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170430

今日で4月もおしまい
青空のよい天気だ
昨日は北風が強かったのか落ち葉が可成り多い
今日締め切りの原稿
あとは写真のキャプションと
自分のプロフィールだけ

今日は賑やかな朝食

原稿仕上げて昼前に送る

植木の片付け
二袋と一束

が一房咲いた
毎年少ないが、今年は特に少ない
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霧島ツツジ
我が家にもあるが、
弱ってきて今年は花が咲かなかった
もっと陽が当たるようにしなくては
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公園の大銀杏の下に
花なのか若葉なのか
細かなものが一面に落ちていた
知っている方がいたら教えて欲しい
泥濘道の敷物
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看板5
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写真を撮らしてくれた
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今日の収穫を振り回すGちゃん
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今日の花
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170429

少しはやいが五月晴れ
カラスがごみをつついて酷い状態になっていた

今日は浅草木馬座
ヤマセンの劇を何人かで見に行く
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その後、泥鰌で一杯
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地元のおっさん
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170428

晴天
風もない
落ち葉も少ない
蒼空が広がるよい天気

済正院
今日は昌運院様と徳本院様の墓参り
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今日の花
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170427

昨夜は降られずに帰ってきたが
どうやら夜中に降ったらしい
しかし朝にはあがっていた

泥濘除けシート
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緑を失った
枯れた
倒れた
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大きな泰山木のある家
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近隣に気を使った公園の樹木の剪定
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野方・鷺宮の民家
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浸食
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たまにはこういう写真も
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久しぶりになでさせてくれたがいた
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今日の花
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170426

まだ雨は降っていないが下り坂
今月もあとわずか5日

此処で複写170426-02.jpg 170426-01.jpg

今日は中野たてもの応援団の定例会
その後、主要メンバーの一人が、
Uターンのため今後定常的に参加できなくなるので、
お別れ会
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170425

良い天気
微風あり
フランスの選挙どうなるのか

緑の家
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金網プラス石塊のフェンス
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鷺宮の民家
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今日の花
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170424

まあまあの天気
今日中に、
原稿をほとんど終わらすぞ!
ほぼ形になる?

植木の片づけ
結わえて整理するものはあと一息

大谷石蔵の補強
建物に組み込んで補強?
外観にとらわれないならこれも一つの手かもしれない。
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杉並阿佐谷北の庄屋屋敷
通っていた幼稚園の近く
いつもきれいに整備されている
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緑の自転車
何か月放ってあるのだろうか
電動アシストみたいだが
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赤いドアの家
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鳩ポッポ公園
木の根っ子が編まれたような模様
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今日の花
170424-01.jpg 坂の下の八重桜

170423

昨日の雨が嘘のように素晴らしい天気
UFO
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朝から布の虫
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三岸アトリエの床塗装WAX?
塗る前 → ほとんど終わる
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公園の木
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夜の窓
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今日の花
170423-03.jpg 170423-06.jpg 季節の花でもある

170422

昨年秋に修復塾で、
東福寺と曼殊院に行って、
焼き肉を食べて以来の京都

くに荘
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今日はグループに分かれて行動
上賀茂伝統的建造物群保存地区
明神川に架かる橋
東端の見事な大楠
明神川の水を引き入れた社家の庭
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上賀茂神社
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京都駅でお昼
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山崎へ
国宝茶室待庵 と 妙喜庵
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離宮八幡神社で
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聴竹居
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アサヒビール大山崎美術館
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さようなら山崎
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170421

曇り
天気は下り坂
今日の午後は雨か?

京都着
地下鉄烏丸御池からKKRホテル京都くに荘まで歩く
途中、古道具屋、新島襄の旧宅
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ホテルから鴨川が見える
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これから記念撮影
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170420

今日もよい天気だ
割合、涼しい

今日も植木の片づけ
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ガレージ
楽しい絵がかいてある
シャッターにも描けばよいのに
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何か書いてあります
昨日フェイスブックで見たのと同じ
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鹿鳴公園の八重桜
妻飾り カナメの葉が燃えている
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燃えたオートバイナンバーが付いたまま
佐賀ナンバーでした
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今日の花
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黄色い花は香りがよい

170419

今日もよい天気だ
風は少々ある
新緑が美しい季節だ

山の木々がうっすらと色づいてきていた
こんな季節はパステルがよく似合うような気がする

真っ青な空
久しぶりにUFO
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郵便局
民家の妻飾り
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植木の片付け
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枇杷不思議な植物
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小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
本屋では手に入りにくくなっています。
このブログで、FBのコメントで、メールで、住所を書いてお申し込みください。
本代は不要。
勿論一冊で良いのですが、
誰か纏めて10冊ぐらい貰ってくれないかな。

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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
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170418

起きたときには雨が降っていたがすぐに止む

天気は急激によくなる
軽井沢を通って
「一号館」を道路から見る
前の道
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北軽井沢はもう春
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木の根2題
浅間の噴火の時に飛んできた溶岩の石塊が所々に置き忘れられている
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何でしょう?
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帰りの空にもこもこの雲が出ていたが撮り損なう

「今日の花」の代わり
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170417

曇っているが穏やかな朝
しかし天気は下り坂
早めにいろいろ済ませたいが

少し歩いて
送金など済ませる

野方の民家
洗い出しの蔵が付いている
南側を見ると分かるように、家は盛り土の上に建てられている
北側の基礎は高い
中野の水城(みずき)住宅だ(水城住宅は利根川沿いの確か小山市?で見られる)
妙正寺川の増水に備えたものと考えられる。
中野の文化財であってもよいと思う
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この辺りにも廃煉瓦を使った擁壁
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庭木の片付
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自転車三題
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夕方から雨が降り出す

最高裁判所の裁判官もほとんど政権派、
長期でこの様なことを試みている意図は分からないが、
勘ぐれば空恐ろしい
そう思ってみると大きな流れがありそうだ
新聞は何も大切なことは書かない
テレビ番組は芸能人が並べられた席に座って、
くだらないことを言っている
一党支配が脈々と

今日の花
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170416

風のない穏やかな日曜日
おかげで落ち葉も少ない
よい天気だ
朝から来客あり
昨日で植木屋も一区切り
そろそろ後片付け
ということで片隅から後片付けスタート
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アパートの郵便受け
もう人が住んでいないのか
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送電世の下
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花の咲く大和町の細い道
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配送屋の壁 
地図の壁になっている いいね!
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NHKスペシャル
熊本城
400年前の石垣は頑丈だった
ノリの話
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今日の花
170416-02.jpg 我が家の山吹 八重でもないが実はなるよ!

170415

よい天気だが風が強く
道路の落ち葉を掃く先から
ドンドン散ってくる

はや4月も半ば過ぎた。
せわしい4月になりそうだ
我が家のスミレ
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今日も植木屋
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西南の残りの一本のサワラを剪定
ついでに伸びてしまった榎を中ごろできる
チャボヒバも一寸刈り込む
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ガードを潜って北口へ
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今日の花
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文字色

170414

今日もよい天気だ
新聞により第一面の取り上げ方が随分違う
「共謀罪」意見公募せずを第一に取り上げているところもあれば
「新テスト」を第一に取り上げている新聞もある
テレビの番組は面白くないし
何か権力に左右されにくい新しい情報伝達の方法が考案されてもよいのではないか?

みどりの窓口に京都行の切符を買いに行く

八幡神社で
狛犬さんにご挨拶
何時も薄暗い時間だが今日は十分に明るい
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今日の植木屋
まだ少しやり残しているが向こうが透けて見えるようになった
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サクラ
また?そう云わないで下さい!
今年は何故か青空をバックに写していなかった
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171413

昨日は昼間は汗をかくほど暖かく
会議の後食事して帰ってくるときは雨が降り出し寒かった
今日はよい天気だ

新聞は芸能界のことばかり
TVの番組はどうでもよいバラエティーばかり
国民に知らせなければいけないことに目をつぶると云うことは
己の首を絞めていることに気が付かないのだろうか
このままでは
遠からず潰れるだろう
潰れないまでも機能を果たせなくなるだろう

モッコクの剪定
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その後、南西のサワラの枝を飛ばす
もう一日かかりそうだ

Yさんの家の西側の面
大和町の民家
電気が付いている
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四中のサクラはまだ花を保っている
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今日の花
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170412

よい天気だ
しかし昨日の雨で落ち葉が凄かった
新学期が始まってしばらく経つが
この辺りでピカピカの一年生は見かけない
やはり子供が少なくなっているからだろう

図書館に本を返却

ミッドタウン・ウエスト
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写真展(六本木)
フジフイルム・フォトコレクション展
日本の写真史を飾った写真家の「私の一枚」
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JIA文化財修復塾のWEB会議
17:00~19:00
新メンバーも加わる

170411

朝から雨
それも可成り激しく降っている
杉花粉情報によると今日はあまり飛んでないようだが、
いつもより酷いような気がする

昨日の刈り込みで、
肩がだるい

先日のJIA中野地域会の陳情採決を受けて、
区役所との打ち合わせ
行政との連携活動にも詳しい
Mさんにも出席頂く

今後の進展に期待しよう
それにしてもひどい雨
帰り雨の一本道
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特定秘密保護法に基づく「特定秘密」の指定数、
秘密を記した公文書は増えている(東京新聞170411朝)
年々増え続けていくだろう
公文書は、必ず保存し、期間を決めて公開すべきである
また、それを守らないときの処罰も決めておくべきと考えられる

今日の花
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170410

今日は良い天気だ
新聞休刊

予定としては南側の垣根の刈り込み
早く終わればいろいろ
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<早く終わって、イチョウとサワラ終わらせる

秋海棠
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今日の花
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青いレモン 100 170813 170816 170818 170830 170831
とっくにお分かりだと思うが、「幼い頃の想い出は~青~いレモンの味がする」と云う、永六輔作詞、中村八代作曲、デュークエイセスが歌う「おさななじみ」の歌詞からこの短編記録の表題をつけた。
大学を出る頃まで、小学生時代というのは大変に長い時間、人生の大半のように思えていた。多分自分の中に取り込んだ様々な情報が膨大だったのだと思う。しかし、その後そんなことは特に考えなかったが、最近ではそれほど長く感じられなくなってしまった。多分せっかく自分のものに成っていた様々なことが忘却して消えて行ってしまったからなのだと思う。そんなこともあり、まだ覚えているうちに気になることを思い出す限り書いてみようと思った。書いてみて思ったのだが確かに個々の事象は書けるのだが、その一つ一つが自分の心に与えた影響となると全く上手く表現ができない。いらいらする。それでも自分にとっては個々の事象が引っ張り出されるとその周辺もなんとなく思い出されて胸がきゅんとなる。そういう意味では書いてみてよかったと思う。
読み返してみると、思いだしたことをその順序で書いているので、時代は前後するし、内容もあちらに飛びこちらに戻りで、一度述べたことをまた繰り返している。読む方はたまらないと思うのだが、自分のため、あるいは我が家の次の世代のために書いているのだと思えばさして気にならない。
それにしても書いていると、連想ゲームみたいに次から次へと様々なことが思い出されてきて些細なことが、自分の心を動かし、その影響が意外と大きいことなど思い知らされる。一応こんなことを書こうと題を決めて書き出すのだが書いているうちに違ったことに興味が移ってしまったり、書こうと思った内容が意外と広がらなかったりした。それでも、特に題を変えること無く書くことにしたので、題と内容がちぐはぐなところもでてくる。

100回になったので、今回で一応おしまいにする。何か思いついたら適当に追加しようと思う。どういう追加方法が良いのかは今のところ分からない。それから、大学生、院生時代の話も書いてみたいような気もするが、まだいろいろ差し障りがあり書きにくい。とにかくいずれまた日を改めてと云うことになる。


170409

朝から雨
降ってなければマテバシイが終わるのに
雨でも気温は可成り高くなり
新芽が伸び出している
残りはイチョウ、サワラ、ヒノキ、それと垣根
雨が続くと時機を逸する可能性がある
特に垣根は時機を逸すると深く刈れない

特定秘密保護法案、米国のシリア爆撃

日本の社会で求人が増えてきていると云うが、
本当だろうか?
景気が上向いて忙しくなったのではなく、
労働時間の制限が厳しくなった分、
人手を増やさなければならなくなった?
そんなところではないかと思うが

午後から雨も止んで出歩けるようになる
白鷺の茅葺き民家に顔を出す
オーナーが仕事をされていた。

妙正寺川のサクラ
しだれていた枝が切られ風情がなくなった
鷺宮住宅のサクラ
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マテバシイは何とか終わらせることができた
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四中の枝垂れ桜
こちらは夜桜
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Yさんのお宅の隣は跡形なく更地になってしまった
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青いレモン 099 170827 170829 170830
妄想、想像、創造、その他
小学校の頃、庭に池をつくろうと穴を掘り出したり、木の上の家を実現化しようと躍起になったりしたのはまだよい方で、一人乗りか二人乗りか忘れたが、小さい車体から両側に車が張り出した自動車をイメージして、本当に無ければおかしいと思ってしまったり、電気自動車を自分でつくろうと部品を揃えようとしたりした。
息子が十歳ぐらいの頃、庭に穴を掘り出したので、何するのだと云ったら池をつくるのだと。同じようなことを考えるものだと感心した。
闇雲に暫く計画を練るうちに、どれもお小遣い程度ではどうにもならないことが分かってくる。簡易化単純化することで、何とか進めようと思うのだが、旨くゆかず挫折してしまう。ぽんとお金を出してくれる人がいたら上手くいっただろうか?部品自体も空想から生まれたものだったわけだから実現するにはとんでもない費用が掛かったのかも知れない。まあ、木の上の家とか池ぐらいは何とかなったはずである。
家の前の坂道が舗装される前、雨が降って表面が流され、道路の下地材の石ころが部分的に表れていた。その中から水道のこげ茶色に光った鉄管が所々顔を出していた。石ころは径が5~6㎝ある砕石で、すれて傷ついたところが白っぽく見える石だった。水道管は夏には表面が結露していた。
坂を下りていく右側に建っていた住宅は、どれも建て直されて、建て売り住宅や、アパートになってしまった。一番坂の下の家はサワラの垣根の家で、確か秋山さんといわれ他。その上が菊池さんでかな路奥の広い敷地だった。今は建て売りが8軒建っている。特に親しくしていた訳ではないが、顔ぐらいは見知っていたのだが、今は全く分からない。
その頃、犬を飼っている家もあったと思うが、今と違って、あまり散歩に連れ出さないので欲求不満で良く吠えたし、犬とはそういうものだと思っていた。そのほかに野良犬もいた。それほど凶暴性があるわけではないのだが、時々群れをなして徘徊しているのに遭遇するとかなり遠回りをしてしてでもできるだけ近づかずかないようにした。
家を出て、北に進むと小山医院に突き当たる。右に曲がってすぐ左に折れると商店街に出る。今は殆ど住宅になってしまったが、昔は裏寂れていたのは駅から離れた町外れなのでしょうがないとしても、一応商店がなんとなく繋がっていた。
今でも商売はやめてしまったが、看板建築が数軒残り昔を思い出させる。商店街に出てすぐのところに、安田理髪店という、おばさんがやっている床屋があり、ずっとそこで散髪してもらっていたがとにかく床屋は嫌いだった。何でかというと鏡の中に自分の顔を見続けているのがいやなのだ。目をつぶっていると寝てしまいそうになるし、よそ見をすると、両手で、頭の向きをぎゅっと直させられる。ずうっと後になって、本を読みながら散髪してもらえるようになってから、床屋に行くのがだいぶ気が楽になった。やはり切る方としては気になるらしく時々これでいいですかとか、此処はどうしましょうと聞いてくれるのだが、まあどうでも良いと思っているのだから、はいいいですと応えてしまう。張り合いがなかったかも知れない。安田さんがやめて他の人が店に入ってからはいかなくなり、数回別の店に行ったが、その後オフクロに切ってもらいことになった。その頃には刈り上げでなく、長髪になったことが幸いして、それが可能になったのだと思う。オフクロも息子が髪の毛があまり長いのは気になるらしく道具を買ってきたりして協力してくれた。
人口は減ったが、世帯数は寧ろ増えているという。確かに一軒家が建っていたところに数軒の家が建つ。一寸広いと引き込み道路が付いて6~8軒ぐらいになるし、アパートやマンションになると何世帯入っているのかさえ分からなくなる。この変化に応じて緑も少なくなる。自然環境がわるくなり人のつながりが疎遠になるにしたがって、建物や道路が幾ら綺麗になっても住宅地がなんとなく殺伐としてくる。

170408

朝は雨
青山一丁目でおり
東宮御所の前を通り、
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草月会館 
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勅使河原茜 個展 HANA SO
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赤坂見附にでて、紀伊國屋書店によって帰宅

午後からマテバシイの剪定

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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

青いレモン 098 コロボックル 170806 170810 170811 170818 170819 170829
霧ヶ峰車山肩の小屋
コロボックルとはアイヌ語で蕗の下の神様の名前だと教わった。
小屋の主人は手塚宗求さん。おくさんは幸子さん。みんなのマドンナ。お子さんができたのはずっと後になってから。中学一年の冬、串田孫一さんの紹介で、クッチョとヒキ公と五右衛門(主婦の友の石川君)と僕、4人で12月に行ったのが最初。その年の暮れはほとんど雪が無く枯れ草の草原を登ってコロボックルに着いた。所々に残る雪のパッチワークで何とか滑った。池の平のスキー学校に続いて二回目のスキー。
不思議だったのは池の平では制御できなかった全制動回転がやり始めた途端にできるようになっていたことだ。スキーもヨットも車もスピードを完全に制御できることは非常に大切である・・・・・と思っている。
中学の時のスキーはほとんど霧ヶ峰だった。リフトもなくスキーを履いたまま稲妻状に登っては滑った。小屋の主の手塚さんも時々一緒に滑った。背が高くきりっとしていて、目の色がうすく、歯切れ良く滑っているのを見るのは気持ちよかった。暫くして準指を取った。指導員になったのはかなり経ってから。
その頃、真面目にスキーをしようと思うと締め具はラングリーメンで、2m近くある革紐で、スキー靴を板に縛り付けた。簡単の締め具はカンダハ-で余りよく固定できない。靴も今と違って可成り靴の中で足が自由に動き意識しないと前傾姿勢が取れない。だから、前傾!前傾!とか膝を前に出せ!とかよく云われた。
多分、もうスキーもやらないと思う。誘ってくれれば滑っても良いが、スキー場まで行くのが面倒であるが其れは大したことではない。要は仲間がいない。可成り無茶もやり、スキーは三本折ったが不思議と足は折らなかった。
コロボックルには中学の山岳部の合宿の時も行った。あのときは、5月頃だったと思うが、美ヶ原から歩いた。砂糖にラジュース用の石油がまじって、ほとんど全員腹をこわした。合宿とは別に、コロボックルには仲間同士でひとシーズンに3遍ぐらいは出かけていった。朝食を食べてから日がとっぷりと暮れるまで、ネコの額のようなゲレンデで滑っていた。月明かりで滑ったこともある。勿論リフトなどはない。元々運動神経がある方ではないので、やった割には上手くならなかったが、どんなところでも大きなキスリングを背負ったまま降りる自信はあった。臼井が滑る前にスキーを折った話、ワインで二日酔いになった話、手塚さんがネズミを手で捕まえて、次の瞬間ストーブに投げ込んだ話、おならの話、怪談の話。白樺湖までシール代わりに荒縄を持ってツアーに行った話。想い出が一杯詰まっている。
手塚さんは孫一さんに憧れていたのか、ずうっと後になって、ものを良く書いた。何冊か著書も持っている。美人のおくさんは早く亡くなった。山小屋暮らしは何も不便がないけれど、病人がでたときは何でこんなに人里離れて住んでいるのだろうと思うのだそうだ。分かる気がする。
もうあまり行かなくなった頃、肩から少し降りたところに小屋を移した。と云うのもこの肩まで、ドライブ道路ができてしまったからだ。手塚さんは僕よりも年上だったけれども健在だろうか?行ってみた行きもするし、昔のイメージをそのまま胸の中にしまっておきたい気持ちもある。
ふり返ってみると、小学校の時は、ヒキ公。中学校の時はクッチョ無しには全くと云うほど時間が過ぎなかった。ヒキ公はどこかで一年遅れて付き合いが途切れてしまった。クッチョの方は、おやじさんの影響で、高校の山岳部に入らなかったので、山を通しての付き合いが薄らいでしまった。其れに僕が美術部に入らなかったこともあるだろう。それでも、早池峰山に一緒に行ったりしているから、縁遠くなったのは受験が本格的になってからだと思う。

170407

雨が降りそうでもあり、
もう止んだようでもあり、
はっきりしない天気

できれば今日も植木屋
何とか雨も降らずシイノキⅦがほぼ終わる
少しは明るくなったかな
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その後、二月ぶりにイッキン会
しかし4時半からと云うのはやっぱり早すぎる

今日の花
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青いレモン 097 服装・近所 170805 170807 170818 170819 170824
小さいときどんな格好をしていたか覚えていない。何もない時代だったから着られるものは何でも着た。靴下も良く穴があき、オフクロが毎晩繕っていた。継ぎだらけの靴下、今はそんなものを穿いている人は見ない。
小学校に入ってからは、家にいるときや、近所で遊ぶときは別にして、だいたい制服を着ていたような気がする。小学校の時は半ズボン。真冬でも足を出して歩いていたがそれほど寒いとは思わなかった。タケ公の家では、お袋さんが寒そうで、見ていることができないと、股引を穿かせて、その上に黒い長靴下を穿かせていた。
下駄も良くはいた。目が通っていてしかも詰んでいるものが良いとか、一枚に木目が何本入っているからこれは高いぞとか、桐の下駄は軽くてしかも意外と持ちが良いとか、切れた鼻緒の直し方とか、今はおよそ役に立たないことを覚えている。鼻緒が後ろの方で切れても親指で挟んで、少しは歩けるが、前で鼻緒が切れるとどうしようもない。それを防ぐためか鼻緒の前の穴には保護の金属のカバーが打ち付けてあることがあるが、しかし、これがついていると、鼻緒の交換に手間が掛かった。
新しい鼻緒は鼻緒ずれができやすい。手で力を掛けて緩めたり、棒をねじ込んで広げたりいろいろ工夫をした。鼻緒の表面の生地も様々であった。一時ビニールのカバーの付いた鼻緒があった。確かに雨には強いが鼻緒ずれができやすくあまり良い印象はない。中学の頃だったか桐に白い鼻緒の足駄が流行った。何足かはきつぶしたが、最後は一本歯の足駄を作ってもらった。天狗の履き物だが、意外と履き心地が良いし不便なところもない。穿かなくなり捨てられてしまったが、もう一度穿いてみたい気もする。
小さいときから家ではジーパンをはいていた。あまり酷い汚し方をするので、それに合うものをオフクロが探して見つけ出したのがジーパンだったのだろう。米軍の放出品に混じって子供のジーパンもあったが当時一般にはあまり知られていなかったように思う。伯父や伯母にはいつも僕がジーパンを穿いているので、またジーパンかとよくからかわれた。学生服は確か「サージ」という生地で(記憶違いかも知れないが)、恐ろしく丈夫だった。大人になって、いろいろの生地でできたズボンを穿いたが、学生服ほど丈夫でなかった。あの生地で背広も作ればよいのではないかと云って笑われた。
家の前の道の坂を下りると橋がある。その橋の川上側の右岸に養豚所があった。実はあまりブタがいたのは覚えていないがそこが養豚所だとは知っていた。その川上側が、桐の木のある敷地で、何本か桐の木があって、下駄の桐材をサイロ状の高さ4~5メートルの塔、2~3本に積み上げ、乾燥させていた。下駄の衰退とともにその塔はそのまま朽ち果ててしまったか?いつの間にかなくなり、暫く空き地になっていたが、そのうち桐の木も桐材を作っていた家も跡形なく消えてしまった。
更にその南側に妙正寺川の枝川が在ったらしいがこれはもっとずっと昔のことらしく覚えていない。橋を渡って南に更に行くと、今、大きな銀杏の木のある「大和北公園」が在るが、ここの東側の入り口から東西方向の路地が通っていて、この路地の南北にとても当時の建物とは思えない長屋が建っていた。つまり時代劇の裏寂れた宿場町の外れにでもでてきそうな建物なのだ。住んでいる人も可成り時代離れしていたような気がする。よく分からないが養豚、屠殺、部落と結びつく。特に一人の男性は、藁帽子を被り顔に墨を塗り、やたら赤い唇と数本しかない歯が目立っていたが、ぼろを着て可成り使い古した松葉杖をついて仕事をしていた。特に頭に焼き付いて離れないのは、両足の甲から先がなく切れを巻いて草鞋を履いていたことだ。話したことはなかったが不思議と怖くはなかった。子供の頃何年も時々その姿を見かけたがやがていなくなり、閉鎖され、かなり経ってから公園になった。



170406

良い天気だ
風が可成り強い
南風だ

区立図書館から本が届いたと連絡があった

急に暖かくなってきた
一枚薄着して、
暖房もやめた

シイノキⅥシイノキⅦの剪定
剪定前後
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Ⅶの方はもう半日かかりそうだ

早速、区立図書館に取りに行きついでに何冊か借りる
歩いて帰る

SDカードを一枚購入
今日の花
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青いレモン 096 今はない仕事・店 2 170827
子供のころあって今亡くなった職業に、こうもり傘直し、鋳掛け直し、らお屋などがある。ベッコウ飴や飴細工なども少なくなったがお祭りの屋台に残っている。
オネショ(川村さん)の「こうもり傘直し障子襖の張り替え」をもじった「ラッパ管直し処女膜の張り替え」などという戯れ言を思い出す。
鋳掛け直しは使い込んで穴のあいた鍋などの穴をふさいでくれる。一寸傷んだからといって買い換える時代では無かった。勿論500円傘もなかった。らお屋は煙管のヤニ掃除である。一種独特の笛の音を発しながらそれほど大きくない屋台を引いて歩き、掃除して欲しい人が声を掛けて頼む。うちの爺さんは、若いときにタバコを吸っていたらしいが、何か病気をして、酒かタバコをやめろと云われて、タバコをやめたらしい。それでも昔取った杵柄で煙管の話は良くしてくれたし、煙管の火をつなぐのに、火の残っている燃え草を手のひらに落とし、片手でタバコの葉を煙管煮詰め手のひらの火種から火をつないで見せた。街の中でも良くその姿を見かけたがさすがに今はできる人がいなくなってしまった。
江戸時代から昭和の中頃まで、トイレから出る汚穢は肥やしとして循環していた。こどもの頃には牛に引かせて荷車に木製の汚穢樽を運んでいる汚穢やさんがいた。やはり引かせるのは温和しい牛の方が馬よりも良かったのだろう。暴れ出して走り出したらそれこそ大変なことになる。小学校の時友達の一人が、自転車で坂を下りてきて止まりきれずに、この荷車に衝突し、汚穢を被って大変なことになった。そこら中にまだ畑が残っていて、穴を掘って肥料のための汚穢をためていたが、その穴に落ちた間抜けも何人かいる。そのうち汚穢車はバキュームカーに替わっていった。バキュームカーの行き先は、僕の知る限り水道橋とお茶の水の間の神田川基地で、ここからダルマ船に移され、数珠つなぎになって東京湾に捨てられていたと聞く。東京でもバキュームカーは浄化槽になってからも一定間隔で掃除に使われていたから可成り後まで見かけた。宇都宮大学に勤めた最初の住戸がまだくみ取り式で、時々バキュームカーがきてくれたが、身近なバキュームカーはそれが最後である。そういえば「糞尿譚」だったか?映画があった。映画は見なかったが話題になっていた。バキュームカーの時代の話である。

170405

きょうもも晴天
風が強い
JIAの宿題をまず済ませる

午後から植木屋まず、
シイノキⅤをあげて、ザクロを軽く剪定し、シイノキⅥに移る。

デジカメで使っている32GBのSDカードが目一杯に近づいたら、
すぐに、「このカードは使えません」の表示が出るようになってしまった。
(カメラに入れたときだけ、コンピューターとはすぐ繋がる)
最初のころは、入れ直せば済んでいた、何回か入れ直してみるようになり、
多分接触不良だろうと考え、
息を吹き掛けて加湿して蘇生させ、それでもだめだと舐めればよいことが分かったが、
それでもままならなくなってきた。
データーを消せば戻るか?

果物
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
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玄ちゃんバラに玄ちゃんサクラ
サクラは満開

青いレモン 095 今はない仕事・店 1 170804 170805 170824 170825 170826
10年ぐらい前に、JIAの保存のことで川越に行った。その時自転車を借りたのだが、貸し自転車屋は、近郊住民の足である自転車置き場を兼ねていた。小さいとき、通学に自転車置き場にお金を払って自転車を預けた。間口二間ほどのガラスの引き戸のはまったごく普通の店だった。川越の店の間口はもう少し広かったが、雰囲気は似ていて懐かしく思った。
我が家は、可成り最近まで石炭で風呂を焚いていた。一定期間をおいて、石炭やさんがセメント袋のような紙袋に詰まった石炭を運んでくれた。風呂釜に薪を入れて新聞紙で火を付け石炭に着火させる。子供たちもみな風呂釜に火をつけられるようになったころ、うちで石炭使わなくなったら、石炭やさん困るのかなと話していた。石炭やさんの方も家庭で石炭を使うところが無くなり配達が無理になってきた。その都内に一軒残る石炭やさんに車で石炭を買いに行くことになった。石炭やさんと話してみると向こうでも、家庭用の石炭を扱わなくなったら小西さん困るのではないかと話していたそうだ。石炭を焚くにはフロ釜が必要で煙突がでている。炊き続けると煙突にすすが溜まり、火の粉がでるようになりすすも飛ぶようになる。何とか文句は言われなかったが、洗濯物などにすすが飛ぶし、はなはだ近所迷惑である。期間を置いて煙突掃除やさんがきてくれていた。その人も年取られて来られなくなってしまった。道具を買ってきてやってみたが、そこら中真っ黒になりなかなか大変である。近所を歩いているときに、明らかに煙突掃除の道具と分かるものを自転車に積んで走っているのを見かけて、声を掛け来てもらうことにした。数年して、我が家の水回りを改修し、風呂は温泉お風呂にした。煙突やさんのことを心配すると学校などにまだ石炭や石油ストーブやボイラーがあって煙突掃除の需要はあるとのことだった。
風呂釜は巴風呂という会社?当初は背が高く上がり湯が得られるものであったが、いつからか、ただ浴槽をあたためる単純なものに成った。火床の鋳物の簀の子が割れて、巴風呂まで行って購入したことを覚えている。風呂釜は、銅製で空釜を焚くとすぐだめになる。祖父の代の時に一度あったような気がする。
改修前には風呂釜や煙突だけで無く、風呂好きの祖父がつくった大きめのタイルの浴槽にも問題が生じた。タイルの目地は幾ら補修しても水が漏り止まらなくなっていた。風呂桶を洗うと漏りが激しくなり簡単に洗えない。最後の方は水を入れながら石炭で焚いて、勿体ないからと家族まとめて短時間に入っていた。それに浴槽のお湯が少なくなりすぎると空釜を焚くことになる。この頃には既に需要も減り巴風呂の存在も怪しいものに成っていた。しかし、石炭の釜のあの温かさは冬などなにものにも代えがたい。冷えた体で、長く入っていてもお湯の温度が下がらず温泉につかっているように体の芯まで温まった。
最近、白鷺の茅葺き民家で、かき氷のイベントをやっているが、氷屋さんに発注するとホロのかかった軽トラで昔どおりの氷の塊を持ってきて鋸でシャ、シャ、シャと切ってくれる。今や、氷で冷やす冷蔵庫などまず見当たらない。しかしこの氷は、飲み屋などで透明な氷を必要としているかららしいが需要があるという。職業も、ちょっとした違いで、消えていくものも残るものもできてくるようだ。

170404

良い天気だ
昨日の嵐は何だったのだろう
雨が降り出したためにやり残したモチクスノキⅢシイノキⅤの剪定
シイノキⅤは半分終わったかな?
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今日はJIA中野地域会の総会
スマイイル中野で、
四文屋で一杯飲んで帰る

今日の花
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青いレモン 094 子供の頃のおもちゃ 1 170803 170825
何もなかった時代であるが、工夫のあるなかなかのおもちゃがあった。
終戦直後ということもあり、安全な武器のおもちゃは結構子供に受けていた。
山吹鉄砲もそうだ。材料は竹と番線と山吹の芯。竹にだんだらに色が塗ってある。それがまた子供の購買欲をさそう。竹の細いものから太いものまであるが、山吹の芯の太さには限りがあって、そう太くはできない。山吹の芯は白く、たいてい端をピンクと薄緑に染めてある。黄色く染めてあるのもあった様な気がする。何処のお祭りに行っても同じである。
形は、単純の筒状のものから、先に少し太い竹を消音筒のように付けたものなどあり、それが二段三段になったものもある。中には竹細工の三脚の上に載った機関銃を形取ったものまである。竹の筒の中に山吹の芯を切って詰める。柔らかく指でちぎれる。その時空気が良く密閉するようにつばをつける。それをもう一方の鉄心の方で奥まで押し込む。もう一個山吹の芯を入れ、鉄心で少し押し込んでから、勢いよく鉄心を叩き入れると空気銃の原理で、先に押し込んだ山吹の芯がポンといって飛び出し、5~6メートルくらい飛ぶ。単純で安全なおもちゃである。
同じようなもので、針金細工のピストルがあった。ゴム輪を使い針金の輪を飛ばすのであるが、こちらも飛距離はあまりなくまあまあ安全なおもちゃであった。そのピストルのデザインがなかなかであった。少なくとも子供の目にはもの凄くかっこうよく見えた。雑誌「住宅建築」に「おもちゃ箱」の連載をしたときに、挿絵にこの針金細工の鉄砲の絵を描いた。
どちらも一日二日、飛ばして、山吹の芯やはり金の輪がなくなる頃には飽きるのだが、次の年のお祭りにはまた買っている。最近、地元のお祭りに行ってないがまだ山吹鉄砲などあるのかしら?

子供の頃のおもちゃ 2 170803 170804 170825
当時、お祭り以外でも街の中の片隅で、金盥に水を入れ、そのそばで子供相手に商売をしていたものに樟脳船がある。何とよんでいたか覚えていない。色のついたセルロイドの薄板を接着して、何で接着していたのだろうかと今ふと思ったが、よく分からない。大きさ数センチの船で、赤や緑の船体で黒い筒の煙突が立っていたりする。船尾に薄板が貼ってあり指で持ち上げると隙間が開く、そこに樟脳の小片を挟む。水に浮かべると船が勢いよく走る。樟脳が水をはじく力を利用した単純なおもちゃなのだが見ると欲しくなる。家に帰って洗面器に浮かべて走らせる。ただそれだけだから、樟脳がなくなる頃には飽きてしまう。当時はデジカメもないしそんなおもちゃなど写真に撮ることもしないからほとんど完全に忘れられてしまったのではないだろうか。我が家にも残念ながら残っていない。
もう一寸高級な船のおもちゃに「ぽんぽん蒸気」がある。こちらはブリキ細工だが、朧気にしか覚えていない。樟脳の船よりはだいぶ高等なおもちゃである。径が数センチの薄べったい水が入る密閉されて容器が船の上部にあってそこから二本のパイプが水の中に入っている?この容器の下に平べったい容器に入れたロウソクなどを入れあたためるようになっている。暖まると、水は水蒸気になり一方のパイプから押し出される。そしてもう一方のパイプから水が吸い上げられる。この動作が連続して起こるようにブリキの空間ができており、ぽんぽんと音を出して走る。火の加減や水の入れかたなどバランスを取るのが難しくなかなか上手く走り続けてくれないが、それはそれなりに楽しませてくれた。
感心するのは、「樟脳船」も「ぽんぽん蒸気」もそのデザインがもの凄くよかったことだ。無駄なものがなく単純で、それでいて、簡単なものから一寸豪華に見えるものが用意されているなど実に素晴らしいおもちゃである。こういうおもちゃは今の時代にも残っていれよいような気がするのだが。

170403

穏やかな日
まだ寒い

出張所へ保険証を発行してもらいに行く
受付カードがなぜか524
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シイノキⅤを選定の予定だったが、
モチノキが芽を吹きだしたので、
こちらに手を付ける
花が咲いておりちょっと遅かったかなという気がする
あとちょっとで終わるところで、
雨が降り出す
ポツポツと
かたずけ終わると雷雨
危機一髪

今日の花
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我が家の
今年は数が少ない

青いレモン 093 学校の先生 3 高校 170823 170824
高校の先生の中には中学の先生を兼ねる先生も少なくない。また、我々が高校を卒業した年に大学に工学部と文学部ができて、大学の先生に昇格した先生も少なくない(調べれば分かるが)。高校の教師で、すぐに大学教官になれる実力を持っている先生が少なくなかったことは驚異に値する。多少、準備期間が与えられ、希望者そのように用意しておけと知らされてはいたのだとは思うが。
その頃は、卒業すると半数が他大学を受験し、残りが上に進学する。可成り普段の生活にも違いが出るが、我々の年代はクラスでそれが分けられなかったのも素晴らしかった。そしてお互いに認め合っていたように思える。
神谷先生 一年B組担任 漢文の先生 校長になり二年からは担任の役割がなくなる。早くして亡くなる。今も漢文はあるのだろうか。
別枝先生 二年、三年担任 世界史の先生 バイキング史が専門 中央公論の「世界の歴史」のバイキング関係のところを執筆されている。 「蒼き狼」を読めと薦めて下さった先生 独特の風貌、タバコのみ、義眼 早く亡くなられる。 中谷健一の弟子。
荒井先生 E組担任 山岳部の顧問 近代史が専門 (2017.8月現在 ご健在)
香西先生 中村草田男の弟子 時々凄い顔をする 文章の基本的な作り方のプリントをもらう。後々まで役に立つ。先生には息子が二人 弟が谷川の堅炭岩で事故、早世 兄貴の方も、同期だったがもう十年ぐらい前に亡くなる。やたら人の風貌を褒めてくれた。
奥住先生 声が妙に高く独特 息子がステンドグラス職人 
松田先生 ランプ 白髪 単に「マツダランプ」だから
京極先生 公家の血を引く先生 後に信州大学の教官
船越先生 社会の先生 社会経済の基本を丁寧に教えてもらいいまだに役立っている。息子さんが信州大学の理学部生物の先生になったが早世。娘も少し習った?
三浦先生 学生に人気のある数学の先生 中学の数学の先生も兼ねていた。中学の最初の授業のとき他の先生は自己紹介なり、これからの方針、計画と述べるが、三浦先生はいきなり黒板に数式を書き出した。それが印象に残っている。目玉が大きい。
高柳先生 ターザン オリンピック選手の候補になったが出場は成らずその辺りから、やたらえばり出しおかしくなった? 
清水先生 英語の先生 シミパン
畠山先生 先生やめてからもラグビーの公式試合の審判をやられる
羽深先生 あまりよく覚えていない
土方先生 零戦の生き残り 時々空中戦の話が出る グラマンと零戦の空中戦を両手に黒板消しを持って熱演する。
平田先生 蟹(頬骨がやたら張り出し、蟹の甲羅のような風貌) 碁のアマチュアの本因坊 数学の先生
横手先生 英語の先生 ほとんど習った記憶はない
南先生  若い先生 学生にからかわれていた 数学の先生?
吉崎先生 地学の先生 声が野太い(ジー公がまねをする) 頭の禿具合から盆地という
土屋先生 ドロヤ 化学の先生
稲垣先生 歴史・社会の先生
藤井先生 英語の先生 
藤平先生 数学の先生 容貌は覚えているがそのほかはあまり印象がない。真面目な先生
酒井先生 数学 信州大学の出身?雪山の遭難の話。前の日、山から帰らなかった仲間の遭難について、「窓を開けたら山が屏風のように白かった。これはだめだと思った。」との話が妙に印象に残っている。
宮本先生 瓜実顔の眉毛のはっきりした古風な顔の先生。
他にも何人か 思い出したら書き足すことにしたい 

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天気は回復した
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今日は中野たてもの応援団
白鷺民家野点の会がある
晴れてよかった
Sさんが朝顔をのぞかせて行く
朝も探すが剪定鋏が出てこない
神隠しのように見つからない
前も鋸が神隠しにあって数年たって出てきた
後でもう一度探してみよう

昼過ぎにやっと鋏が見つかった
妙正寺川沿いのは0.5分咲きとったいったところか
東京はもう満開のところもあるらしいが
中野はなぜか寒いらしい
遅い
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白鷺民家でにぎやかに大茶会
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裏方も大変
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なんで中野駅なんだろう
でもなかかないい椿
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夕方暗くなるまで植木屋
だいぶ明るくなったでしょう
右の写真は3月28日
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
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シュウカイドウとスミレ
桜は咲かねど春だなあ~

青いレモン 092 学校の先生 2中学校 +170817 170822 170823
中学校の先生の印象はあまり強くない。多分友達も新しくなり、先生と生徒の関係も全く小学校と違ってきたからだと思う。一年の頃は、守永君、若林君、斉藤君と遊んでいた。
岡君も同級で、何が原因か忘れたが、いきなり顔を殴られた。はじめにして最後の経験。
斉藤君は後でお世話になった家庭教師の中根忠夫さんと何か感じが似ていた。一年の終わり頃か?山岳部主催の一般山行があり、参加した。可成り激しい雨で、びしょ濡れになったが、何故かそれが切っ掛けで山岳部に入った。部活にのめり込んで、友達も変わっていった。人生の一つの転機だったような気がする。
寺尾先生:一年C組の時の担任 タコツバキ 英語の先生。大きい声で発音する時つばが飛ぶので、このあだなついた。教壇前の席は被害甚大。
疋田先生:二、三年の担任の先生、テレウマ D組 専門は体育。健康的な先生。学校のスキー教室で夕食後部屋で話(多分なんかの注意かお説教)をしているときに先生のつばが飛んだので、自分の顔を一寸これみえよがしにこすったら、「おまえなんだよ!」と怒られた。体育でラグビーの試合をしていたときスクラムで先生の顔を蹴ってしまった。この時も笑いながら怒られた。
柳井先生:同じ学年の担任 ヤナチビ 山岳部は、ヤナチビに目の敵にされた。中村草田男の娘と串田孫一の息子に随分肩入れをしていたが、確かにそれだけのことはあったと思う。しかし、大学受験が波に乗った頃、ヤナチビに嫌われていた連中がみな学力を上げ、自分の目を疑いだした。それを口に出して云ったのを聞いたとき結構素直なよい先生だと思ったのを覚えている。ヤナチビは何故かヨッチンとは気があったようだ。
保健室の保存: 当時の学長はヤナチビの息子。何だヤナチビの息子だったのか!何も人を介する必要はなかった。
松田先生:同じ学年の担任 学生を理解していると人気があった先生
もう一人、学年の担任の先生がいるはずなのだが思い出せない。稲垣先生か?
南條先生:山岳部の顧問の先生。山行計画やトレーニングなどうるさいことを一切云わず黙々と合宿に参加した下さったが、今から考えると大事なところはしっかり押さえていた。谷川の虹芝寮が長いこと維持されてきたことに対して、踏高会、旧制高校5回生、谷川の一ノ倉の初登坂、南極観測隊の隊長をやられた渡辺兵力さんがナンチャンだからできたのだと言われていたが、全く書の通りだと思う。
加藤久幹先生:美術部の顧問の先生 あまり口をきかない あだ名はキュウカン 
藤浦先生:工芸の先生、立体美術、粘土工芸、木工、刃物の研ぎ方など様々なことを習ったが、もう一歩踏み込んで名工の技などにも触れ教えてもらえたらもっと興味が湧いたのではないかと思う。学校としはそういう人達を育てるところではないと自負していたとは思うが。
和田先生:音楽の女性の先生
小野先生:スポーツマンタイプの先生。生物部の顧問?
窪田先生:数学の先生。あまり習ったことはないが、ナンチャンの後の山岳部の顧問。保健室の南側の宿舎に単身で住まわれていた。ずっと後になって、山岳部の連中が、先生を囲んでで会をしたいと言ったら、他の先生のやっかみを買うから勘弁してくれと断られた。

170401

ついに四月に入ってしまった
年度が替わるという実感は薄いが
正月とはまた違っ気分になる
朝から雨
植木屋休業か?
やり残している雑用をできるだけかたずけよう

昼過ぎに雨あがる
シイノキⅣの剪定
大枝を一本落とす
剪定鋏を落とした
範囲はわかっているのだが、
出てこないまた明日探そう。
それで植木屋は中途半端に終わった。

それにしても文科省はかなりおかしい
天下りもそうだし
小学校、中学校の義務教育、
教科書問題
さらに保育所まで!
天下りも、幼児、小学生の教育改悪を成し遂げるためのさらに上部組織ぐるみの画策に思えてくる

Yさんの家の隣も解体
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今日の花
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青いレモン 091 学校の先生 170731 170818 170822
小学校
我々の時は、1年から6年まで担任は変わらず。次の年から3年ずつになった。南組:星野先生 東組:佐藤先生 西組:伊藤先生で、僕は南組。確か星野先生は一年生の時、26歳始めて担任を受け持った。あとの二人の先生はベテランだった。父兄はこのことにぶつぶつ言っていたが、親がなくとも子は育ち、担任がなくとも子どもは大人になる。いや若い初めて担任を受け持った先生が一生懸命教育した成果かも知れない。誰もそれを検証することはできないだろうが南組はみんな頑張った。今も頑張っている。
体育の亀村先生、運動神経が悪い僕のことは何故かよく覚えていた。卒業後、春の八方尾根黒菱小屋のスキー場で直滑降を二本した時でお会いした。そのあと子供の小学校の受験の時の面接官。僕のことを良く覚えている対応が嬉しかったが・・・・・。
音楽の小島先生、音痴で音楽嫌いの僕とはあまり関係がない先生だった。音感の良い子は、フルートとか、バイオリンとか指導したり、他の先生を紹介したり面倒を見ていた。今思えば同学年の女性で何人かの音楽関係者が出たのは小島先生のおかげかも知れない。英語のはせべ先生、小学校の3,4年から始まった。エスペラント系の特徴のある黄色い小さくて厚い教科書をつかった。説明の絵に特徴があった。なぜかあまり興味を覚えず全然身につかなかった。園芸の田植先生、特にこれといった記憶はないが、なぜか園芸の先生にぴったりの名前と風貌の先生だった。図書の堀内先生、3年か4年になると図書館の利用について教わり、本も読まされた。レファレンスや分類について教わったと思うが、当時はほとんど興味を感じなかった。でも何か分類の基本みたいなものを感じ取ったような気がする。
エッチな香取先生、休講の時などに代わりに顔を出してくれた可成りのお爺さん先生で、女の子のところに行き、やたらランドセルをほめたりべたべたする。小学生なりにそれを批判的なまなざしで見ていた。年配で、創始者の魅力に取りつかれて職についいただけあって、その頃の話は熱がこもっていた。最初に学校にきたときに生徒が他の子の落としたごみを拾う話はなかなか面白かった。滑川先生、はじめから校長先生だったか、途中から成ったか覚えていないが校長先生と云うことだけ覚えている。図画の太田先生、子供たちに描かせようと思っていたものが何かは今にしてみればよくわかる。わかるが当時、絵というより図面と云うか説明図というか、そんのものに興味があった。まだ、戦後間もないころだったから、要塞とか軍艦の図が身近ありそんなものに惹かれていた。先生としてはもっと、ものを見て感動したものをあらわしてほしかったのだと思うが、興味がなぜか違う方向に向かっていた。多分もっと具体的にものを見る見方を自ら実践したり、分かるように切っ掛けをつくってくれたらよかったのにと思う。あるいは、先生は努力をしていて、自分が気が付かなかったのかも知れないが、絵を描かせて、生徒との接触にはあまり時間を割いていなかったような気がする。


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