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170228

ついに2月も今日で終わりだ
2月は毎年早い
今日天気は悪くないが少し寒い

中野たてもの応援団の定例会
スライド会
ポルトガルの話
ポルトガルのコンペイ(食べ損なう)とんがっていない
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ぽん太食堂
此処には珍しい酒がある
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事務局:内野・朝香今日の花
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青いレモン 059 小学校の授業 170713 170721
小学校の授業には、英語 音楽 園芸 体育 家庭科 美術 理科 国語、社会、算数などがあったが、国語、算数、社会は担任の星野先生。音楽は小島先生、園芸は田植え先生、体育は亀村先生、理科は名前が出てこないが「関」の付く一寸お爺さんの木訥な先生(関谷先生かな)、英語ははせべ先生、万国共通語としての英語教育、勿論、体育、園芸は外だが、音楽は別棟の音楽教室、理科は少し離れたところにある理科教室、美術は正門の近くのアトリエ風の教室、家庭科は家庭科館で、そのほかは一般教室だったと思う。音楽教室は二年生で使った吉武先生設計の新しい教室の別棟として建てられたもので、音響効果もなかなか考えられていたようであるが、音痴の私にはあまり関係が無かった。大きく、笛組とハモニカ組に分かれた。私は笛組。笛の方が押さえるところを押さえると同じ音が出そうで、何か僕の感覚に合っていた。もし僕に才能があったら最高の楽器はトロンボーンだったろう。何故かというと、音自体のの高低が連続しているのに音符も楽器もどうして不連続なのか誰も教えてくれなかったから。今でも良く理解していない。美術の授業は好きだったが、その頃、従兄弟に描いてもらった、小さな島の要塞の断面図に凝っていて、子供らしい絵を自由奔放に描いて欲しいと思っていた太田先生の評価はいつも低かった。それでいて、僕は美術の教科書に出ている作品には大変興味を引かれていた。
些細なことだが、私にとっては大切な想い出がある。何の授業か忘れてしまったが星野先生の授業だった。正方形のものをあげろと云うことで、まず大きいもの、みんな手を挙げて、ハンカチ、床のタイルや、柱の断面などでてきた。僕はピラミッドを上から見たところといって、この問題を終わらせた。次に小さいものについては、塩の結晶と答えて、あと誰もそれ以上小さな答えを出せなかった。
園芸の先生が田植え先生というのも偶然かも知れないが覚えやすい名前だと思った。総長邸の南に農場があって、そこで種の蒔き方、苗の植え方、虫の取り方、水ノやり方などを教わったはずであるが、あまり覚えていない。ジャガイモの収穫はなんとなく覚えているが他はあまり印象に残っていない。多分我が家でも同じようにトマトやキュウリやナスを植えて食の足しにしていたからだろう。

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170227

二月もあと二日
まあまあの天気だ
朝方少し風があった

会場を見に行く

その後、伊藤屋
上まで上がってみる。
伊藤屋の歴史を示す社章と立体画
細かいところまでよくできている
この一帯凄い店が並んでいる
伊藤屋は乗り切れるだろうか
私にとっては魅力がなくなってしまった
だからとは云わないが
結構厳しいのではないかと思う
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人工光菜園 隣のレストランで食べられる
ビルからの眺め 
聖路加病院が真東だ
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逆光の東京フォーラム
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大和町で
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小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
本屋では手に入りにくくなっています。
このブログで、FBのコメントで、メールで、住所を書いてお申し込みください。
本代は不要。
勿論一冊で良いのですが、
誰か纏めて10冊ぐらい貰ってくれないかな。

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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
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未だ二月だというのに何故かが咲いていた

青いレモン 058 自転車 170712 170720
中学になると夢中になったのが、自転車、そろそろ26インチの自転車に乗れるようになり丸石の可成りスポ-ティーな自転車を買ってもらって感激したことを覚えている。中央線で四駅離れた中学まで、良く自転車で通った。といっても定期を持って電車通学だが、時々、自転車も使ったという程度である。早稲田通りも青梅街道も車は走っていたが、自転車で走ってもそれほど怖くなかった。その頃仲良かったO君は可成り高級な自転車を持っていて、重量は僕の自転車の半分ぐらい。何でもフレームのパイプが同じ断面で無く端部が厚く中央部分がうすい。接合部の補強が無いからすっきりしている。話を聞かされ凄いと思ったが、何故か身に過ぎたものだと感じたのかうらやましくも欲しくも無かった。
彼の行く自転車やに、自転車用のアセチレンランプが置いてあった。アセチレンランプは昔の(当時の)おまつりの時のランプで、カーバイトと水を化合させて(だったような気がする)発生するアセチレンに火を付ける電源の要らない明るい照明でなかなか洒落ていた。一種独特の臭いがした。見たのは後にも先にもその時だけであったが、あれは欲しかったな。
しばらく経つと遊び友達も変わり、クッチョと自転車改造に明け暮れた。まず、余計なものを全部はぎ取り、ビニールテープを巻いて一色にした。クッチョはシルバー、僕はブラック。そのうちだんだんエスカレートして、ブレーキも邪魔に見えてきた。正式な名前は知らないが、その頃米軍の子供たちの自転車で使っていたブレーキシステム(確かコースターと呼んでいた)に変えた。これはペダルを反転させるとブレーキが掛かるもので、今はその単独使用は禁止されていると聞くがその頃は合法的だった。クッチョはフミキリといってペダルと止めておけないシステムに一時変えたこともあった。これは自転車を止めるにはペダルに力を掛けるので脚力が可成り要る。いろいろいじっていく間に、自転車屋との付き合いが生じいろいろ教わった。前のギアと後ろのギアを歯の枚数を調整して変えればスピードが出るとか、今なら常識のようなことを一つ一つ聞いて実行した。後ろの歯車が普通は18枚ぐらいだったが、15枚のものにした。14枚のものもあるが、それだとコースターと一緒に使えない?正確な数値は忘れてしまいうろ覚えだが、夢中になっていた。高校に進学し暇も無くなり自転車は下駄代わりになってしまった。

170226

二月もあと三日
あっと言う間の一ヶ月
青空の良い天気だ
風はないが結構寒い

中井の川で
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今日はじじばば仕事
女の子なんだなとつくづく感じた。
出雲大社東京分社に三歳のお宮参り
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小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
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特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
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青いレモン 057 旅行 170712 170719
祖父にくっついて箱根や湯河原に旅行した話は書いたが、親父にも何べんか連れて行ってもらった。大部分は会社の慰安旅行や、お付き合いの旅行のついでなのだが、そのほかに、行ったところもある。母も一緒だったから母親が入院する前のことだったと思う。多分、三人で旅行したのはこの時が最初で最後ではないかと思う。夏休みに湯沢に行った。トンボを捕ったり、散歩をしたり、温泉に入ったような気がするが、あまり具体的に覚えていないが、田舎道を3人で歩いた。オヤジとは、もう一回、長野の上林ホテルに泊まった記憶がある。泳げるようになった頃で、ホテルの温泉プールで泳いだが、泊まり客も少なく夜など泳いでいるのは一人二人、底の方が冷たくあまり気持ちよく泳げなかったのを覚えている。この時はおやじと二人きりの旅行だったと思うが、もしかすると会社の誰かが一緒だったかも知れない。そういえば、おやじとおやじの弟の茂の伯父は、将棋を芹沢さんから習っていて、旅行に芹沢さんが一緒だったことがあるような気がする。
酒飲みで遊び好きの芹沢さんが僕のつくった版画のカレンダーに色気が欲しいといっていたので、もう少し後のことかも知れない。芹沢さんは勝負師らしく可成りの大酒飲みで、早くに亡くなってしまった。
日帰りの小旅行では、伊豆(だと思うが定かでない)へミカン狩りに連れて行ってもらったことがある。この時は沢山の社員と一緒だったような気がする。
幾つかの会社の社長でつくるクロノス会、これには随分付き合わされた。温泉・麻雀の慰安旅行だから麻雀をやっている間は特に何もすることが無い。明るいうちはトンボや蝉を捕って過ごすのだが、夕食後は何をしていたか良く覚えていない。まだ、テレビのない時代で、ラジオを聞いていた記憶も無い。温泉入ってさっさと寝ていたのかも知れない。麻雀に夢中になるおとなを見過ぎたせいか麻雀は全くといって良いほどやったことがない。

170225

良い天気だ
少し寒いような気がする
昨日は楽しかったな

今日は宇都宮に行こう
「石の街つつのみや」展、宇都宮美術館に行く。
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天気は最高。
風もなく寒くない。
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展示も良かった。資料も充実。
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蔵や石屋根のことについてもう少し何かあるはず!
と言うのが印象

帰りのバス
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高田の馬場で、
西武新宿線のけち!
でも喧嘩のもとになっていたかも知れない
まあスマートのな処理かなとも思う
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青いレモン 056 小森さんのおばあちゃん 170709 170718
大活躍し小西家を繁栄させた三代目の長男は15才で亡くなり、次男が四代目を継いだが、21才で早世し、小森家から養子に入ったのが祖父である。長女は幼くして亡くなっていたので、次女の婿となり五代目となった。私の小さい頃祖父の妹である小森マキおばあちゃんがよく家に来て泊まっていった。よくおばあちゃんの蒲団にお泊まりに行って、いろんな話を聞かせてもらった。残念ながら話の内容は全く覚えていないが、話し上手でおばあちゃんが来るのが楽しみだった。マキおばあちゃんは猫が好きで幾つかネコのおもちゃをもらった。覚えているのは竹細工の尻尾の長いネコ、もう一つは黒い縫いぐるみのネコで背中にチャックがあって、ものが入れられるようになっていた。この黒猫に鈴が付いていて、箱根の寮に持って行ったときに草原でこの鈴を落としてしまったことにきがついた。その鈴がとても大切なもののように感じられ、その夜はなかなか寝付けなかった。
翌朝、何と言って説明したか具体的に覚えていないが先生を説得して、クラス全員約四十名が手を繋いで広がり、草原を探してもらったが、結局、鈴は見つからなかった。できるだけのことはやったと思うし、たかが鈴と思いながらも協力してくれたみんなにとても感謝した。
あの広大な草原を飛び回った想い出は、私にとって小学校の低学年時代の一つの大切な一場面である。

170224

今日も良い天気だ
昨日、長女一家が到着
皆で集まれるのは久しぶりだな

きた、きた、そろってやってきた
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長い旅でも元気です
でもご飯は食べずにお休みなさい
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青いレモン 055 小学校の遠足と夏の学校 170709 170717
遠足となると天候に左右される。一斉メールでお知らせなどと云うことは勿論できない。中には電話のない家もある。呼び出しで大家さんなどのところに電話して呼び出してもらう。南組には電話のない家はなかったと思う。中には電話を二つ持っている人もいたが。
朝の天候の都合で遠足を中止を伝えることはなかなか難しい。
そこで考えたのが簡単な規則である「6時ポツだめ」というものだ。その時間に雨が一寸でも降っていたら中止というもので、勿論曖昧な場合とか地域差もあるだろうが、6年間年に2度ほどの遠足は支障なく行われた。
ものがない時代である。おやつに差が付くのは望ましくないと考えたのだろう。何が一つに何が3つまでと云うような決められみな守った。夏の学校については一度書いたが、ほとんど学校の寮が使われた。箱根に二つ芦の湖畔の箱根神社の西側のじょうふう台と仙石原、あと千葉の館山の波佐間に寮があった。波佐間の寮は閉鎖されたと聞くが、あとの寮はどうなっているのだろう。箱に湖畔の寮は元々岩崎小彌太の別荘だったところで、我我が行ったときには大きなガラスのは建具がはまった建物が寮より東の方に残っていたがあまり使われている様子はうかがえなかった。岩崎さんの別荘だと聞いたがあまり大きく無く様式建築では無かった。宿泊所と食堂が分かれていて、宿泊所から公道の砂利道を横切って、坂を下りていくと食堂があった。食堂のすぐ下に桟橋があって、そのあたりで泳いだこともある。我々の代は仙石原の寮に宿泊したことはないが、二年上の従兄弟や一年下の従兄弟は、仙石原の寮の印象が強いようだ。芦ノ湖を前に背に駒ヶ岳があり、広大な草原の斜面が広がっている。それぞれの寮のうたがある、「芦の湖畔に夜が更けて・・・・」とか、クマさんがでてきたりする。
じょうふう台の敷地内を先生が先導して歩いて樹木や草花の説明を聞いた。全てといって良いほど忘れてしまったが、これがクロモジで楊子をつくる材料だと教わったのを覚えている。多分祖父が家で、楊子のことをクロモジと云っていたから頭に残ったのだと思う。

170223

朝方、小雨がぱらついていた
快適な旅を願っている

無事到着したようだ
良かった、良かった

裏の家は先週解体することになっていたが、
未だに建っている
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インテリアの会議

小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
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特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
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今日の花
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夜の梅

青いレモン 054 小学校の体育の授業 170708
前にも書いたが、風邪を引くとすぐ、扁桃腺が腫れ高熱を出した。ツベルクリン反応はいつも陽性で、母の結核の影響ではないかとは母随分気に病んでいたようである。医者に言われて、体育の授業は運動着に着替えて、いつも見学。ツベルクリン反応が陰性になり、運動をしてもよいと云われたのは、小学校の4年になってから。やっとみんな一緒に運動ができるようになった。しかし休んでいたせいか、元々の才能のなさか、跳び箱は怖くて跳べない。鉄棒はろくにできない。ドッジボールをすれば、相手の投げる球を受け止められない。それでも小学校を卒業する頃には人並みに跳び箱も跳べるようになった。人並みと云ってもヤナ公などが何段も重ねてみごとな跳躍をして、飛び越えるのは指をくわえてみているだけであった。
風邪の話が出たが、風邪の治療には近くの菅先生に行って薬をもらかあとは吸入器を薬の入った蒸気を喉にあってるか、ルゴールを綿を付けた金属の棒に付けて喉に塗るぐらいしかなかった。このルゴールは喉に塗ると喉について汚れも取れ、結構効き目があった。わざわざ医者に行かなくても塗れるのだが、人がやると怖いのか奥まで入っていかない。結局自分で塗るのが一番いいことが分かった。ルゴールも吸入器もなかなか良いのだが、最近では全く見なくなってしまった。

170222

風は少しあるが良い天気だ
久しぶりにホットサンド

新語を創った
“マスコミマスキング”
マスコミがトランプや金暗殺の大騒ぎニュースで国内の重要なニュースを隠す操作を言う。 マスキング・マスコミ

東大赤門前の画廊“愚怜” に遠見和之 能登仁行和紙展を見に行く
杉皮紙など風合いのある和紙が展示されていた。
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熊谷さん有り難うございます。

お茶の水まで歩く
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あまり感心しない改修
御堀端の柵
確かに安全対策なのだろうが
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本日の花
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青いレモン 053 小学校の女友達 170708 170715
小学校は男女共学であるが、遊んだ入り放課後活動などはほとんど男女別であったような気がする。人数は女性が全体の1/4程度。しかし、時々女の子の家に遊びに行くこともあった。本を読んだり、ゲームをしたり、ただ話したり。そんな中に、家の庭にお稲荷さまが祀ってある家があり、不思議な感じを持ったのを覚えている。中学の1年、その頃までは同じ状態が続く。我が家にも何人か遊びに来た。その頃、美術部に入って油絵を描くようになっていたが、人の描いた絵の上にべたべた塗りだした。私がやるのだから我慢できるはずだという女の傲慢さを初めて見る気がした。それが最後になり、女の子の家に行くことも、女の子が家に来ることも暫くなくなった。その子は高校を出て外人と結婚して、ハワイに住んでいる。
ご主人の仕事の関係で、ヨーロッパに行かれて長い人もいる。女子少人数のクラス構成は学校の方針だったと思うが、何を目的にしていたのだろうか。強い女子の教育だとすればまんざら間違ってもいなかったかも知れない。普通に成績で取るとそうなったとも聞いたことがある、しかし、最近は成績だけで取るとほとんど女子になってしまうと云う。芸大の入試でもそんな話を聞いたことがある。

170221

昨日の雨が嘘のように良い天気だ
風が強い

朝、車の保険申込書送付のため、
ポスト往復

午後、郵便局往復
雑誌購読料の振込他

夕方から東中野の大森事務所で、
JIA中野地域会の定例会議
行き:バス+JR
帰り:大江戸線+西武・・・・・・・と一周してくる

今日は珍しく写真を一枚も撮らなかった
地味な一日?

青いレモン 052 家庭教師 170708 170711
小学校から高校までは一貫教育とまでは行かないまでも推薦でほとんど上がれ、受験勉強は必要なかった。大学も同じ学園の大学へ行くならば、そこそこの成績で上がれた。しかし元々旧制高校であったので、受験をするのが当然という気風があった。旧制高校の頃はほとんどの卒業生が、東大、工大、一橋、京大などの国立大学に進学しており、まだその気風が残っていた。高2の夏休み明けから、受験組と進学組がなんとなく別れたが、我々の学年は特に軋轢も無く仲良く卒業した。医者の息子が多くいて医者や歯医者になるために受験する仲間も多かった。
大学受験ということもあり、今のままの成績ではと親が心配して家庭教師を付けてくれた一人目は、河合三郎というごく普通の大学生。英語を教わった。家庭教師業を真面目にやってくれたが、学力の向上に繋がったかは疑問。次は学習院の中根忠夫さん、高橋さん、塚田遙さん、高橋さんも塚田さんも中根さんと友達だったと思う。中根さんはフランス文学が専門で、受験勉強そっちのけでフランス語を教えてくれた。しかし、一番馬が合って、早池峰山の登山も一緒に二度も同行してもらった。高橋さんはほどほどに勉強も教えてもらったが、覚えているのは競馬のことで、競馬場にも連れて行ってもらった。知らないと云うのは恐ろしいもので、適当に買った馬券が大穴といかないまでも当たって、さてどうすると、当たった分を全部つぎ込んだら、結局オケラになってしまった。しかしそのおかげで、その後、競馬に行っていない。塚田さんが一番真面目に勉強を教えてくれた。ダンディーで、本人ももてることを可成り意識していた。あるときカフスを忘れたのでは走って追いかけて届けたら、大事なカフスだと彼女からもらったようなことをにおわせていた。我が家の前の通りを北に向かって突き当たりの家のお嬢さんが学習院で、可成りの美人。そこの家の前を通り時には一寸表情が変わって、中を気にしていたのを覚えている。

170220

朝のうち良い天気だが崩れそうだ
今日は豊橋まで

目的地で
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豊橋市土橋駅
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豊橋駅
操作場
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豊橋駅前通り
雨が降り出す
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豊橋のジプシーおばさん?
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青いレモン 051 まる 170708 170713
小さいとき、犬が怖かった。犬など怖くないのだと教えたかったのか、柴犬の雑種を飼ってくれた。名前は「まる」簡単な檻をつくり、夜はそこに入れ、昼間は、少し動けるように外へ出して繋いだが、家中誰も犬を飼ったものがいなくて、勝手が分からない。散歩をしなければいけないなどと誰も思っていなかった。それでもよく慣れてよく云うことをきいて可愛い犬だったが、やはり運動不足は欲求不満に繋がったのだろう。特に盛りが付くと外を犬が通るとよく吠え、酷いときは檻の金網にかみつき口の周りを血だらけにしていた。また、時には首輪を外して逃げ出した。一度は、お宅の犬に似た犬にかまれたといわれ、丁度その時逃げ出して家にいなかったので、とにかく平謝りに謝ったこともあった。真犯人(真犯犬)かどうかは分からず仕舞いであった。うちの犬には慣れて可愛がったが、犬が怖いという思いは小学校のうちはなくならなかった。これはその頃まだ近所に限らず放し飼いの犬や野犬が結構いて、血走った目で上目遣いに近寄ってくることが度々あったからだと思う。「野犬狩り」、「犬殺し」などと云う言葉をよく聞いた。
「まる」、「チロ」(スピッツ)、「  」(ぺぺの母親「ぺぺ」を生みやせ細って首輪が抜け、保健所にも探しに行ったが見つからずそのまま行方不明)、「ぺぺ」、「クミ」
最後に飼ったクミを散歩に連れて行く頃になると、放し飼いの犬はいなくなり、犬が怖いという思いはいつの間にか消えていた。

170219

天気が良いが
風が冷たい

敷居に水蝋(伊保多、イボタ)を施す
敷居滑りなどという野蛮なのもは使わない

高円寺に明日の切符を買いに行く
ついでに新高円寺まで歩いて帰途につく
桃園川 旧宝下橋
目の前に大きな木のある表通りに面した店
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トタン波板の家
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水道栓
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高円寺北口正面にヒマラヤスギが見えることを発見
何十年も通っていて気づかなかった
早速目の前までいってみる
なるほど「緑の家」だ!
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今日の花
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そういえばうちの木瓜は咲いていないような気がする

青いレモン 050 工芸 藤浦先生の話 モンローの話 170707
高二か高三の頃、あまりよく覚えていないのだが、選択で、工芸の授業があった。美術(あるいは絵画)との選択で、美術の方はあまりにも近づきすぎていたので、工芸を取ったのだが、立体作品や、陶芸となかなか面白かった。ただ残念なことにこの授業を取った人が数名しかおらずあまり活気がなかった。先生が常にそばにいて何か創ろうにも創りにくい。
それでも一年上から落ちてきたMさんは、隠れて一所懸命粘土で男根をつくってニタッと笑って人に見せに来る。
陶芸は、粘土のコネ方、紐状に粘土をつくり巻き上げていくやり方、塊を細い針金で切ってうすい板をつくりそれを使って何かをつくる「たたらづくり」、轆轤の扱いなど可成り面白かった。最初はあまり従来の作り方に拘らずに気楽につくれるものとして、トーテンポールがテーマだった。これも施釉がなかなか難しく思ったように仕上がらない。幾つかの作品ができた頃、学期が終わって、授業が終了した。藤浦先生から工芸部に入れと誘われた。山岳部に、美術部もうこれ以上にはとお断りしたが、「たたらづくり」でつくった飾り皿のようなものをえらく気に入って下さったようだ。
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170218

今日も良い天気だ
少し春めいてきた
それでも昨日程にはあたたかくない
昨日春一番が吹き、道路の枯れ葉が凄い

目黒の法事
納骨
日比谷のTホテルで和食のお食事

サボテン
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裏の家の解体は何故か今日は中止
朝早くからガードマンと云うか交通整理の人がバイクで来て待っていたが
他のところで解体
ここのところやたら解体が目に付く
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かなりできあがってきた家の基礎の下を掘ってジャッキアップ
基礎を造り直し、鋼管の短柱を立てている
建物が傾いたか?
最初の工事がずさんだったのか?
あまり例を見ない
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今日の花
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青いレモン 049 長髪 170707
高校になって暫くして、長髪が流行った。当時、中学生、高校生の頭の格好は坊ちゃん刈りと丸坊主だった、我々の年代から、丸坊主は少なくなったが、其れまでは丸坊主が多かった。特に父親が兵隊に取られた家はでは、小学生は丸坊主と大体決まっていた。従兄弟も僕より一つ上の従兄弟までは丸坊主にされ、僕と一つ下の従兄弟はその難を逃れた。
そんな訳で、街の中でも高校生ぐらいまでは、丸刈りか坊ちゃん刈りか、スポーツ刈りというのもあったかも知れないがいずれも短かかった。
何故か突然、わが高校で長髪が流行りだした。発祥の地だと今でも自負している。二年上のにも長髪がいたから多分高校1年のことだ。その時から一回80円坊ちゃん刈りの床屋(通常の値段)に行かなくなって、次などうしても行かなければならなくなり行ったら500円、また暫くしてどうしても行く必要が出て行ったら3000円、その後床屋に行ってない)町を歩いていると、「男かしら女かしら」はよい方で「あの子男の子みたい」といわれることもあった。それほど髪の毛の長さは目立ったとも言える。
長髪の趣旨にも二種類あって、一つは西洋の昔の貴族や三銃士などの影響で、洋風な格好良さを追求したもの、も一つは、長髪の浪人や戦前のバンカラ大学生といった手入れしないことの主張である。
伯父などは僕の頭を見ると可成り気分もわるくなってくるらしく、俺が切ってやるからバリカンと鋏を持ってこいと騒ぎ立てる。これには困った。
其れにしてもうちの高校は素晴らしかった。長髪についてほとんど一言も注意されなかった。そしてこの長髪は数年のうちに日本中とは行かないまでも東京中に広がった。
その後、コウモリ族とか、(これはイギリス紳士みたいに傘を持ち歩く)何々族というのが流行ったが、僕は全く関心無かった。勿論ビートルスが出てくる数年前である。
十数年前(あるいはもっと経つかも知れないが)にはやり出した髪の毛を染めるのと同じ現象かも知れない。1969年にイランに居た時に、既にテヘランでは脱色した金髪が流行っていた。もう一つ、小学校の時に、ほとんどが坊ちゃん刈りだったが、髪が伸びてくると担任の星野先生が頭の後ろの生え際のところをつかんで上に引っ張りあげた。これが結構痛い。今や坊ちゃん刈りの子供などほとんど見かけない。

170217

良い天気だ 青空が広がっている
気温も少し緩んできたような気がする
3月だったが父の葬儀は寒かったな
41年前か

解体
裏の家は今日・明日で壊すという
今日は中身を出していた
明日一日だとするとミンチしかないな
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写真を撮らせてくれたネコ
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北鷺宮に茅葺き民家があるという
早速出かける
西から、南から、(東から)
確かに茅葺き民家らしい大発見だ。
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風の子広場、八成公園、上鷺東公園などの公園を見る

北鷺宮にはなかなかモダンな家もある
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大きな泰山木のある家 (都立家政)
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結局15000歩以上歩いてしまった。
暖かい一日、一汗かいた。

今日の花
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青いレモン 048 遊びのグループ 170707
中学の時 美術部 山岳部 クラスの友達といろいろ遊んだ。重なった交遊もあり、また別個なものもあり整理しようとすると可成り複雑だが、ごく自然に楽しい学生生活を送っていたように思う。
タケ公とクッチョと3人でつるんでわるいことをした。クッチョとは部活も一緒だが、タケ公とは全く違う。其れでいながらよく気が合った。一回など、これは芝居好きのタケ公の言い出したことなのだが、何の時だったか忘れたが、本館の講堂で、「泥棒仙人」の芝居を演じた。タケ公の家に行って、今で云うカラオケのようなことをして遊んだこともある。でかいテープレコーダーがあり、そこにみんなで唄を吹き込んだり、各自吹き込んで楽しんだ。唄は苦手で今ひとつ夢中にならなかったが、数ヶ月間、三人で大笑いしながら楽しんでいた。この三人はいたずらが好きで、毎日のように悪巧みを実行していた。すべては覚えていないが、極めつきは、職員室のストーブ事件である。その頃は暖房は石炭ストーブで、煙突が各部屋から屋上にでていた。昼休みに屋上に登ると、12月に入ってからのはずの暖房が、一本の煙突からでていた。パラペットから覗くと職員室である。先生たちだけ狡いという気も多少あったて、燃えにくくしてやろうと下に降りてぞうきんを取ってきて、煙突に詰めた。しばらく経って、職員室を見に行くと部屋の上半分に煙が充満し、先生たちが右往左往しているやばいという気持ち何分やったという気持ち半分で、ベルが鳴ったので教室に戻る。このストーブ煙突事件はそのままばれずに卒業を迎えた。
もう一回は、三人でバケツにおしっこして、其れをストーブの上に載せようというものだったが、聞きつけた真面目な友達がいて、真剣に止めに入った、それでも我々がやめそうもないので、バケツを持ってトイレに捨てに行ってしまった。数限りなく悪さはしたが、不思議と一つもばれなかった。バケツ事件が実行されていれば、ばれないはずはないからその友人に感謝している。彼はツー公といった小学校の南組、今でも月一度は飲んでいる。もっとも彼はアルコ-ルはだめだから、ウーロン茶であるが。

170216

今日も良い天気である
風もない

郵便局

午後は新構法究会
高橋是清公園によっていく
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味鉄
神戸牛!
また、ワインもおいしかった。
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今日の花
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青いレモン 047 懸垂の練習
中学の山岳部は、独立していたが、人のつながりは高校山岳部、大学の山岳部とあった。其れとは別に、クッチョの兄さんの影響も大きかった。中学山岳部としては可成り立派な「クランポン」部誌を作っていた。クランポンとはフランス語でアイゼンのことである。フランス文学者串田孫一の息子兄弟の影響。
岩場をザイルを使って降りることを懸垂と言った。どこかから(多分高校の部室)からザイルを借りてきて、中学校の校舎の屋上の丸環にザイルを通して、かわりばんこに降りる。
屋上から2階のテラスまでだが、7~8メートルくらいあるテラスの向かい側に職員室がある。壁で直接見えないが、学生たちが何か騒いでいるのは見える。誰かが降りきったところで、体育の教師がこちらに向かって近づいてくる。やばいとザイルを猛スピードで手繰りあげる。みんなの目線をたどって先生が上に目を向けたときに丁度ザイルが尻尾をわずか10センチほど見せて引き込まれた。怪しいと思ったが、なんだか分からない見ていた仲間も白を切る。「危ないことするなよ!」と捨て台詞を残して行ってしまう。本当は分かっていたのだと思うが事故が起きたら首になるなどとすぐ考える時代ではなく実に大らかであった。
先生よりも先輩の方が真剣に考えてくれた。クッチョと奥多摩の岩場に岩登りに行こうと用意をしていた、ハーケン、カラビナ、ザイルと。大体用意ができたところで、クッチョの兄貴が、話を聞きつけて、止めに入った。頑張ったが、その時の山行は中止になった。様々なことがあって、ゆっくりと成長できたと中学の山岳部に感謝している。

170215

今日も晴れ

以前から足の裏に痺れがある
二三日前から、床に足をつけると激痛が走る
それでいて、靴を履いて歩くと殆ど痛さを感じない
これは痺れについてもいえる
とにかく素足の裏を床につけて歩こうとするとずきんとくる
医者に行かなければ大変なことになるかもしれないなどと心配になる
靴下の上からもんでみたり、抑えてみたりするが
わからない
目で確かめてみようと靴下を脱ぐと
足の裏の色が少し悪いような気がする
よく見ると黒い点がある
さらによく見ると頭が出ている
どうもが刺さっているようである
それも小さな棘
髪の毛を少し太くしたようなもので長さは4ミリ程度
を取ったら痛さが全くなくなった
もちろん前からのしびれは残っているが
しかしそんな細いとげが、
あんな激痛をもたらすとは!
しかも数日間、よく途中まで刺さった状態で、
折れもせず頭を出した状態を保っていたと感心してしまう
昨日も一万歩以上歩いているのに
厚い靴下が幸いしたのか
わからない
不思議なことって身近にあるものだ

坂の下の家
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民家二題
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公園 沼四緑の公園 丸山塚公園 
沼四緑の公園の脇を通り、東山公園を抜けて沼袋駅北の丸山塚公園に出る
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公園の木の根っこ(丸山塚公園)
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中野の三題
左:大きな二階家の住宅、南側が駐車場になる
中:沼袋北口
右:バス通りが南に折れるあたりを少し北に入ったところ
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中:の門を覗くと玄関も少し凝っている
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沼袋駅 急行通過のためのレール
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アパートの郵便ポスト 筋交いに取り付けてある
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今日の収穫の一枚!
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青いレモン 046 奥多摩山行 170706
日曜日になると、奥多摩、丹沢へ出かけた。数人で行くこともあったし、クッチョとかジー公とか二人で出かけることもあったし、一人で登に行くこともあった。クッチョのお父さんの串田孫一の間接的な影響で、山行の時はスケッチブックを持って行って必ず何枚かスケッチした帰ってくる。秋の御前山に一人で行ったときの紅葉の絵は自分でも気に入っていたが何処へ行っただろう。中学の山岳部に入った切っ掛けは、山岳部が一般の学生を対象に催した奥多摩の山行だった。その日は雨で、全員ずぶ濡れになったその後すぐに入部したが、何でそんな悪条件の山行が面白かったのか今になってみると分からない。
入部してからも結構雨の山行があった。初めのうちは様々な雨具を着てみたが、現在ほど優れた材質の雨具はなく、雨に濡れなくとも中はびっしょり濡れてしまう。風が強くなければ傘を差して歩くのが好きだった。片手がふさがれて危ないという人見入るが、中学生の体力と体の柔らかさなどからするとあまり負担にならず気持ちよい山行が楽しめたのを覚えている。
大体その頃の山行の服装は、勿論、登山靴は生意気に皆はいていたが、あとはおやじのソフト帽のお古にお古の背広の上着、あるいはセーターやポロシャツに背広のチョッキのお古、厚めのズボンといった格好で、ヤッケと厚手の靴下以外、着るものを登山道具の店で買ったことが無かった。
ガイドブックを見るうちに、尾根歩きだけでなく沢登りもするようになった。ジー公と奥多摩の沢を登ったときに初めて落石に遭遇した。ごろごろと石が崩れるタイプのもなでなく、わざとではないにしろ登る過程で石を誤って落とす。石は唸りを上げて弾丸のように飛んでくる。大学に入った頃はヘルメットが常識になっていたがその頃はそんなものを付けている人などいなかった。滝子沢に登ったときは、一枚岩の上で立ち往生して、初めて死にたくないと思った。書き出す前は何も思い出せなかったが、いざ書き出してみると次から次へと思い出される。

170214

今日も良い天気だ
二月も今日で半分
午前中、等々力
等々力の道祖神
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中野たてもの応援団
白鷺のかやぶき民家で打ち合わせ
神戸に18年住んでいる外人 T.J. さん
最後に記念撮影
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今日の花
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青いレモン 045 交遊・吉祥寺で映画 170706
中学一年の頃は、若松君、守永君、斉藤君とよく遊んだ。守永君は体操が得意で、しょっちゅう鉄棒をしていたが、僕は大の苦手で、逆上がりができるようになったのも大分後のことである。その頃はこの交遊とは関係なく美術部に所属していた、加藤久幹先生が部長で、きゅうかん、きゅうかんと呼ばれていた。正門の近くにアトリエがありそこに部室があった。高校の部室と一緒でいろいろ教わることが多かった。山圭さんはエッチングをやっていたり、美大を目指す先輩もいた。西沢さん、広松さん、菅野さんなどもの凄くえらく見えた。小学校のクラスが違うクッチョとはそこで知り合ったのだと思う。何をするのも一緒で、よく遊んだ。
二年になって、山岳部に入り、若松君、守永君、斉藤君とはあまり遊ばなくなった。
クッチョとは山岳部も一緒だったが、よく放課後映画を見に行った。その頃は一週間か二週間で出し物が変わり、封切館でないところは2本立て、3本立てが普通だった。吉祥寺の映画館は勿論何処も封切館ではなかったが、6軒あった。見たくないものもあったが、部活の日などと合わせると一週間ですべての映画を見ることができる。二人で、毎日のように何週間も映画館通いをした。「巴里野郎」、「偽将軍」、雪村いづみの「青い山脈」・・・・・と。結婚したあとか?TVで夜遅く映画を流していたが、ほとんどみな見た映画ばかりなのには我ながら驚いた。そのせいか、今でも劇映画は大好きである。しかしお小遣い幾ら貰ってたのだろう?

170213

相変わらず良い天気だ
そして寒い

郵便局で年賀状の当選葉書を切手に換える

民家二題
北西と東南一軒ずつ
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北西の公園
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南向地蔵
区長の地域資源の認定書が張り出されていた
その隣の野方第二公園
砂場にカバが二匹
藤の幹
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幅の狭い家
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今日の花
170213-01.jpg 咲き出した 良い香り

青いレモン 044 初めての二日酔い 170705 170706
飯の時間になりカレーがでてくると決まって、「キジを食いながらカレーの話をするなよ!」という冗談がでてきた。
夜は、ストーブの周りで、くつろいで雑談をする。ある晩、小屋の主人が怪談を始めた。その頃ヒュッテには電気が来ておらず石油ランプだったので小屋の中や薄暗くそこら中に影ができる。いつもだと小キジは外に内に行くのだが表に出る勇気が無い。表には出られるが、小屋のちかくでバラス訳にもいかない。話の内容までは覚えていないが、手塚さんの話し方も堂に入っていて最後は鳴り物入りで随分怖い思いをさせられた。
大学を出た頃か?車でコロボックルを訪ねたことがあるが、その時はもう奥さんは亡くなられていた。綺麗な奥さんで、手塚さんと駆け落ちをしたとか。我々にとっもマドンナ的存在で、そのためにコロボックルに通っていた人もいると思う。その時、手塚さんが山小屋の生活は何も不満を言うことはないが、急病になったときには何でこんなところに住んでいなければいけなかったかと思うと日本人にしては明るい瞳を少し上に向けて語っていた。
これも中学の頃、ヒュッテの手塚さんに教わって、雪の中を強清水までワインを買いに行く。一升瓶のワインで、300円ぐらいだったと記憶している。串田兄弟、ジー公、其れに僕、あと一人か二人いたかも知れない。夕飯後、飲み出したが結構飲める。生まれた初めてのお屠蘇以外のアルコールをいい気になって数人で、一升あけたから明くる日は誰もが少しおかしい、気持ちがわるい、頭が痛い、これが二日酔いかと初めて知った。
中でも一番飲んでいたクッチョの兄さん可成り重傷で、「もう俺は一生酒は飲まない」と言って昼過ぎまでうなっていた。

170212

気温は変わらないのだが寒く感じる
空は真っ青だ

本のコピーをコンビニで、
最近は自宅のプリンターよりも安いのではないかと思う
60枚コピー

民家 松の木もなかなか見事
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杉並に残る未舗装の私道
結構駅に近いところだが
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ここのところちょっとTVの見過ぎ(はんせい)

今日の花
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青いレモン 043 インドール、スカドール 170705
その後コロボックルヒュッテには随分通った。雪のあるときも無いときも。中学生の頃で、中高一貫教育のおかげで受験には全く患わされなかった。
雪がたっぷり積もっている冬のこと、蓼科湖までツアーに行くことになった。多分その時は6~7人程度だったと思う。その年は雪が多くスキーを担いで歩くとなると結構しんどい。当時、シールなどというものをまだ持っていなかったので、ヒュッテの手塚さんに聞いて、わら縄を持って、蓼科までツアーに行く。往きは快調に滑っておりて行くだけだが、その分帰りは登りになる。スキーに荒縄をぐるぐる巻きに巻き付けて、シール代わりにして帰ってきた。シールと違った前に滑らないから、一歩一歩スキーを持ち上げて登る。それでも結構な斜面を直登できる。ズブズブ足を潜らせながら登るよりはずっと楽だ。当時の締め具はカンダハだからフックを外せば踵があがり登りもそれほど苦にならない。横道にそれるが、当時は、流れ止めなどスキー本体には付いておらず流れ止めのひもも無かったスキー場に行くと、大抵一人や二人どこかの誰だか分からない人がスキーを流して泣いていた。
このヒュッテ、串田孫一さんの紹介だけあって、学究肌の人と泊まり合わせることが多かった。あるとき、よくは覚えていないが、化学に強い人が一緒で、二人連れだったようだったがそのうちの一人が、夕食後いつものようにストーブを囲んで話しているときに何故かおならの話になった。多分、雉撃ちの話から、空雉の話になったのではないかと思う。尾ひれも付いてなかなか面白い話だった。
おならは可燃性で火を付けると燃えるという。あとでやってみて、尻毛を焼いた人もいたとか。そして、おならは、インドール、スカドールという成分だから燃えるのだとおならのガスについて講義。面白い名前だったので、忘れなかったが、後日まんざら嘘で無いことを知った。

170211

青空の良い天気だ
鷺宮で
中野たてもの応援団のマップづくりの打ち合わせ

写真撮らせてくれたネコ
ちょっと目つきが気になるが久しぶり
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カセイちゃん  寿老人 福禄寿 毘沙門天
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よく前を通っていいたのに気づかなかった民家
近くの民家の壁
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綿!
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今日の花
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青いレモン 042 霧ヶ峰 170704
車、ヨット、スキー どれも制動が自由にコントロール出来るようになると楽しくなる。
中学校のスキー教室が12月にあって、その冬休み、小学校の同級生のヒキ公と小学校は同じだが隣の西組だったクッチョとヒキ公の従兄弟で東組のゴエモンと霧ヶ峰にスキーに行った。クッチョのおやじさんの串田孫一さんの紹介で霧ヶ峰のコロボックルヒュッテに行くことになる。ところが上諏訪からバスに乗って、強清水に着くと霧ヶ峰にはあまり雪が無い。とにかく行くことにして、強清水から歩いて車山の方にあるヒュッテまで行く。緩やかな丘陵、枯れ草の中に岩が所々顔を出し、いつ降ったかもう風化した猫の額のような雪面が点在している。それでもここまできたからにはしょうが無い。ヒュッテまで歩いて約一時間でつく。それでもヒュッテの裏側の北斜面には幅数十メートル、長さ百メートル位の雪の斜面があった。リフトは勿論ロープウエーも無い。それに斜面は池ノ平と違って、可成りきつい。止まらなければ枯れ草の中に突っ込む。 しかし、不思議なことにここで滑ってみると全制動ができるようになっていた。これが何と言っても嬉しくスキーが病み付きになった。クッチョは運動神経がよく既に可成り上手い。ヒュッテの主人の手塚さんは指導員を目指すだけあって狭いスロープをフルに有効に活かして滑っている。背の高い、明るくて茶色がかった魅力的な目の色をしていた。また、駆け落ちをしたというご夫婦で、おくさんは幸子さんといい我々のマドンナ的な存在であった。
この時は三日か四日いただけだが、その後、中高在学中は数え切れないほどコロボックルヒュッテのお世話になった。手塚さんは中学卒業の頃にスキーの準指に高校をでる頃には指導員になっていたと思う。
大学生の頃一回、その後もう一回コロボックルヒュッテを訪れた。
最後の時には奥さんは亡くなっていてお目にかかれなかった。ヒュッテの位置も車山の肩から少し北斜面を降りた位置に変わっていた。
コロボックルとはアイヌ語で雪の下の蕗の薹の神様のことだと記憶している。

170210

銀世界を期待して、
窓を開けたが、雪は皆無。
うっすらと白くなっていたところも消えてしまっている。

空も昨日とうって変わって
蒼空が広がっている
しかし、相変わらず寒い

今日の昼食
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ポスト
クリーニング屋

線路の脇の民家の壁
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孫のところにランドセルが届いた
早速背負っている!
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今日の夕食
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今日の夜の窓
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青いレモン 041 初めてのスキーとテレ馬 池ノ平の大滑降 170703
中学校のスキー教室があった。おやじは長男で、危ないことはさせてもらえなかった様だが、次男の伯父は山登りやスキーなどいろいろ楽しんでいた。スキーの道具の選定をおやじはこの茂の伯父に頼んだ。その頃の締め具はカンダハ、それは良いのだが、初心者はエッジが付いていると危ないということで、単板のエッジ無しのスキーを選んでもらった。エッジなど無くとも何とかなる。しかし、そうはいってもガリガリの雪ではエッジが全くきかない。だから翌年にはエッジ付きの板にしたが、軽いので背負いやすい。上越のべた雪の山に登って降りてくるのには丁度よいと言うことで、何年もこのスキーを活用した。
初めてのスキー学校は池の平らであったが、2つ想い出がある。
1つはテレ馬のこと体操の教師で、担任でもあった。夜うるさいとか、つまらないことを注意しにきた。起こっているうちにつばが飛んできた。思いっきり自分の顔を両手でなでて、先生の顔お見たら、おまえその態度は何だと怒り出し、30分ぐらい説教され、その後口論になった。その時は其れでむやむやになったが、何故かその後テレ馬とは上手くいくようになった。中学校の時は絵を描き、山に登り、勉強など低空飛行で過ごした。高校を出て一年浪人し、大学に入ったので一応、報告に行ったら、手の先でおでこを押して、バカ、嘘いうんじゃない!といわれてしまった。これはおまけ。
もう一つは、池ノ平のゲレンデは、急斜面ではないが真っ直ぐで長い。最終日だったと思うが、もとより運動神経は鈍い方で、スピードのコントロールなど一日二日でほとんどできるようにはならない。これで最後だからゲレンデの下で集合ということでそれぞれが滑り出す。
最初の一二回は習ったばかしの全制動回転で曲がりながら下ったが、その後、コントロールが効かなくなり直滑降、ただただ直滑降、ドンドンスピードが上がるしギャップがでてきて飛ばされるし、ただただ滑り降りた。長いゲレンデの一番上から下まで、一気に降りた。あとちょっとで最終地点である。目の前に危険を知らせる赤い旗が見えるがその先が見えなくなっている。これはやばいと思うが真っ直ぐにしか滑れない。ドンドン赤い旗が近づいてくる。其れしか無いので横に倒れが10回ぐらいごろごろと転がり止まった。もちろん下に降り着いたのは一番早かった。

170209

朝起きると雪こそ降っていないが、
久しぶりの雨
天気続きで乾燥していたから、
良いお湿りになる

今日は、JIA中野地域会の仕事で区役所
早い昼を食べて出かける
打ち合わせに十分な時間を頂き
帰りは歩いて帰る
170209-01.jpg 現代的な住まいもできてきた

昔ながらの銭湯も残っている
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銭湯の裏の袋小路に民家が何軒か佇んでいる
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此処も更地
随分と広い
何が建つのだろう
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この頃の天気予報はよく当たる
まさかと思っていたら本当に雪が降り出した
車のボンネットや物置の屋根などがうっすらと白くなっている
水戸では12㎝積もっているとか

かなり西まできて
もう一軒の民家
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青いレモン 040 勉強グループと建築 170702
中学の頃、多分、親同士で、話し合って決まったのだろうが、グループを作って、英語など習った。阿佐ヶ谷のヤマチの家で集まった。勉強が半分終わると、お茶の時間で、それから暫く遊んで、自転車で帰る。ヤマチの家の隣が、一年先輩の山口真理さんの家、山口さんは筋を通すなどなかなか良いところのある先輩なのだが、なかなかの悪で、隣同士でヤマチと親しいのでヤマチを通して、わるいことをいろいろ教わった。例えば合い鍵の作り方ヤマスターキーの原理など。
学習塾は先生の家で行われることもあったが、いまだによく覚えているのは女性の先生で、確か英語を教わっていたが、ご主人が建築家で、(その頃は建築家などという職業は知らなかった。)そのご主人の撮ってきたスライドを強制的に見せられたことがある。もの凄く衝撃的で、その印象はいまだに頭に焼き付いている。確か2回スライド会があり、1回はバックミンスターフラーの作品や模型図面の紹介だった。その塾にたまたま集まっていたものが美術部関係者が多いと言うこともなり、数人を除いて、結構、興味をもってスライドを見ていた記憶がある。興味の無い何人かもいつもより美味しいお菓子などがでて満足していた。あともう一回は、建築家ガフの作品紹介だった。こちらも強烈な印象を受けたことは確かである。

170208

今日も良い天気だ
真っ青な空が広がる
明日は東京も雪だと云うが本当か?
しかしこの頃天気予報が随分当たるようになってきた

古い写真を整理した
現在、書いている原稿に合わせて写真を入れよう
Facebook にも載せよう

今日の花
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青いレモン 039 倉庫の建設
昭和27年に明石町の焼け残った蔵の荷物を入れる倉庫を造った。
何故そうなったのかは分からないが誰かの勧めでもあったのだろう。建設方式がかなり特殊なパスキン建設協会による構法で、中空コンクリートブロックを積んでそこに、コンクリートを流すもので、構造的にはコンクリートブロック造では無く壁式鉄筋コンクリート造になる。私は8才ぐらいだったが、足場に昇って毎日のように現場を覗きに行った。可成り時間も掛かったと思うがやがて完成し、中に明石町の蔵の棚や戸棚で使えるもの運んできて組み立て中身の引っ越しが行われた。

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屋根は瓦やででは無く陸屋根で外階段を利用して屋上に昇れる。水洗トイレに変えたので、屋上にドラム缶のタンクが載り、後に雨漏りが酷くなり、屋上の防水をやり直すときまで、そのまま使っていたが、揚水ポンプの故障や配水管の凍り付きなど年中何かしらトラブルがあった。鈴木さんの叔母ちゃんやフクちゃんやいたときには物干し竿を並べて洗濯物を干していた。パラペットの高さより低く隠れれば、どこからも見えないので、秘密の基地めいた楽しさがあった。

170207

今日も空は真っ青だ
此処何日かに比べると寒い
しかし温度計を見ると大したことはない。
まだまだ寒い日はあるだろうが、
少し春が近づいてきた気配がする。
2階から梅の花
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松本
富士山、甲斐駒、常念
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信州大学病院
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信州大学
理学部
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旧松本歩兵第五十連隊糧秣庫 国の登録有形文化財
170207-06.jpg 170207-08.jpg 170207-07.jpg ダッチコーナー

信州大学 山岳部部室
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<小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」
建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
本屋では手に入りにくくなっています。
このブログで、FBのコメントで、メールで、住所を書いてお申し込みください。
本代は不要。
勿論一冊でも良いのですが、
誰か纏めて10冊ぐらい貰ってくれないかな。

本の内容
格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
170207-05.jpg スノードロップ

青いレモン 038 近所の店 170625
一番近いのは白田さんだが、これは小学校に入ってからできておばあちゃんが雑貨屋さんをやっていた。店ができる前はトウモロコシ畑だった。野方に本屋が二軒あり一見が市村、もう一軒名前を忘れてしまったが、割合家の近くにあった。南口にマーケットが2カ所。1カ所はパチンコやなり、建物はそのまま使われてきたが、最近建て成してしまった。看板建築で、洗い出しで朝日が描かれていた。もう一軒はいまだに形態をとどめて何軒かが開業しているが、昔からの店ではない。此処にあった文房具屋も閉店してから十年ぐらい経つ。映画全盛の時代は野方にも西武座との方映画と二軒の映画館があった。子供の頃は言ったことがなかったが、博士論文を書いているときに毎週のようにオールナイトを見に行った。大抵ヤクザ映画で鬱憤はらしにはちょうどよかったが、既にその頃、斜陽の営業がつづいており自然消滅した。野方映画のあとはスーパーに西武座のあとは長崎屋が入ったが、そのうちコンサートホールというパチンコ屋になってしまった。
昔からの店で今も繁盛しているのが中島肉店。昔々のことだが、子供心に覚えているのは食中毒を出して、大分たたかれ、家でも暫くは買わなかった様な気がするが、よく立ち直ったと思う。
御用聞きをしていた魚屋が魚富さんだが、子供の頃は、ここらで魚を買うと臭いねと祖母がよく言っていたが、戦前暮らしていたのが築地だからしょうがない。確かに牡蠣など外で食べるのと一寸違った臭いがした。其の魚富さんも今では高級魚屋さんで、なかなか買えなくなった。ご主人一度倒れたが持ち直して、休みを週二日に一日増やしいまだに営業している。おやじさんの代からで、今のご主人は私より少し年上だと思う。店に井戸があり井戸水を活用している。高すぎて最近はご無沙汰してしまっている。

170206

節分も過ぎて、
だんだん暖かくなるのかな
今日は昨日と違って青空
出たり入ったり忙しい一日に成りそう

午前中は
健康管理

区役所で、
区長に要望書
区役所・サンプラザ地区再整備推進区民会議 委員各位宛 要望書
陳情書 中野区議会 議長宛
内容は 区役所・サンプラザ地区の再整備に関して

区役所内の食堂
窓の景色がサンプラザの白い壁のみ
まるで雪景色
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日本建築仕上学会
作品賞WG
現地調査の作品が決まる

今日の夕食
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
本屋では手に入りにくくなっています。
このブログで、FBのコメントで、メールで、住所を書いてお申し込みください。
本代は不要。
勿論一冊で良いのですが、
誰か纏めて10冊ぐらい貰ってくれないかな。

青いレモン 037 おやじと果物 170625
おやじは昔の人間で、サラダのような生野菜はほとんど食べなかった。煮てある里芋やニンジン、大根などが好きだったような気がする。生野菜はウサギみたいだと行っていた。
果物もほとんど食べなかったような気がする。時期を過ぎて酸っぱさがほとんど無くなったミカンだとたまに食べた。全く果物はだめかというとグレープフルーツは食べた。アメリカへ行ったときに覚えたらしく、二つ割りにして、砂糖をたっぷりかけた、匙ですくって食べる。戦後はなかったが落ち着いてきて、先の沿ったグレープフルーツ用のナイフが売り出されるとすぐ買ってきた。
他に、イチジクと栗は食べ、庭に栗とイチジクの木を何回か植えていたのを記憶しているが、栗は実がなるまで育たなかったし、イチジクは少しなったが、小さい実で、店で売っているイチジクとは大分違った。何故かカミキリムシが付いて、枯れ、植え直しても上手くいかなかった。
嫌いな食べ物は鰈で僕が食べるのは我慢していたが、それでも片身を食べて、ひっくり返すときに煮たつゆがぴしゃと音を立てると眉をひそめていた。何故鰈だけ嫌いだったかは聞き損ねた。母が知っていたかも知れないが其の母もいない。母は何故か鯵を食べない。小さいときに食中毒を起こすなど何か原因があるのだと思うが分からない。

170205

まあまあの天気
夕方から少し怪しくなる。
でも、明日も晴れらしい

野方の民家
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クリーニング屋さん

この木を使ってなんか創りたい
北軽電鉄の駅で貰う
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小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
本屋では手に入りにくくなっています。
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本代は不要。
勿論一冊で良いのですが、
誰か纏めて10冊ぐらい貰ってくれないかな。

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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
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何の花だか分からない

青いレモン 036 日本橋 170625
会社に行くと父親の机の隅で絵を描いたり、タイプライター室に行ったり、父親にくっついて、金庫(鍵付きの倉庫)に入ったりしていた。事務室は戦後建てられた木造のバラックで、南側の道路に面して入り口があった。玄関前で写真を撮ってもらったが、あの写真はどうしてしまっただろう。内部は、だだっ広く所々に独立柱が立っている工場のような平屋建てだった。タイプライター室は裏側(北側)2階建ての古い建物で、外階段を登った2階にあった。この建物の脇が土間になっていたような気がするが、あまりよく覚えていない。父の席は広い大部屋東北の隅、すぐ隣に三番町のタスク伯父さん、其の隣が茂伯父さん、少し離れて康資伯父さん。他に山田さん安井さんなどがいたが席までは覚えていない。堀江さんもどこかにいたはずである。北へ抜ける通路の手前に秘書の宇須(字は分からない)さんが座っていた。祖父は東南の隅にガラスの入った木の建具で仕切られた独立した部屋を持っていた。時々遊びに入ったような気がするが、ただ温和しく脇の椅子に腰掛けて祖父の仕事を見ていたような気がするがあまりよく覚えていない。全体に天井・壁は白く塗られ、柱や腰壁はベエジュ色にペンキで塗られていた。多少南北よりも東西に長く60人ぐらいが働いていたように記憶している。
昼を挟んだときには近くに食べに連れて行ってもらった。若竹というそば屋が一番多かったと思う。蕎麦は好きだがうどんを父が食べるのを記憶してない。江戸っ子の食べるものではないと思っていたのではないだろうか。ざるともりの違い、せいろに蕎麦を残してはいけない理由など教わった。近くになぐらやという小さなホテルがあり洋食を食べさせてもらった。父は戦前にアメリカに行っているだけあって、洋食の食べ方には結構うるさかった。そのほか父のなじみの店に行ったが、母も一緒だと大抵三越の上の食堂に行った。

170204

よい天気だ
結婚式日和
隆之君とさおりさんのWP
代官山で
二人とも終始にこやかだったのがよかった。
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お~!開閉式の屋根

中野の民家
中野の門
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<小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」
建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
本屋では手に入りにくくなっています。
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本代は不要。
勿論一冊でも良いのですが、
誰か纏めて10冊ぐらい貰ってくれないかな。

本の内容
格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
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でも何で英語の教科書の最初の方で水仙がでてくるのだろう。
イギリスには、バラの他に水仙しか花がないわけでもないだろう。

青いレモン 035 中野の家 170622
親戚がみな東京にいたので、お互いに住所で呼び合った。戦前は明石町、氷川町、三番町、富士見町、中野という風に、戦後は鷺宮(←明石町、←富士見町)、中野(そのまま)、目黒(←氷川町)、三番町は藤沢、白山と移動したが、そのまま三番町と呼ばれていた。その後中野の家は等々力に引っ越し、鷺宮は町名が若宮に変わり、等々力、中野と呼ぶようになった。それでも時には祖父の世代は当初の名前で呼ぶことが多かった。
氷川町は蔵へ電気の引き込みさんから火が入って燃えてしまったという。戦後建てられた家の中では目黒の家が抜きに出ているのはなぜだかわからない。
戦火を免れたのは郊外にあった中野の家だけで、戦後しばらく米軍に接収されていて。庭に竹垣が立てられ東半分の洋館が接収され、西半分の離れを含む和風の建物、蔵、畑などは、そのまま居住を許されていた。残された部分だけでも十分に広く、庭の大半は芝生で、芝生で初めてクリケットという遊びを教わった。南側に中央線から枝線を敷設して運んだという大きな石が置かれていた。敷地の南隣は小学校で、東西の幅はほぼ同じであった。
接収期間が終わり、返却されてから、しばらくは広いまま使用していた。玄関前には何本かヒマラヤスギがあり、玄関ポーチの前にロータリー状の車寄せがあった。立派な洋館だったが、接収時によく遊びに行ったのは西半分だったので、洋館部分に対するなじみはそれほど強くない。中野の祖父が亡くなる前に相続対策で、等々力に引っ越しをした。交渉先の等々力の敷地は、当初、南北に長い六百坪の土地だったが、建物の建っている北半分を購入した。建物は土浦亀城の設計した鉄筋コンクリート造で西側に木造の数寄屋が付属していた。図面は東京江戸博物館に保管されている。建物は残念ながら相続のため、○○年に解体され、敷地は細分化されてしまった。
中野の家で一番よく覚えているのは竹垣のすぐ横の食堂だった。あとは離れ、遊ぶ時は庭や蔵の中。戦後間もないころ、比較的近かったこともあり、中野の叔父と叔母がよく自転車で鷺宮の我が家を訪れてくれた。あるとき木戸の外に止めた自転車が盗まれてしまった。当時としては大事件である。近くの派出所からお巡りさんが来てくれたが、ついに自転車は出てこなかった。

170203

今日も晴れ
風が強く落ち葉が多い

六本木森美術館
N.S.ハルシャ展
オープニング
建築デザインの授業を思い出す
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様々な人の姿があるように、様々なミシンがある。

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宇宙は無限大、その広い宇宙のその隅に地球がある

その後、中野坂上経由で荻窪
イッキン会
皆帰るところだったが、
3次会をやってくれた
感激!

中野たてもの応援団
中野駅ガード下の展示2月分
内容は先月と変わらず位置が変わる。
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
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小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
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青いレモン 034 通学 170622
家から高円寺駅までは、約20分歩き、後になって自転車の利用が多くなった。駅の近くに自転車を預かる店が数軒あった。4つ駅乗って、そこからまた約20分歩いて、学校。両方ともかなりの距離がある。幼稚園の時から歩かされていたせいかあまり気にならなかった。電車賃はもちろん通学定期だが、忘れたときなど5円だった記憶がある。帰りの時間帯は電車がガラガラである。吊革につかまって、体を揺らし弾みをつけて前の席に飛び移る。入口の近くに立っている鉄棒によじ登るなどやってみるが、すぐ飽きる。ガコ(古賀君)は、土足のまま席から席へ飛び移っていておばさんに注意された。そこまでいかなくても、他所のおばさんやおじさんがごく自然に注意してくれる時代だった。
一度車掌が飛んできてものすごい勢いで怒られたことがあったが、当然だろう、それで済んでよかったと思う。
当時、吉祥寺の駅のプラットホームは細かい砂利が敷かれていた。高円寺の改札口が後ろのほうなので、ホームの後ろのほうで電車を待っていて。やがって電車が来たが、前方にまだ距離があるので、まだそれなりのスピードで走ってきた。走ってくる電車めがけて、ホームの砂利を蹴飛ばした、タイミングが合いすぎて、電車の前面にもろに当たった。細かな砂利だし、スピードもそれほど出てなかったとはいえ、相当な悪さである。
運転手から車掌に連絡がいたのだろう、駅を出るとすぐ、すいている電車の通路を通って、車掌がやってきた。がらんとすいている車内、やりそうなのは我々しかいないのは一目瞭然、言い逃れのすべはない。すごい剣幕で注意された。こちらも悪いことをやったことはわかっているので、平謝りに謝った。ガラスこそ割れなかったが、チョコレート色の車体の前面に傷ぐらいは付いたのではないかと思う。今だったらそう簡単に済みそうもない。

170202

今日は風が強かった
落ち葉が凄い
JIAで会議
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夕焼け雲
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DVDが届く
どうしても見ることができない
まえもNHKのDVDが動かせなかった。

このブログにも写真が付けられなくなった。
・・・・・と思ったが、旧方式であれば一枚ずつつけられることを発見。(2月3日の朝)で追加実行

小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
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格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

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平和、軍備、侵略、内政干渉
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今日の花
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青いレモン 033 父のお迎え 170622
幼稚園の頃か?父が会社から帰ってくるのを母と一緒に高円寺の駅まで迎えに行った。どこまでが、舗装されていて、どこまでが砂利道だったか覚えていない。自動車はほとんど通っていなのは当然であるが、自転車も少なく牛や、馬が車を引いていたのによく出会った。馬糞や牛糞が道路の真ん中に落ちていた、牛の引っ張る荷車には木製の汚わい樽が載せられていることが多かった。駅のすぐ西側がかなり大きな踏切になっていて、踏切を渡った南側に改札口があったように記憶している。
親父が電車から降りてくると三人で家まで話しながら歩いて帰る。といっても毎日ではなく月に何回かだったように記憶している。商店街は割合にぎやかで活気があった。よいとまけでタコを挙げて杭の工事をしているところもあった。「つかはら」、「かたくら」という文房具や、大正堂という本屋、母の誕生日にセルロイド製の裁縫箱を買っ雑貨屋など皆姿を消してしまった。一番最後まで頑張っていたのは本屋だったが、紅茶やになってしまった。野方で二軒、都立家政で二軒本屋がなくなっている。
祖父と父の会社は、日本橋本町にある。戦後間もなくのころは、電車も不通で祖父と父は、ゲートルを巻いて徒歩で、毎日、日本橋と中野の間を往復していた。まだ若かったとはいえ大変なことであったと思う。それが中央線が動き出して、だいぶ楽になり、かなり経ち社会が安定してくると祖父は車で往復するようになったし、父は私を幼稚園に送り迎えをしていたので車は利用しなかった。私は時々同乗させてもらって日本橋の会社に遊びに行った。まだ道はすいており都電の軌道が至る所にあった。
運転手さんは途中で変わったかもしれないが、覚えているのは坂田さんという運転手さんだけである。
ms sakatasan 坂田さんとクラウン
写真は家の前で、左側の塀は康資おじさんの家の万年塀である。道路はまだ砂利道で、側溝(どぶ)がある。楠はまだ細い。
会社の中のお気に入りの場所はタイプライター室で、お姉さんが何人か和文タイプライターを打っていた。会社の事務室で、白い紙に絵を描いていたら、勿体ないと使った紙で裏側が白いものを渡してくれた。子供心にいい会社だと思った。

170201

今日もよい天気だ
ついに2月に入ってしまった
2月はあっと言う間に過ぎる。

人形町で会議
少し早く着いたので、周囲を歩いてみる
登録文化財、他、見つける
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今日のお昼と、この間のお昼
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170202-01.jpg この間のお昼 何種類あるのだろう?

日本橋三越でたなかふみえさんの展示をみる

神田駅
レールの屋根
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中野アールブリュット
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新宿でインテリアの会議
<小西敏正著 「平成日本らしさ宣言」
建築家の目を通してみた 現代社会の暴走を止める 古くて新しいニッポンの発想
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本代は不要。
勿論一冊でも良いのですが、
誰か纏めて10冊ぐらい貰ってくれないかな。

本の内容
格差、景気、活性化、福祉、最低賃金、生活保護、年金、企業の所得税の軽減、
教育費の低減、教育のお座なり化、エリート教育化、少子化,高齢化、地方の過疎化、木造3階、木密住宅、都市への人口集中・高密度化、地価の高騰、温暖化、災害、古人の知恵
まだまだいくらでも出てきそうだが、
これらの問題はネットワーク状に相互関係があり、
一つを解決しようとすると他に影響を及ぼす。

特許、遺伝子操作、独占、財閥、軍需産業、プルトニュウム、原発、核処理施設、
平和、軍備、侵略、内政干渉
話はどんどん広がっていく。

今日の花
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青いレモン 032 折檻 170622
生徒が悪さをすると担任の先生から罰が与えられたのは今も昔もかわらない。休み時間を守らなかったのか、具体的には忘れてしまったが、十人ぐらい教室に入れてもらえなかったことがある。その頃、2年生だったが、教室は最先端の吉武泰水設計の平屋のテラス付きの教室である。渡り廊下と教室の間に前室がありそこで土足から上履きに履き替える。その前室と教室の間の鍵が閉められ、教室に入ることができない。
誰が考えたのか紙切れに「ごめんなさい。もうしませんから許して下さい。」と云うようなことを書いて、紙を丸めて、鍵穴から教室に押し込んだ。単純な棒鍵だったから紙は教室の中に落ちた。いじらしいと思ったのか、そろそろ良い時間だと思ったのか鍵を開けて入れて貰った。多少お説教をされたと思うが何を言われたか当然全く覚えていない。これなどは楽しい想い出だが笑えないものもある。今だったら絶対に問題になる折檻も行われた。
教室の中に金庫というかロッカーというか試験問題などを入れておく金属製の頑丈な箱があった。大きさは小学生が、膝を抱えて座ってはいれるぐらいのスペースがあり、鍵はダイヤル式だった。何の悪さをしたか忘れたが、担任の先生にその中に一人か二人閉じ込められた奴がいた。
どのくらいの時間だったか分からないが、可成り長時間だったように思える。入れられた方はたまらない。真っ暗で、ろくに身動きもできない。一人は閉所恐怖症になったというのも分かる。心から担任の先生が嫌いに成ったというのも分かる。今だったら大問題になっていたかも知れないが・・・・・・。まだまだ先生が偉かった時代である。

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konishikonishi

Author:konishikonishi
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