民族が住み着いていた。ヴァキリーはイラン人だが、イランには様々な民族が住み着いていた。ゴルバハルはユダヤ人。見本市会場の施工会社の経営者はアルメニア人で現場監督もアルメニア人である。当時、日本の評判は国際的に高く、特に私の場合はお互いにあまり利害関係がなかったため、それぞれがそれぞれの悪口をよく聞かされた。特に、アルメニア人と、ユダヤ人はイラン人のことを常に遠回しにけなしていた。

180315

3月も早半分が過ぎ去ろうとしている
良い天気だ

植木屋さん
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夕方から講演会で日比谷
喜田さんの講演会

日比谷公園から
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青いレモン 番外編 74 ヴァキリーとカスピ海へ2
昨日エルブルース山脈を越えた。冬には雪が積もりスキーができるという。スキー場もあると言うが、ヴァキリーはスキーはやらないという。あれは金持ちの遊びで、庶民はしないという。日本ほどポピュラーな遊びではないらしい。
比較的平らな田園を走るとやがてカスピ海が見えてくる。砂浜に波が寄せているが静かなものだ。世界最大の湖で日本の国土面積377,835㎢よりも僅かに小さい374,000㎢であるが水は塩辛い。この湖に接している国は、ロシア連邦、アゼルバイジャン共和国、イラン、トルクメニスタン、カザフスタンである。ロシア平原を縦断し北西岸からヴォルガ川が流れ込んでいる。
暫く、すなはまに座り込んで話をする。海浜の施設などはないもないが、真夏ともなると海水浴客で賑わうそうだ。特に何もないので、帰途につく。また、山越えであるが、来た道よりも少し西側の峠を越える。2CVは快調に走ってくれる。しかし峠を越えたあたりからいくつか行楽地があるらしく道が次第に混んできた。つづら折りの道をのろのろと下る。それでも暗くなる頃にはテヘランの街に帰り着く。

180314

良い天気
風もない
落ち葉も少ない

確定申告を出しに行く
不思議なことにならばずに出せた

植木屋
180314-05.jpg 昨日に引き続いて南側の道路から
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JIA中野地域会定例会議

今日のUFO
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今日の花
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左のツバキは今年一輪のみ おとめツバキはかなり咲きそう

青いレモン 番外編 73 ヴァキリーとカスピ海へ1 
連休のあった日、ヴァキリーが誘ってくれて、一泊泊まりの旅行に出かける。イランの休日は金曜日だから、木金か金土であったと思う。シトロエンの2CVのかまぼこ形の貨物が彼の車である。2人で交代で運転しエルブルス山脈を越えてカスピ海まで足を伸ばす。山脈を越えるまでは、テヘランから見えているその通りの山の景色であったが、峠を越えるとこれがイランかと言うほど目に映るものが一変する。褐色に塗られた大地が緑に変わる。時期的にも日本の梅雨。イランでは田植えの時期である。紺の民族服を赤い紐でくくって帽子を被って田植えをしている。まさに茜だすきに菅の笠そのままである。遠目には日本の情景と言われても分からない。街道の両脇にも緑が増え木陰に涼しそうな茶店が出ている。道端に車を停めて、チャイを飲む。小さなグラスに濃いめの紅茶。味香りともトワイニングのプリンス・オブ・ウエールズに似ている。イランから帰って暫くは紅茶はプリンス・オブ・ウエールズに決めていた。
茶店の紅茶は決まって安い肉厚の小さなグラスで、底一センチか一センチ五ミリ位は砂糖が入れられている。角砂糖をつまんで飲むときも次から次へと5つも6っつも口に入れ紅茶を飲む。本当に甘いものが好きである。
一日走り、やがて暗くなる。よく見えないが見渡す限り何もない背の低い草の生えている草原のようなところで車を止め、車のライトも消して外に出てみる。凄い星空だ。日本で見る星空と全く違う。星がべったりと空を覆っている。日本人が星座を思うとき点々といくつかの星を直線で結びそれを何かの形に連想させる。ここペルシャでも古代エジプトでもそんな連想能力はほとんど必要なかったのではないかと思う。空を埋め尽くす星の姿そのものがそのままサソリであったり熊に見えたりする。更に初めての経験は星が地平線のすぐ上まで見えることだ。我々の上に広がる空は、一方の地平線から反対側の地平線まで、気持ち悪くなるほど星でぎっしりと覆われている。
再び車に乗り予めヴァキリーが予約してくれていた宿に着き、一杯飲みながら夕食。

180313

蒼空が広がる良い天気だ
風もないが花粉は飛んでくる

今日は理事会に出席のため
人形町まで
お昼
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帰って植木屋
今日は外から剪る
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

青いレモン 番外編 72 ヴァキリー 
元々のジェトロテヘランオフィスの構成メンバーは、松下さんと現地採用のクラークのサイディ・ヴァキリーと雑用係のハビ-の3人だ。ヴァキリーは英語を話す。彼の友人のシバ君というのが時々遊びに来たが、東大に留学していたらしく日本語も話すが、英語も上手い。ヴァキリーとシバが英語で早口で話すと聞き取りにくいくらい上手い。松下さんはイラン語を多少しゃべるが重要な用件は松下さんが英語でヴァキリーに伝え彼がが翻訳する。ハビーは日に三四回お茶の時間になると、サモワールでお湯を沸かし紅茶を入れてくれる。イランではサモワ-ルを良く見かけるがロシアが近いせいではないかとおもう。紅茶は硬い角砂糖、角砂糖といっても日本のもののように立方体でなく不整形のものが多い。それを口に放り込んで紅茶を飲む。日本の角砂糖でそれをやったら、角砂糖は一瞬にして崩れてしまうが、イランの角砂糖はほどほどに硬く少しずつ融けてくれる。
ハビーの役目は部屋の掃除、朝の新聞の受け取り、毎日郵便局に行って、私書箱から郵便を受けとり、出す郵便や小包などがあれば、それを出す。無愛想なところはあるが、姿勢が良くもの凄く真面目で、誠実な性格、彼からいやな思いを受けたことはない。ヴァキリーは松下さんの秘書のような役割であるが、通訳でもある。二日酔いで朝遅いこともあるが、そんなときは昨夜は大事な友人と飲んでいた、仕事も大切だが、友人の方がもっと大切なので付き合い今朝は起きられなかっ他というのが彼の正当化であり、言い訳に聞こえるが、イランではそれなりの理由になるのだと言っていた。また、結構、生活習慣にだらしない処もあるのだが、調子もよく物事の理解が早く、仕事をそつなくこなす。ジェトロの仕事を理解していて、スムースに仕事を進めていく上では居なければならない存在になってしまっている。僕にとってもヴァキリーは仕事の付き合い以上のなくてはならない存在になっていた。

180312

良い天気だが
朝方、北風が吹き寒い
昼間はだいぶ暖かくなる
雑用が多い一日

大和町の地域活動センターへ
松木満史展を見に行く
大和町にはいろいろ発見がある
若宮も頑張って見つけよう
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大和町の民家
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計画道路沿いの歯抜けの書店街
頑張れ! 天平食堂、うさぎや、印刷屋
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どぶのある坂
今は水が流れていない
昔はイトミミズが沢山いて、
亀の餌に採っていた
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今日の
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。
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特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
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(マンサク)

青いレモン 番外編 71 現場
この頃、濡木、沢田両氏はジェトロの事務所で、展示会場のアテンダントの募集や、展示出品社とのとの打ち合わせが多く、たいていひとりで現場に足を運んだ。時間が合うとバスを利用したが、南北に通る道真っ直ぐな立派な並木のあるメイン道路の割に本数が少なくタクシーもよく利用した。首都だけあって、結構、流しのタクシーがいて助かった。
現場の方は、日本館も形をなしてきており、テントも張られ、ペンキ工事が始まった。各国のパビリオンの工事もだいぶ進み形をなしてきている。道路では舗装が行われていた。重い黄色い地ならしのローラーが、真っ青な空と褐色のエルブルス山脈を背景に数台並んでゆっくりと動いていている様は、シュールな現実離れをした情景で、いまだに目蓋に残っている。
帰りは表通りまで出て、バスを利用したが、時には現場監督の車に便乗させてもらい、仕事が捗ったときなどピスタッチオをつまみにビールなど引っ掛けて帰った。パーレビ王朝の時代で、街の中何処でもアルコールは飲めたし、酔っ払い運転もそう厳しくなかったようだ。
日本にもある様な壁側の棚にタバコやビスケットなど商品が並ぶ店幅が狭いミニ食品店の立ち飲みのカウンターで羊のヨーグルトを匙ですくって口に入れ、小さいグラスのウォッカを一気に流し込むこれがまたさっぱりとした暑さの中で実にいいものだった。カスピ海を挟んでロシアに接しているため、ウォッカはよく飲まれていたし、キャビアも比較的安く、白い飯にキャビアを載せ、醤油を掛け回して食べる贅沢が楽しめた。

180311

曇り
風もあまりない

昨日は楽しかったな~

中野たてもの応援団
白鷺の茅葺き民家のお掃除会
コア会議

里芋の炊き込みご飯
なかなか美味しい
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床の間部分の詳細調査
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青いレモン 番外編 70 住宅借り上げ ヘンダワネ イエキキロセーザル 
ジェトロから濡木、沢田両名が来て、私一人オフィスで暮らしているのもどうかという意見もあり、3人で独立家屋を一軒借りることにした。松下さんの家の近くでコンクリートブロックにカラーモルタルを吹き付けた塀に囲まれた庇でた陸屋根の平均的なつくりの一軒家で、各自のベッドルームがある。2階建てで庭付きで明るい建物だったが、自分の部屋とダイニングキッチン以外はほとんど何も覚えていない。
濡木氏は、ジェトロプロパーで、通産省から出向の松下さんとは一線を引いている。将来政治家の秘書希望で、やり手でアクが強く今回の見本市のチーフ。会期前に展示用の名札の数のことで激しく論議をしてことが印象に残っている。一方、沢田氏は温和しい紳士。見本市が終わって、ひとり旅をして、カイロに着いたときに沢田氏も報告のためカイロに到着して、名黒さんの手配でルクソールまでの旅を楽しませて頂いたが、それは半年後の話。前の日に次の日の朝食を仕入れておくのだが、飲んで遅くなったりするとそれもままならない。何か食べるものは無いかと思っていると、リヤカーがマイクで声を張り上げながら通っていく。「ヘンダワネ、イエキキロ セーザル・・・・・」スイカが1キロ3リアルだという。当時、1人ある5円程度だったから1キロ15円で安い。呼び止めて買ってきて食べたのだが、やはり水気だけで腹は満たされない。

180310

雨はあがった

新井区民センターで平和の門を考える会による
第1回連続講座
「平和の門」が私たちに教えてくれること
-「海外神社」跡地を素材に- 中島三千男先生
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冒頭で説明する十川さん
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高円寺座
ヤマセン出演の
中津留章仁作演出
「埋没」
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この後、高円寺で飲む
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青いレモン 番外編 69 上棟式
煉瓦は完全に積み上がっていないがだいぶ形をなしてきた。鉄骨とテントが着き、さび止めの塗ってある鉄骨は現場の横の道路に枕木を置き寝かせ、テントはだいたい積み上がった事務所部分のスペースに収納した。鉄骨の基礎は既に完成している。煉瓦が完全に積み終わる前の方が良いと云うことで、鉄骨の建て方を始める。鉄骨の柱を建て、梁を渡し、上部に突出した鉄柱の頂部からワイヤーで、梁の中央部分を引っ張る。
鉄骨が立ち上がったところで、アンドレシアンが上棟式をやるぞと、羊を引っ張って現れた。参加者が全員集まったところで、年配の職人がコーランを唱え、羊の首を切る。流れ出る血を敷地の中に掘った穴に流し血を抜く。それから現場にいる者全員によって羊が裁かれる。驚いたことに全員がナイフを持っている。私もこの旅行中、常にナイフを持って歩いていた。そして、勿論、私もこの儀式に参加する。魚屋、理科の授業で行ったミミズや蛙の解剖、あるいは魚の調理、また子供の時は鶏を絞めて毛をむしり食べられるようにするのを見てきたが、こんな大きな動物を解体するのは初めてである。職人の中に慣れている人がいて、ビニールシートの上処理しにくい足などの毛皮をはぎ、骨、肉、内臓などと手際よく分ける。肉は側に臨時でつくった煉瓦製の炉で鉄串に挿して焼いく。そして全員がその場で食べる。毛皮や内臓は、今回の仕事で大きな働きをした人にアンドレシアンから与えられる。
それらの過程を誰もがごく普通に受け入れている。肉を食べることはその動物の命をもらうことを実感する。スーパーで切ってビニールに包まれた肉を食べるのと違う。動物を殺すのを見ると可哀想だと思う。しかし、肉屋で買う肉を可哀想だとはあまり言わない。命をもらって食するありがたさを知ることは大切なことだと思われる。

180309

朝にはほぼ雨が上がったが
雲が厚く時々パラパラとくる

JIA関東甲信越支部 サミット会議
主として地域会のあり方
また、会員をどうしたら集められるかと云う議論
入るメリットがはっきりしない

中野地域会からは
要望書ひとつ
中野刑務所のこれからについてのお願いをする。

若い建築家は組織としての
人のつながりも大事であるが、
組織での人のつながりよりも
もう少し
身近な方法、あるいは現代的な方法でいけると
思っているのではないか

情報
も必ずしも組織経由では入ってこない

青いレモン 番外編 68 濡木氏と資材の到着 日本人社会
難波さんが日本に帰り、進展があるごとに手紙で報告を送った。勿論、当時はメールなどなく、大きな会社にはテレックスがあったが、FAXもなく、緊急の用事は電話、それ以外は郵便物に頼っていた。
仕事以外の手紙も良く書いた。テレグラムを使い書き込める面全てに細かい字でびっしりと書き込んだ。毎日が過ぎていく。現場の打ち合わせはできるだけ毎日行いついでに他の国のパビリオンの工事を見学させてもらった。掘削、基礎工事、煉瓦工事と進む。煉瓦の積み方と目地割りを指示した。予算の関係でマシンブリックとコモンブリックを使い分けることになり2つの煉瓦の取り合いに苦労したが結構楽しめた。マシンブリックはその名の通り機械により成型され焼かれる煉瓦色の煉瓦で硬い。一方コモンブリックは庶民の家や、塀などの使われる木枠を利用してつくられる煉瓦で焼成温度も低くかなりもろい。建物の外壁にはマシンブリックを使い内部はコモンブリックにペンキ仕上げとした。見切りの位置やペンキの色などを次々に決めていく。
6月20日ジェトロから濡木氏が着き明くる日、松下氏と3人で現場を見に行く。6月の終わりに鉄骨とテントが着く。テヘランにも日本人社会があり、いろいろ付き合いがある。私のようにチョンガで短期の者は良いが家族で滞在しているとお付き合いがいろいろ大変な様である。まして子供がいて、日本人学校に通っているとなると更に複雑になる。イランに来てからの期間とか会社の大小、その会社の中での地位、取引関係などが絡み合い、それが本人以外のお付き合いにも波及する。会って話しているときはにこやかに、相手がいなくなると途端に悪口とまでは言えなくとも批判的な物言いになる。私の場合、ほとんどそういう関係がなかったこともあり、苦情や悪口を、様々な立場におられる方、そのご家族から山のように聞かされた。大切な仕事の取り合いについての不満に始まって、スーパーで何をどのくらい買っていたなど、もう全て忘れてしまったが、あの話を纏めただけで、結構面白い読み物ができたのではないかと思う。
しかし、どうも、外地のことは外地だけの話。と云う鉄則があるらしい。確かにそうしないと息苦しくなってしまう。

180308

朝から雨
暫く雨が続きそうだ

キッチンのカランが新しくなった

雨の時には雨の日にしか撮れない写真を撮ろう
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妙正寺川に新しい橋が架かった
皐橋
すぐ隣に橋があるのに
分からない?
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今日の
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青いレモン 番外編 67 井戸掘り
現場にトイレが必要であり、完成後も使う必要があるのであるが、この見本市会場には下水道がない。イランあるいはテヘランではごく当たり前のことだと云う。ともかくトイレの工事を行った。テヘランのトイレのシステムは、リッチング・ウエルを使う。つまり素掘りの井戸を掘りそれを配水管を使わずに使用する。テヘランの街の中のビルの底にもリッチング・ウエルがつくられそこで、汚物が処理されているという。水分が地中に吸収されるとそれほどの容積はなくとも事足りるという。心配していたが、周囲の現場も皆同じことをやっている。
さて井戸掘り職人が来て井戸を掘り始める。まず丸太三本に滑車が用意する。直径60センチ程度の丸い穴が掘られる。掘っていくと土ばかりではない砂利や大きな石がでてくる。不思議なことに穴の大きさと変わらないような石も出てくるどうやって掘り出しているのだろうか?イランではこういった穴掘りはごく普通に行われているらしい、扇状地など山沿いの水源地から何キロも地下水路を作って生活用水としている。カナートには一定間隔で縦穴が掘られそれを繋ぐことで地下のトンネルが作られる。
そしてトイレの上部構造間完成する。


180307

天気は悪くないが
また寒くなった

高齢者ゆえの免許証更新のための
認知機能検査
久我山の日通教習所
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新宿経由 京王線 明大前乗り換え 久我山で往き
帰りは西荻まで歩く

エキスパンドメタルを二重に使った格子
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マクドナルドの看板
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古い階段があったところが綺麗になった
綺麗すぎるが、
まあいいか
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木瓜もこれだけ咲くと見事
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帰って、
一騒ぎ!何年ぶりかの大騒ぎ
昼を食べて
植木屋さん
風が寒い

今日の花
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青いレモン 番外編 66 現場監理 現場打ち合わせ 現場監督
いよいよ現場が始まる。施工会社はアンドレシアンというアルメニア人の施工会社に決まった。ここも日本と似たシステムを取り、ジェネコンで、業種ごとに契約しなくても済む。現場監督はアヴァニアンと云うこれもアルメニア人のおじさんだったが、おんぼろ車に乗った風采の上がらないおっさんだったが、仕事には精通していて、イランの施工についていろいろ教わった。イギリス大使館の仕事をしたことがあるとかで、英語はなかなか堪能だった。彼との信頼関係がなければ工事はスムースに進まなかったのではないかと思う。
まずは墨出しである。地縄を張って松下さんにお付き合いいただき建物の位置を決める。次に細長い敷地は長手方向に関してかなりの高低差があるのでその確認をしなければならない。レベルを出すのに2メートル位の角パイプを使う。西側の高い方から始める。瓦礫だらけの地面にモルタルを敷き安いタイプの煉瓦を2枚を平におき、その天端をモルタルでならす。そこが基点になる。東に約2メートル行ったところに同じように煉瓦を置きその天端が一つ目の煉瓦と同じ高さになるようにモルタルを置く。暫く進むと煉瓦2枚を平に重ねたの短柱ができ、次第に高くなっていく。勿論、煉瓦を積むときにもモルタを使う。敷地は約100メートルある訳だから50回繰り返した訳だが、約1メートル数十センチの高低差があった。繰り返しが多いから誤差が心配になり、そんなことは不要だというところを押し切ってレベルでも測ってもらった。驚くことに2つのやり方による高低差は実に2,3ミリであった。

180306

雨も上がったようだ
今日も東側の道路で、
先日完成した家の前を4M道路に拡張している
〈生活道路拡幅整備工事〉は昨日始まった。
予定では今月半ばまでとなっているが、
そんなにはかからないだろう?
夕方には終了
縁石にまで勾配が付いている姿はあまり見たことがない
敷地の中まで勾配を強制することになる
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お昼
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植木屋
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今日の夕日
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今日の花
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青いレモン 番外編 65 ホテルランタンを出る ジェトロオフィスの生活 
4月5日-8日のイスファハンとシラズ(ペルセポリス)の旅を終える。11日に難波氏が帰国。あと、日本館の建築に関しては5ヶ月半は何とかやっていかなければならない。
街の中に若葉が繁りだし、心地よい気候となった。ホテルを移って、だいぶ節約になったが、まだまだ高い。ホテルのマネージャーにそれとなく話をすると、今度の休みの日に友達の家を紹介するという。しかし、行ってみると、今で云うシェア-ハウスのようなもので、同居人は昼間から半裸の状態でベットの中で女性と乳繰り合っており、共同の冷蔵庫にはかなり危ないカプセルが冷やされていた。不健全な危険を感じたので丁重に断る。しかし、休みの日ともなるとひとりで出歩くとしても歩いたりバスに乗ったりしていける範囲は限られている。日がな一日、バルコニーからエルブルス山脈を眺めながら日本に手紙を書いていた。
嬉しいことに難波さんから松下さんに口添えをして頂いたおかげで、ジェトロのオフィスの物置を間借りすることになった。そこが夏までの数ヶ月間の私の住まいと言うことになった。スチールのベッドがあって、荷物はトランクひとつ。オフィス街であるから管理人以外住んでない。夜遅く帰ってくると管理人をたたき起こさなければ入れない。文句を言われたがそのうち諦めたのか、チップのせいか愛想が良くなった。夜は外食、朝は前の日に買ったパンやサラダなどを食べる。

180305

天気予報は雨
午前中は何んとか降らず
降り出して来た
風も強い

朝のリンゴ
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振り込め詐欺らしい電話あり

夕方、区役所で打ち合わせ
中野駅北口付近
サンプラザ
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区役所
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総武線・中央線に向かって
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青いレモン 番外編 64 難波さんとイスファハンとシラズ Ⅱ 
イスファハンの中心である王の広場に行く。長方形の広大な中庭の廻りにアーケードがめぐっており周囲に幾つかモスクがある。軸線が大きく振れているのが面白い。アーケードに並ぶ商店を見ながら歩きいくつかのモスクに入る。難波さんに言わせると、インドは石の建築であったが、イランは煉瓦だしその煉瓦も焼成温度が低い。インドに比べると一ランク低いという。それに、ドームや表側の壁、イーワンと呼ばれるアルコーブはタイルが貼られているが、裏側の方は土色の煉瓦がむき出しになっている難波さんの云うこともある程度本当でないかと思った。
前面に四角い池があり木の列柱の立った宮殿を見る。内部に小さなアルコ-ブが無数にあり、内部の仕上げがタイルではなく鏡になっている。万華鏡の中に入ったような楽しさ他ある。2階から建物の裏側の少し離れたところにある刑務所の中が見えだんだら模様の服を着た囚人が行列をくんで歩いていた。
昨日、土漠の中を走っているときに、明るい緑色の砂漠の草が丸まって風に吹かれて転がってきたときに突然に納得いった。それは東京でイランの写真を見たときにイランやアフガニスタンなどこの辺りのモスクのドームが緑がっかった水色の色調のタイルが貼られているが、何故この色なのか疑問に思っていたことに対する答である。バスの中から見る景色や、イスファハンのホテルの窓から見る褐色の町並みは一面に土漠の色をしている。この土の色の中でもっとも映える色は、赤でも、黒でも黄色でも濃いブルーでも無い。この色なのだ。
明くる日、シラズの空港で松下氏とデイト。ペリカンをレンタカーしてペルセポリスを案内して頂く。帰り空港で待たされる。パーラビ王の飛行機待ちと云うことらしい。

180304

良い天気である
それほど寒くない
までのごみ集積場所が3月17日(土)で廃止になる
少し遠くなる
あるいは家の前という選択もあり得る

今日は日曜日だが、
日曜日だという感じがしない
何故だか考えてみるが
分からない

が最後の華を競っている
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苔・苔と梅の花びら
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植木屋
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

青いレモン 番外編 63 難波さんとイスファハンとシラズ  Ⅰ
見積もり調整ができて、契約も終わり一段落し、難波さんは帰国することになる。この間、約一ヶ月いろいろなことを教えてもらった。その後の契約の仕事で具体的に役立つ様々なことの基本はこの一ヶ月に集中して覚え込まされたと云っても良い。
それはそれとして、折角、イランまで来たのだから少しはイランの中を見たらどうだと松下さんに勧められ、イスファハンの街とペルセポリスに行くことになった。往きは長距離バスを利用する。ホテルから歩いて10分ぐらいのバスの発着所に行く。(バス料金は150 Rls)
バスはテヘランの街を出て砂漠(土漠と云った方が正確)の中をひた走る。途中二度ほど休憩し昼食をとる。途中カナダ人のおばさんと友達になりホテルなど紹介してもらう。彼女は高級ホテルに泊まるらしいが、我々はAria Hotel(350 Rls)と云う安宿にした。早速、街の中を見物。有名な橋を見て街の中を歩く。
明くる日、イスファハンで一番高級だといわれているAbbass Hotelの前で馬車に乗って見る。難波さんは結構そんなことが好きみたいだ。シャハンシャーの墓を見ているときに、変な子供と友達になり迷路のようなイスファハンの街を案内してもらい楽しむ。これ以後、見知らぬ街にいったときには子供と友達になるに限ると言うことを知った。子供の案内だと、親も安心するのか家の中に抵抗なく入れてくれるし写真も撮らせてくれる。旅行者を狙ったスリとかかっぱらいも近寄ってこない。そのかわり悪い子供もいるから注意が必要である。バザールで、難波さんは毛皮を2枚も買い込み荷物が一気に増える。僕は更紗に使う木製のスタンプを買った。

180303

良い天気だ
昨日、近所の工事の車が、
木の葉を散らして植木の枝をもいでいった
夕方には今日一日で4件棟を上げてしまった

オヤジの祥月命日
墓参り

帰りにより道をしてから
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月島でもんじゃ焼き 「つくしや」
豪華な具
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陸亀カメの散歩
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再開発中の月島
低層密集地は後ろのようなマンションになる
下にもんじゃ焼きの店が入って、
どんなに美味かろうが、
上手くいくとは思えない
結局、誰かが得をする
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私ではありませんが家内が
雑誌に掲載されています
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青いレモン 番外編 62 革命への下地
当時イランは、パーレビ王朝。恐らく私がいた当時がもっともイランで西洋化が進んだ時期であったのではないかと思う。ファッションは日本でミニスカートが流行る前にミニスカートの女性が闊歩していたし、髪を金髪や栗色に染めた若者が街の中に大勢いた。女性は昔からの習慣で、頭から真っ黒なときには細かい模様のある黒っぽい布を被って町に出てくるが、足元まであるそのチャドルを蹴って歩くと長い足とミニスカートが現れる。それがまた素晴らしい眺めである。チャドルの中から顔は一部しか見えないが、鼻が高く大きな黒い瞳の目に魅せられ皆美人に見えてしまう。チャドルを蹴って歩くミニスカートの女性達、金髪の若い男女、日本より十数年進んでいた。
この様な状況は、恐らく当時といえども広いイスラム圏にあってイランだけであったろうし、ここまで女性が解放されていたのは首都テヘランだけであったのではないかと思う。会期近く成り、ジェトロの事務所でも女性の事務員を雇ったし、後に会場のアテンダントの女性を雇い入れたが、皆、西洋化された現代女性であった。しかし地方へ行くとまだまだ旧習が強く残っていた。この差が、後にホメイニ師による革命を呼び起こしたのだと思う。ジェトロで新しく雇った事務員はトイレに行くとき紙を入れたバックを必ず持って行ったが、かなり現代的感覚を持っていると思われる男性のクラークでも、同国人には厳しく、何、格好つけて!水差しが中にあるだろうと口の中で嫌みを言っていた。

180302

昨日の風で落ち葉が多いと思ったが、
南風だったせいでたいしたことない
春一番だったそうだ
北日本はかなり吹き荒れたらしい

少しだけ植木屋
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荒牧医院
ガラスのドアが付くが、
除くと中はまだ未完成
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イッキン会
かみや
餃子の満州
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青いレモン 番外編 61 コアーキテクト探し
明けて4月11日、日本との時差は5時間。シイナホテルで朝食。その後、早速、松下さんの車でJETROのテヘランオフィスに行く。松下さんの車はオペル。イランには国産車がありペリカンとと云う名前であるが日本人の評判は余り良くない。タクシーはほとんどペリカンで車全体オレンジ色に成られている。
JETROのカイロ事務所から来られた名黒さんにお会いする。清家先生とも面識があるということであった。カイロの事務所がJETROの中近東の拠点である。
契約までの下打ち合わせ。村口さんの紹介のイラン人建築家Mr. Afkamiに会う。できれば、COアーキテクトになったほしいと言うことで打ち合わせするが費用の面で折り合いが付きそうもない。三井物産の事務所に行きテヘランの近況を聞く。松下さんの車で、郊外のKaradinのダムを見に行く。途中、時速100kmで走っていた車を猛スピードでベンツのスポーツカーが追い越していった。夜松下さんに中華をご馳走になる。夜、難波さんと英文の概要書の作成。
13日:JETROのオフィスに行きイランの項目に合わせた見積書の書式をつくる。名黒さん、松下さん、難波さんと見本市の日本館の敷地を見に行く。ゆるい南斜面のテヘランのまちの並木道を北に向かって上っていく町の中心から出て緑が多くなったあたりに見本市会場の敷地が用意されている。雨が少ないためか、街路樹には散水車が水を撒いている。見本市会場は、何も無い荒涼とした灰褐色の石塊の多い敷地で、まばらに雑草が生え、未舗装の道路と各国の会場などの敷地割りが用意されている。日本館の敷地は極めて東西に細長い敷地である。
イランの設計事務所とのつなぎが取れ明日夕方会うことになる。そのための段取りを用意する。シイナホテルは長期滞在には高いので、ペンションを見つけてもらう。月12000RL。それでもまだまだ結構な値段である。夜、松下宅で名黒さん、大使館の方と会食。
明くる日、ランタンホテル(ペンション)に移る。

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konishikonishi

Author:konishikonishi
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