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160331

朝からよい天気だ。
ああ~今日で3月もおしまい。
あっという間に今年の4分の1が過ぎ去ってしまった。

モッコクの剪定前後。
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クスノキⅢの剪定
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シュウカイドウ
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食後は眠いの!
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
091. 3/31
すがすがしい朝。ルトバを出発する。少し走るとイラク側の国境に到着する。特に問題はなく通過、数百メートルか、車で数分走ったからもう少しあったような気がするが、ヨルダンの国境に到着する。ちょうどヨルダン入国の窓口に向かって入国の手続きをしようと思っているところにイラクの国境の役人が走って近づいてくる。手続き上何か問題でもあったのかなと心配になる。すると、ちょっと笑いながら、おまえらパスポートを忘れて何処へ行くと二人のパスポートを持って車で追っかけてきてくれたのだ。外国旅行で一番大切なもの、パスポートを忘れるようでは、気を引き締めなかればと思う一方、人間が信じられるという素晴らしい実感を味わった。いずれにしても良かった。ヨルダンの入国も問題なかったが、前回シリアから入国した時は支払わなかった車の持ち込み料を取られた。ヨルダンは通過するだけ、国内にいるのは何時間かだけだと説明したが。規則は規則だという。前回通過した時は・・・・と言おうとしたが、藪蛇になりそうなのでやめた。パスポートが無くならなかった喜びもあり持ち込み料を支払う。
車の持ち込み料には、入国時に払い、出国時に返却してもらえるものと、そのままのものがある。此処はかえってこなかったように記憶している。また、入国時にかなりの額を負担させられるが、日本で云う自賠責の保険料に当たるものが入っている場合もある。何も取られずに喜んで走っていて事故を起こしたらどうなるのだろう。今から考えるとあれで本当に大丈夫だったのかなと思うことがいくつもある。
土漠の中をひたすら走る。出発前に研究室の2年後輩の清水君から餞別に割り箸を貰った。
砂漠の中で用を足したくなった時の電柱代わりだという。確かに目標物がないのも困るし、かくれるところがないのも困る。この辺りの人たちは、イランでもそうだったが、男性も裾の長いガウンをまとっており、小もしゃがんで用を足す。その方が自然かも知れないと思う。電信柱があっても女性は困る。風で転がる砂漠の草や僅かな起伏を探してあるく。その電信柱をくれた清水君も今は故人。
やがて車はゆるい丘陵地帯に入っていく、この近辺は僅かに草が茂っている。なかなか美しい。車を止めて、お互いに写真を取り合う。
ちょうど写真を撮っている時に、前方から走ってきた二台の軍隊のトラックが急停車した。向こうから車が走ってきたのは知っていたが、路肩に寄せて止めてあるので邪魔にはなりそうもない。急停車したトラックの荷台から銃剣を持った数十人の兵隊が飛び降り我々の方に駆け寄ってくる。<つづく>

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160330

薄曇り。
もう明日で3月も終わりである。
月末近く修復塾のラウンドテーブル、
大谷セミナー倫理委員会と宇都宮行き2回、
応援団定例など重なった。
それでも昨日今日明日と(映画の題名みたいだが)ちょっと落ち着く。

サンショとヒサカキとサワラの剪定。
サンショは落とした枝の始末が痛い。
ヒサカキは温和しい木。
アケビの蔓が絡んでいるのを外す。
サワラは昔は垣根だったのに大きくなったものだ。
かなり太い枯れ枝を落とし樹頂を詰める。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
090. 3/30
ゆっくり昼頃から、国境の町ルトバに向かう。砂漠の中を300キロ、夕方近くルトバに着く。僕にとっては二度目の国境の町である。本当に絵に描いたような国境の町である。前回は一人だったし何処でも良いとキャラバンサライの雰囲気の安宿に泊まったがその道路を挟んだ反対側に壁を白くペンキで塗った2階建てのホテルがある。町と云っても日本の宿場町のような感じで、高い建物は一つとしてない。真ん中のアスファルトの道路の脇に幅の広い砂利のスペースがある。見る限り緑らしいものはない。ペンキ塗りのホテルに泊まることにした。この宿場町の中の建物が殆どらくだ色の泥塗りであるのに多少ましな感じがする。入ってみると外からは分からなかったが、外壁にペンキを塗って差を誇示していることだけはある。ちょっと高級感のあるなかなか居心地のよいホテルである。チェックインする。
夕食を食べて紅茶を飲む。出てきた砂糖壺、銀の砂糖壺で、厚さが6~7mmでずっしりと重い。勿論スプーンも銀製。それぞれ、刻印が打ってある。
外へ出ても、みるところがは無さそうである。一望すると町全体の表側が見えてしまう。裏側は面白いかも知れないがもう日が落ちて真っ暗である。明日の予定を立てて眠ることにする。<つづく>

160329

天気が回復。
青空で陽が差している。
雨に打たれて道路は落ち葉がいっぱい。
サクラは早いところでは随分咲いている。
今年最後の荒牧医院の前のサクラの蕾はまだ堅い。
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シイノキⅦ
こんなところで完了とするか。
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中野たてもの応援団三月定例会。
7月の旅行がだいぶ具体的に進み出した。

ここのところものをなくす。
なくしたのか置き忘れたのか出てこない。
捜し物ばかりしている。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
089. 3/29
次の日、クテシフォン(Palace of Ctesiphon)に行く。パルティア及びササン朝ペルシャの首都。有名なホスローのイーワーンの建設は6世紀半頃と云われている。スパン26メートル高さ34メートルのヴォールは仮枠なしにつくられたという。ミロのビーナスは、腕がないことでかえって印象を強くしているが、このヴォールとも一部だけが残っていることで特異な形と成り、一度見たものを魅了して忘れさせない。
このあとダマスまで一気にと思っていたが、また国境を越えなければならない。夜中にダマスについても迷惑だろうと、勝手にOさん宅を当てにして、ゆっくり行くことにした。
イラク国立美術館をさがす。展示にそう気を遣っているようには思えないのだが、展示品が凄い。世界史や西洋美術史で習った様々なものが展示されている。皆、古く紀元前のものが多い。
楔形文字の書かれた出土品が多数展示されている。粘土板に楔形文字を反転させてサインに使う指輪など楔形文字が広く定着した文化になっていたことを物語っている。
内乱にあって、この美術館が略奪にあったと聞いた時はショックだった。その後、かなりのものが隠され保護されていたと聞いて安心したが、それでも傷ついたり紛失したものはかなりあったようだ。あのクテシフォンは無事だったのだろうか。<つづく>

160328

昨日に引き続いて、
今日も宇都宮往復。
朝から小雨が降っている。
昨日も天気予報では雨が降りそうだったが、
結局降られなかった。
今日も宇都宮でバスに乗っている間にかなり激しく雨が降ったが、
着いたら止んでいた。
栃木病院脇の大谷石の祠。
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近くの廃屋。
宇都宮大学に赴任当時住んでいた一軒家を思い出す。
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夜半東京は雷雨。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
088. 3/28
ケーキのおかげか昨日一日風に吹かれて風邪気味だったのが直ってしまった。一日中バクダッドのまちをうろつきまわるが。大部分の時間は日本大使館をさがしてこれからの旅行先の手続きをすることで費やされてしまった。確か彼女のパスポートの渡航先国にヨルダンとシリアを加えて貰うためだったと思うがはっきり覚えていない。ともかく当時のパスポートは、現在のように幾つかの具体的な国以外何処へでも行って良いという書き方でなく、具体的に行く国しか書き込まれていなかったので、国内ではっきりしない国名を多数挙げても書いてもらえず行った国で、次の国の国名を書き入れてもらうことが一般的だったと思う。
イラクの町は車道の両脇に建物の1階がアーケード状になった通路があり、あちらこちらのアーケードの下で男性が、テーブルを囲みお茶を飲んでいる。(アーケードは、大学をやめる数年前に調査に行った中国広州の近くの騎楼にそっくりである。)バクダッドの街の中には果物があふれていた。何処でこんなに果物が採れるのだろうかと思うほどであった。砂漠の国だけに水気を持つ果物に対するあこがれが強うのかも知れない。果物とソフトドリンクを買ってホテルに帰る。
三日前にテヘランを出発したが、国境に預けてある車が動かなかったらどうしようと内心、無言の脅迫のようなものをずうっと感じていた。昨日の快挙、あのエンジンの唸り声を思い出して改めて二人の旅の始まりを喜び合った。<つづく>

160327

宇都宮についてモスバーガー。

とちぎボランティアNPOセンターぽ・ぽ・ら(藤本信義先生がセンター長) において、
大谷石アカデミー
日本における組積造
~組積造文化財の保存~
について講演する。
大谷アカデミーの一年の経過を説明する安森先生。
大谷石「匠」の技の伝承技術者育成 一期生作品、二期生作品
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新幹線。
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また取り壊し、空き地。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
087. 3/27
イラクの入国はいとも簡単に手続きが終わる。心配していたのだが、イラクからイランに入った時のように一日待たされることもなかった。
国境の町は少し高いところにあったので暫く下り坂がつづく。これがまた幸いした。気がつくとガソリンが底をつきかけている。バッテリーにチャージしなければいけないが、ガソリンがなくなるとそれも大変だ。ニュートラルにして坂を下る。坂を下りきって暫く云ったとこに小さな村がありガソリンスタンドがあった。ガソリンを入れて一安心。中近東は産油国だからガソリンは安い。それに、この車一度エンジンが掛かると時間を空けなければ掛かりそう悪くない。あとはバクダッドまでひた走りに走れば良い。100キロそこそこだ。また、改めて二人の旅が本当に始まったような気がした。
バクダッドの町に入る。なかなかホテルが見つからない何十分か走ってやっとホテルを見つけた。なかなか良いホテルだった。Carton Hotel .
夕食の時間まで少しある。ホテルの近くを歩いてみる。男ばかりでお茶を飲んでケーキを食べたりナツメヤシをつまんで歓談している。二人で歩いているとやたらと人目につく。女性が市場などの買い物にでる以外に外出の少ないイスラム教国らしい。ましてベールをかぶっていない女性は珍しい様だ。ホテルにもどり夕食を食べる。ごく普通の洋食が出てきたような記憶がある。そして、ボーイが最後にデザートのケーキを勧める。今日はさすがに疲れた。糖分が疲れを癒やしてくれそうだ。ケーキもいいかなと注文する。それぞれの目の前に置かれたケーキ、それだけで一食分になりそうに大きく、しかも十分すぎるほど甘い。
町でたむろしている男達はこういったケーキ・食べて世間話をして時を費やしているのではないかと思った。アルコールを取らない代わりに甘いものを食べるといった説明を聞いたような気がする。
疲れた時は甘いものは良いと云うが、さすがに二人とも全部は食べきれなかった。<つづく>

160326

JIA前のサクラ
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JIA文化財修復塾最終講座 第9回講座
ラウンドテーブル
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北海道の函館からも2名参加。
山梨群馬からも参加。
山崎先生の講評。
JIA前の夕日。
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終わってハーブで打ち上げ、

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
086. 3/26
出入国の許可を待っている人、簡単な食べ物や飲み物を売る人、イラクから来る人を待っている人、近くの村から暇つぶしに来ている人、国境の近くには暇そうな人がたむろしているのだが、車を直しているそばに一人二人寄ってきて手伝うことはないかとか、俺は車に詳しいとか、此処が悪いのではないかと親切そうに声を掛けてくれる。よく見ていると、じわじわと近づいてきて修理道具をそれとなくつかんでいじり回して、ちょっと目を離した隙に自分のポケットにしまう。油断も隙もない。焦りと、いらつきを感じ始めた、そんなとき、彼女が、こんなものが落ちていたよと小さなワッシャを手のひらに載せてみせる。
これだ!そのベークライトのワッシャをさっき分解した時に挟まなかったのだ、それでショートして、エンジンが掛からないのだ。きっとそうだ!ぜったいそうだ!もう一度コンタクトポイント部分を分解して、慎重に組み立て直す。さっきの感じではバッテリーももう怪しい。かかれ!
セルを静かに回す。
エンジンがうなる。今でも覚えている一生のうちで何度も味わえないような感動の一瞬。
カイゼルひげの税関の役人、車が動かないことを心配して時々見に来てくれたが、これで出国できるとなった時、心から喜んで手を握ってくれた。
こうしてやっとイランから出国した。<つづく>

160325

良い天気
いよいよサクラが咲き出した。
花冷えですね。
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やはり杉花粉だそうだ。
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新しい踏切信号機。
古いのも撮っておかなければ。
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一日中明日の用意。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
085. 3/25
ホテルを出て、バスに乗る大抵の客は国境を越えてイラクに行くが、僕たちは国境で降りる。午前11時。まず税関に行き、格納庫のような倉庫にカイゼルひげの役人と一緒に車を見に行く。車はそれほど埃もかぶっていなかった。カイゼルひげが日本は好きだという。日本の切手のセットがあるのを思いだしてをプレゼントしたら予想以上に喜んでくれた。幾つかサインさせられて車を持ち出す許可はすぐ下りた。ところがエンジンが掛からない。ともかく押して、倉庫から出しゲートの近くまで持ってくる。もう一度セルを回すが空回りするだけ。長い間放置したからバッテリーもそんなには余力がないはずである。この車は何時もデストリビューターのコンタクトポイントとコイルがおかしくなる。コンタクトポイントの部分を分解して調整する。やはり動かない。コイルがおかしい。リークしているみたいである。すぐ近くのGas shrin という町までコイルを買いに行く。勿論ヒッチハイク。彼女が車の処に残る。コイルはすぐに手に入った帰りはタクシーに乗って戻る。どのくらいの時間留守にしたのか分からない。彼女は車のそばの縁石に腰掛け待っていた。早速コイルを換えたがやはり動かない。もうあと数回セルを回せるかどうか。<つづく>

160324

朝小雨。
昼にはあがる。

ベターリビングで、続けて二つ会議。
学会図書館で、調べ物。
面白いものを見つけた。

田町セミナー。
今日は小林君の吉村順三の話。
新宮殿の話もあった。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
084. 3/24
さて、いよいよ、ハネムーンへの出発だ。
バスはテヘランの市街を西に向かう。やがて郊外にでる。人家もまばらに成りやがて土漠の中をひた走る。所々に小さな集落があって、小さなエメラルドグリーンのドームを載せたモスクがある。このドームに色がどうしてトルコ石のような色なんだろうと前から思っていたが、土漠と日干し煉瓦の景色の中で一番映える色なのではないか、この色をおいて他にないのではないかとさえ思えてきた。
それほど早い時間にバスが出たわけではないので、その日はケルマンシャー泊まりである。ホテルはグランドホテル。二人で450Rial。やっと周囲の煩わしさから解放されたことが実感される。明日は国境を越えてイラクへ。
バスの旅行の良いところは、周囲を見ながら動けることだ。さらに自分の車ならば、気になるものがあれば止まり、ちょっと寄り道など自由にできる。また、特に予定がなければ、バスや電車や飛行機の時間を気にせず、適当に起きて、食事をして、気が向いたら出発できることだ。まさにハネムーンにはうってつけである。しかし、今思うと、時間の制限の無いことはフルに活用させて貰ったが、その頃は早くヨーロッパに行きたくて、先を急いでいたので寄り道ができるという特権はそれほど活かすことはできなかった。<つづく>

160323

曇り空。
でも可なり暖かい動くと汗ばむ。
明日にでも、
おとなの休日切符を買いに行かなければ行けない。

「シイノキⅦ」剪定ほぼ終わる。
途中の段階。
でも可なり軽くなった。
向こうに宙が見える。
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「大谷アカデミー」スライド作成の続き。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
083. 3/23
ユダヤ人と接したのも初めてであったが、黒い帽子をかぶり、ひげを蓄えたイメージからはほど遠いものだった。アメリカで活躍している有名人にユダヤ人が多いが、彼らもごく普通の格好をしている。聞くところではそれほど信心深いユダヤ教ではないということだったが、家族の絆は強くいろいろ生活に制限があるようなことを云っていた。食べ物も大抵のものは食べたが、自分からは食べ物を決める時には選んでいるように見えた。他人の目を気にしてか、お昼は常にお弁当を持ってきてそれを食べていた。
彼から見ると、酔っ払った明くる日の「大切な友達が来たから飲み過ぎて明くる日遅刻した」というような言い訳はとんでもない話で、いろいろな面で仕事に対する考え方は日本人と似ている。
家も現代的なフラット住まいで、西欧的な生活をしているイラン人の住居とも、勿論、ごく普通のイランの庶民の住居とも違っている。
ヴァキリーの私生活にはかなり批判的で、僕が付き合っていることも心配してくれた。見本市が始まって僕がテヘランを一度去る頃まではジェトロの事務所に居たと思うが、小旅行から帰ってきた時にはもうやめていた。それ以来会っていない。<つづく>

160322

春らしい天気だ。
天気は良いのだが、
ぼんやりしている。

野方駅の東端。
将来この先に地下から電車が上がってくる。
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シイノキⅦ。
半分は終わったかな?

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
082. 3/22
見本市の事務処理が多忙になってきた頃、ジェトロの事務所で現地採用の事務員を一人増やした。どうやって募集したのかは覚えていないが、今のようにインターネットがあるわけではないので、イランで発行されている英字新聞を使ったのではないかと思う。
何人かの応募があり、結果として、ゴルバハールという名のユダヤ系の男性が採用になった。ゴルバハールとは綺麗な花という意味らしい。一見アメリカのエリートという容貌であり体格もがっしりしている。云うことも立派なのだがおもしろみに欠ける。
しばらく経った頃、彼の弟が町で楽器屋をやっているというので、その店のディスプレーを手伝った。住所は覚えていないが、割合急な坂道の商店街真ん中だったような気がする。ショウウインドーに形の面白い楽器をテグスで幾つか吊すという極シンプルなものした。
ゴルバハールの奥さんから、家の中に飾る日本風の絵を描いてと云われたが、意思の疎通が上手くいかずだいぶ時間を掛けてしまった。
絵の道具は持ち合わせがないというと油絵の道具一式が出て、この大きさの絵にしてくれとキャンバスが用意されていたが、それがいけなかった。どうも欲しかったのは水墨画だったようだ。<つづく>

160321

天気も良いし、暖かい。
午前中吉祥寺の小学校で、
JIA中野地域会行事として、
子供空間WS「まちをつくろう」を行う。
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教室の標語。
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「話し合いが終わったら、その内容の話はしない」など良いことが書いてある。

午後から成蹊大学建物の見学会。
本館屋上から。
本館講堂、講堂天井裏。
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6号館の見学
横長の教室。
左の黒板に書くと、右のスクリーンにも映像が映る。
右の黒板に書くと、左のスクリーンにも映像が映る。
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そのほかにも、
親水性ガラス+水膜の日射熱の排除
自動換気装置
光ダクトなど多彩な装置。

トラスコン
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
081. 3/21
10ヶ月前、1969年の4月半ばに、東京を発ち南回りでテヘランに着いた。当時は、鉄のカーテンがありソ連や中国の上を飛べなかった。アンカレッジ経由のヨーロッパ路線ができたのもしばらく経ってからのことだと思う。香港、バンコック、ニューデリーとトランジットで経由して、テヘランに着く。預けた荷物の一つが降りてこない。結局、次の経由地までいきそこで確認され、数日後にテヘランの空港に戻ってきた。
当時、ジェトロのテヘラン駐在事務所には、日本からのMさんの他、現地採用のヴァキリーと雑用係のハビーがいた。
ハビーは、郵便局のメールボックスに郵便を取りに行くのと、新聞を建物の入り口で取ること、お茶のサービス、掃除などで、お茶はソ連が近いからかサモワールを使って入れていた。
ヴァキリーには、東大での友人がいる。かつて一緒に日本語を学んだらしい。時々ジェトロの事務所に遊びに来る。名前はシバという。勿論イラン人で日本語はヴァキリーの方が堪能だが、英語がうまい。二人はジェトロの事務所では英語で話していた。
ヴァキリーは酒飲みで、時々二日酔いで遅刻してきてMさんに怒られていた。ヴァキリーの言い訳は、昨夜、古くからの友達が来て、楽しく飲んで遅くなった。大切な友達であり、自分は友達を大切にしている。だから遅れたというもので、要は仕事よりも友情の方が人間にとっては大切で、そのために遅れたのが何故悪いという説明である。日本では殆ど笑って一蹴されるが、二日酔いは別にして、友人を大切にしたという説明はイランではある程度評価されるらしい。イスラムの国に暫く居たわけだが、日本ではばかばかしいと思うことで実は理にかなっているのかなと感じたことがいくつもあった。<つづく>

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春の陽気。
彼岸の墓参り。
常教寺のモクレン
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白鷺の茅葺き民家打ち合わせ。
「タカリバンチャ」デネパリドリンクとモモ
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テーブルクロス。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
080. 3/20
出発当日。よい天気だったような記憶がある。Mさんのお宅を出発する。長距離バスの発着場所まで送って頂く。発着所にヴァキリー一家が見送りに来てくれた。発着所は滅多に行かない南の旧市街地。生活していた北側と違って、あちらこちらに人混みがあり活気に満ちている。
荷物を積んでバスに乗り込む。Mさんとは日本に帰国後、何遍かお会いしている。ヴァキリーとはその後、手紙のやりとりはあったが会ってない。10年程して手紙のやりとりも途絶えてしまった。時々どうしているかなと思う。不摂生な性格で端で見ていても気になるくらい健康に気を遣わないほうであったからその後どうなったか。たぶん、革命にはそう反対の立場ではなかったと思う。パーレヴィ王朝には批判的だったし、コムに偉い指導者がいてその人の力は徐々に浸透してきているといったことを盛んに云っていた。一緒に会いに行こうとも云っていた。そのままになってしまったが、会いに行って見れば良かったと思う。人を魅了するもの凄いエネルギーとパワーを持った指導者だという。もし、間近にすれば、言葉は分からなくとも何かを感じ取れたのではないかと残念に思っている。
時間になりバスが動き出す。盛んに手を振り、彼らも走ってしばらくバスを追いかけてきたがやがて見えなくなる。目頭が熱くなる。
そんなことがあって、やっと二人の旅が始まった。
ダマスから来た道、国境の税関倉庫に往復した道でもある。4回目ともなると周囲の景色も大体見覚えている。バスは西南西に向かってひたすら走る。<つづく>

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朝から小雨が降っている。
昨日までは午後から雨だったのに、
東京は一日中雨か?
昼過ぎには雨が上がる。
シイノキⅦの剪定少々。

大谷アカデミーのスライドづくり。
なかなか進まない。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
079. 3/19
出発前日。いよいよ明日旅に出る。今から思うと結婚したてで何となく全てうわの空だったような気もする。ご厄介になったMさんが最後の晩餐をということで食事を用意して下さった。長い付き合いのヴァキリー一家も最後だからつきあえと云う。ちょっと付き合うつもりが、Mさんのお宅に戻ったのがだいぶ遅い時間になってしまった。折角のテヘラン最後の日と言うことで用意して頂いたのに、後悔あとに立たず。心を込めて頂いたその分、ひたすら頭を下げるしかなかった。
明日乗るバスの予約もしてある。ハマダン、ケルマンシャー経由で国境の町までまでである。現場の書類や旅に必要ないものは、既に日本に送った。忘れてしまったが、明日からの旅行荷物は私のジュラルミン製の背負子の付いた大きめのザック一つと彼女のトランク一つだけだったと思う。このジュラルミン製の背負子は、山の用具の大半をそこで買っていた秀山荘(その頃は東京駅の八重洲口の路地にあった。)で仕入れたもので、アメリカのエレヴェスト隊の使ったものとのことで、もの凄く軽い。勿論中古で、何でこの店の商品なのか説明を聞いた気もするが忘れてしまった。
その頃は、登山靴もスキー靴も革製で、気楽にあつらえて作ってもらえた。しかし、スキー靴などどれもぴったりできたことはなく足が痛くて泣かされた。今回イランに来る時もモッカシンをつくった。イランに行くと行ったら、砂漠の国だ、ジープのような靴が良いと云うことになってつくったと思う。今では考えられないほど重たい靴である。でもこの靴はなかなか足に合っていて1年間足の痛さに悩まされることはなかった。ただ、ビブラム底の靴は現場に行くと溝に泥が挟まり雨のあとなど、ちょっとやそっとではとれずにそこら中を汚して迷惑を及ぼした。<つづく>

160318

だいぶらしくなってきたような気がする。
建材試験センター理事会
監事として出席

人形町にて
鉄造菩薩像。
橘稲荷:もとは御殿山にあったものが江戸城に移され、将軍御典医 岡本玄治に賜る
この辺りに岡本玄治が住んでいたので、この辺りを玄治店という。橘は岡本の性。
三丁目の蔵。
棟飾り。
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日本橋にて
桜のつぼみも膨らんできた。先がほんのりピンク色をしている。
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神田にて
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保険料を振り込む。
今日は地下鉄で帰る。

シイノキⅥの剪定に入るが明日は雨?

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
078. 3/18
Nさんは通産省からからジェトロに出向してきた人で、国会議員の秘書になることが夢だとのこと。今なら分からなくもないが、その頃は全く頭の片隅にもなかった職業で、抱いている興味に不可思議なまなざしで対応してしまったのではないかと思う。決して悪い人ではないのだがお互いに歩み寄れないまま数ヶ月を一緒に過ごした。しかし、Nさんと話ができたおかげで、現在の政治の問題の深層を理解するのに大変役に立っていると思う。また、彼は料理にうるさくそれなりになかなか上手い。Nさんがイランに来てから1月ぐらい経った時、Nさんの奥さんから、大藪春彦特集の「オール読物」だか、具体的な名前は忘れたが厚い雑誌が送られてきた。奥さんがいかに自分を十分を理解しているか皆に聞かせていた。とにかくよい勉強をさせて頂いた。
中近東巡りの旅行に出て、帰ってきてからMさんのお宅の2階。
十ヶ月もいると何かと荷物も増える。荷物をまとめ船便で送るものと、航空便で送るものに仕分けて荷造りをする。他にも挨拶に行きたいところなどあって、どうも明日の出発は無理のようだ。<つづく>


160317

良い天気である。
風もない。

心配事!

今日はやたらメールのやりとりが多かった。
モチノキ剪定が終わる。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
077. 3/17
彼女のイラク入国のビザがまだ取ってないという。慌ててMさんに大使館前まで車で送ってもらいイラク大使館へビザの申請。夜にはヴァキリーから連絡が入りビザがとれたという。素晴らしい早さだ。
イランに来てからかれこれ10ヶ月経つ。着いた当初はそこそこ高級なホテル。一人に成りジェトロのオフィスから歩いて往き来のできるランタンホテルというバスルームが共同の安ホテルに変わる。ポプラの並木のある低層住宅街の中にあるこぢんまりとしてホテルで、初夏の頃で部屋から8畳ぐらいの屋上に出られポプラの新緑が綺麗だった。何故かこのホテルの印象がもの凄く強く残っている。初めての一人暮らしだったせいかも知れない。また、それほど忙しくなく、ホテルで時間を潰すことが多かったこともある。道を歩いていて、時間を聞かれたり、道を尋ねられたりしだしたのがその頃である。しばらく事務所の倉庫で寝泊まりさせてもらったこともあった。見本市が近くなってジェトロのNさん達、見本市準備の助っ人が来てから、数人で一軒家を借り上げ、会期まで共同生活に入る。<つづく>

160316

陽が差している。
昨夜は遅く帰ったこともあるが
寝るのがだいぶ遅くなってしまった。
風が吹いたのか落ち葉がひどい。

モチノキ剪定。
ここのところ万歩計の歩数不足。

今日のテレビドラマ「相棒」最終回の舞台に何故か宇都宮大学工学部が出ていた。
西側のフェンスも。
何で選ばれたのだろう。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
076. 3/16
二人で街の中を歩く。
教会で打ち合わせをした時に、結婚指輪がいるという。
いろいろ見て歩いて、結局パズルのような指輪に決めた。四つのリングが絡み合っていて、うまく組み立てると一つにまとまる。最初にばらした時は組み立てるのにかなり時間が掛かり苦労した。慣れればそんなに難しくないが、今、ばらしたれもう組み立てる根気があるかどうか。バザールの中で買い物などして、何カ所か歩くがよく覚えていない。バンクメリーには行かなかったと思う。今にして思えばあのとき行っとけば良かったとちょと後悔している。
歩いたところは彼女もあまりよく覚えていないらしいが、何でもアメリカ大使館の前を通ったらしい。かなり大きな敷地である。帰国後、何年かして、あの大事件が起こったところであるが、当時は名所でも旧跡でもなかった。<つづく>

160315

今日は快晴だ。
気温は低い。
道路には落ち葉がいっぱい。
赤白まだらのサザンカの花びらが濡れた路面を彩っている。

JIA中野地域会の定例。
珍しく会場が確保できずに東中野で開催。
東中野の夕景
160315-02.jpg 160315-03.jpg 160315-01.jpg

大森事務所
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
075. 3/15
ヴァハニアンさんには工事でお世話になったこともあるが、彼らアルメニア人の会社と仕事をしたおかげで、アルメニアという国が何処にあって、どういう境遇の国で、何故イランに来て建設会社をやらなければならないか、大国に接する小国の悲哀がどういうものか教わった。親あるいは祖父の時代から移り住んでもやはり祖国は別にある。常に紛争を抱えている少数の民族が隣り合っている地域など、日本にいては絶対に実感できない生き方があることを知らされた。
もう一つ、彼は釣りが好きで、飲む時などよくその話を聞いた。一度、休日に虹鱒釣りに連れて行って貰ったことがある。エルブルース山脈の麓の渓谷に出かけ、炎天下、二人で虹鱒を釣った。渓谷といっても日本と違い河原がそのまま広がって大地になっている様なところで、陽を遮るものは何もない。水は澄んでいて、一見して魚など泳いでいそうもない。それでも大きな岩などがあり影になっているところなどに毛針を投げると引っ掛かってくる。
ナンに羊のチーズと名前の分からないハーブを挟みお昼を食べまた続けた。その日は、私が30匹ぐらい、彼が45匹ぐらい釣った。3時頃には切り上げて、河原でラデュースに火を付ける。アルミの弁当箱に食用油を入れ、小さな鱒を選んで唐揚げにして食べた。彼は私より一回り以上年上だったからもう80は優に超えていると思う。元気でいれば、相変わらず鱒釣りなどして楽しんでいるのではないだろうか。<つづく>

160314

今日は雨。
夕方からJIA文化財修復塾Web会議。
往きも帰りもひどい雨。
冬の雨は寒い。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
074. 3/14
見本市の日本館の工事は、アルメニア人の会社が請け負った。アルメニア語は子音が多く、つんつんした感じがする。正確な発音などできそうもない。昔「灰とダイヤモンド」という映画を見たが、その時聞いた発音に少し共通性があるように思う。
アルメニア人の社長は工事が始まってから滅多に顔を出さないが、上棟式の日には羊を引いて現れた。普段は、ヴァハニアンさんという現場監督がいて、中年の頭の薄い小柄な飾り気のない、誠実なよく仕事のできる人物で、早めに仕事が済むと誘われて街の中の立ち飲み屋で、一杯ひっかけた。
野菜をちょっとまぶした羊のヨーグルトを匙ですくってく喉に当て、小さなグラスに注がれてウォッカを引っ掛ける。二三杯飲んで帰る。
イランはイスラム教の国の割にはアルコールに寛容である。ワインもカスピ海沿岸ではつくっていて結構いけるものもあるらしいがあまりこれはというものに当たらなかった。
イランに戻り、久しぶりですが元気ですかと電話するとヴァハニアンさんがすぐ出てきてくれて、数ヶ月ぶりで、ウォッカを一杯あおり、あとはビールを飲みながら工事中の想い出などを話した。彼は、日本は木の文化の国で、イランは煉瓦の文化の国で、その根本的な違いを理解して墨出しのやり方や、テラゾーブロックの工事、塗装工事などのやり方を説明してくれた唯一人の工事関係者であった。<つづく>

160313

曇り空。
推薦理由書の提出。
アドレスの変更を流したら、
思わぬ方々から連絡を頂いた。
植木屋モチノキに登り少しいつもより多めに剪定。
40年前の物語を書いていると、
いろいろなことが思い出されてくる。
ついつい横道にそれそうになるのを押さえてきたが、
やっと出発にたどり着いた。
ここらあたりからもう少し自由に書こうかと思う。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
073. 3/13
それでも、テヘラン郊外シュミランに建つ日本風の別荘の設計は何とか目処も立ち、最後の打ち合わせに入る。建物そのものは大変気に入って頂いたが、その資材をどうするか?畳、 障子、襖、それに瓦等々。柱はスティールの角パイプにしたが、その色など。イランの中で似たような瓦を探したが、色が合わない。悩んでいると、日本から取り寄せるという。それができるならと言うことで、一気に話が進む。関屋産業のMさんも、ものさえ手配してもらえれば、輸送は引き受けると云って下さる。
この時点では、帰国後改めて、ダマスで仕事をするつもりになっていたので、工事現場にも顔を出せると考えていた。
一通り説明をして、よいと云うことに成り、2月25日に終了。明日、図面と仕様書にかなりの数の説明図とスケッチや透視図を渡すことになる。当時はカラーコピーなどないからモノクロのスケッチの何枚かが残っているのみである。工事の方はイランのペースでゆっくりやるという。設計料は当初の契約通り1000$。それはよいのだが初めて見る1000$札一枚。【クリーブランドの肖像。スティーヴン・グロバー・クリーブランド(Stephen Grover Cleveland 1837年3月18日 - 1908年6月24日)は、第22代および24代アメリカ合衆国大統領(任期:1885年 - 1889年、1893年 - 1897年)。歴代大統領で唯一、「連続ではない2期」を務めた大統領である。また、歴代アメリカ大統領の中で唯一、ホワイトハウスで結婚式を行った大統領としても有名である。また、ニューヨークの自由の女神像の除幕式に参加した大統領でもある。なお日本語では「グロバー」と表記されることが多いが、英語の発音は「グラヴァー」である。】<つづく>

160312

天気は回復した。
九紫大安
ということで、
顔合わせ。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
072. 3/12
結婚式のこと。2月14日、イタリアンカソリックの教会で結婚式。Mさん夫妻、ヴァキリーの家族が立ち会ってださる。<つづく>

160311

小雨が降っている。
また少し寒さが戻ってきた。

何とか雨もあがり、
植木屋少々。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
071. 3/11
あっという間に2月11日になる。羽田発のヨーロッパ行きの飛行機はテヘランに真夜中に着く。夜中の12時頃、Mさんの家を出て空港に向かう、ヴァキリーと彼の妹さんがつきあってくれる。やがて飛行機がつく。だいぶ待って彼女が出てくる。その間のことはあまりよく覚えていない。何か出てきて、手続きが大変だったというようなことをいい、僕は「ざまあみろ」といったのだけ覚えている。上空方見たテヘランの街の夜景がもの凄く美しかったという。
Mさんのお宅の私のご厄介になっている2階の予備室でしばらくお世話になることになった。積もる話、といってもお互いに毎日のように手紙のやりとりをしていたので、手紙の連絡の取れなくなった此処10日ぐらいの話に集中するが、あっという間に朝になってしまう。彼女が来てから、別荘の話が完全に終わるまで、毎日をどうやりくりしていたのかあまり覚えていない。<つづく>

160310

朝8時45分 曇っている。
今日の天気予報は曇りのち雨。
区役所:国民健康保険の計算 やっぱり任意継続の方が良いかな。

野方の彼岸桜
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
070. 3/10
テヘランに帰ってきてから急に慌ただしくなった。別荘の設計だけではない。そろそろ彼女が来るという。私の父親からもMさんに手紙が来たようだ。着くのは2月11日の夜中らしい。
東京からはMさんが立ち会って下さればそれで十分と連絡が来ているようだが、やはりそうもいかないと結婚式を挙げるところを探して下さっている。ところがいざとなるとなかなか見つからない。私は折角イランにいるのだからモスクがよいと思ってヴァキリーに相談したが二人ともイスラム教徒でなければいけないという。そうなると、確かにお寺やお墓のこともあり、冗談半分に4人の奥さんがもらえるイスラム教徒に改宗するわけにはいかない。キリスト教の教会もテヘランには幾つかあるようだが、二人とも洗礼を受けていなければいけないなど条件が付く。それでもイタリアンカソリックの教会が受け入れてくれた。
別荘の仕事はまだ終わっていない。彼女が着く前に終わらせたいと思うのだが、なかなか思うように進まない。材料の問題、設備製品の打ち合わせなど以外と時間を食う。業者と打ち合わせをして何日までに詳細を持ってきてくれと頼んでもその日にできてこない。
遅れると困るから間に合わせてくれと云うと、「ファルダー」という。明日だという。これは見本市会場の工事の時から悩まされていたが、神様でない我々がそうぴっちりしたことはできっこないと云う考えで、できると思う方が不遜だというのである。明日になってみないと明日のことは分からない、明日には何とかなるさ、などという意味合いで「ファルダー」という。確かに、日本でも「一寸先は闇」などと云う。未来のことは分からないのは確かだがそれを良いことにして努力をしないのが頭にくる。
それでも余裕があるうちは、そういう考え方も確かにあるなどと認めようとするのだが、切羽詰まっている時にファルダート云われるとやはり頭にくる。ジェトロのNさんも、ダマスのOさんもしょちゅう頭にきていた。
そんなことで、結局彼女が到着してからもまだ打ち合わせをしたり図面を描いたり焼いたりがつづいていた。<つづく>

160310-02.jpg もう春ですね。

160309

朝は雨こそ降ってないがどんよりしている。
だいぶ暖かくなってきた。
昼前から雨が降り出し、
一日中降っていた。
文化庁国立近現代建築資料館の「みんなでつくる方法吉坂隆正+U研究室の建築」を見に行く。
来賓の写真を撮るKさん。
160309-01.jpg 160309-02.jpg 160309-04.jpg
160309-05.jpg 160309-03.jpg 古い煉瓦の塀。

帰りに教文館9階によって帰る。
「日本近代建築の父 アントニン・レーモンドを知っていますか」をやっていた。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
069. 3/09
第二回アジア国際見本市も終わり、ジェトロのテヘラン事務所も平常通りの落ち着いた業務に戻っている。何か居候の私一人がかけずり回っている感じがする。寝食以外は、日本風別荘の設計と急に慌ただしくなった日本との詰めの連絡で毎日が過ぎていく。
これから先の旅行は、航空機を使うわけでもないから旅行代理店に頼むこともできない。「地球の歩き方」と云った便利なガイドブックもない。それでも、ダマスまでいけて、ダマスからテヘランまで来られたのだから、今度も何とかなるだろうと思う。
陸路、ヨーロッパに抜けるにはいろいろな道があり、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーと東欧を抜けることも不可能ではなくなっていたようだが、一番楽だと云われているのは、ギリシャ、ユーゴスラビアを抜けてイタリアに入る経路だ。今であれば、東欧の国々に行きたくなり、それらの国のビザを全て取りたくなるかも知れないがそんな余裕はなかった。楽だったのは、現在のマケドニア共和国、ユーゴスラビア連邦共和国、クロアチア共和国当時はまだチトーの力が残っており、ユーゴスラビアとして統一されていた。スコピエもベオグラードもザグレブも皆ユーゴスラビアの都市であった。ギリシャからイタリーまでビザがいる国はユーゴスラビア一国であった。今にして思えばチトー(本名はヨシップ・ブロズ。「チトー(Tito)」という名前は、「お前(Ti)があれ(to)をしろ」という横柄な文章から取られたもの。冗談のネタにもなった。)がいかに偉大な統率能力の持ち主であったか、主義主張はともかく、いかに多くの人たちの命を救ったかと改めて見直してしまう。ということで、ユーゴスラビアのビザを取りに大使館に行く。全く問題なく取得できる。<つづく>

160308

天気が回復した。
確定申告終わり。
税務署の南側(左側)のプレハブがなくなった。
それで相談窓口が新宿に移ったみたいだ。
移ったので壊したか?
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区役所の地球環境の部署により早稲田通りを通って帰る。
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夜の窓シリーズ。
160308-04.jpg 160308-05.jpg 天井に空の絵が描いてある?

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
068. 3/08
トイレの話で一休み
昨年の夏の終わり頃、見本市の会期が近づきジェトロの事務所も忙しくなってきた頃、新しく現地採用の若い女性が加わった。なかなかの美人で英語もうまく仕事も早いようだ。彼女はトイレに行く時ハンドバッグを持って行く。日本なら当たり前なのだが、ヴァキリーなどイラン人男性は西洋かぶれだと馬鹿にする。
地域によって、紙以外に、砂であったり、水であったり、いろいろの習慣がある。イランでは水を使う。トイレの中に細い筒先から水の出る水差しが置いてあったり、細いホースの付いている蛇口があったりする。紙は要らないからせいぜい手を拭くハンカチがあれば良い。特にハンドバックを抱えていく必要もない。ついでに化粧直しをしたりとも思うのだが、ジェトロのオフィスの洗面所はトイレとは別にある。わざわざハンドバックを持ってトイレに行く女性を西洋かぶれだというのである。何となく云いたいことも分かる気がする。
反対に我々は気をつけないと白い目で見られることもある。
郊外や、地方都市などに行った時に、特に公園などの公衆トイレの入り口には、おばさんが小さな木の椅子に座ったり、地面に直接小さなカーペットを敷いたりして座って居る。水差しを用意して渡してくれるのだが普通僅かだがチップを渡す。水を使わない我々は、無視して前を通る。出てくると、不潔とケチという二重のさげすみの目で見られる。水以外に頭に浮かばない人から見れば当然である。チップを払う小銭も出せないのかということにもなる。
最近日本でもウォシュレットが普及してきたが、おこげができる電気釜同様イランの人気商品になっているのではないだろうか。<つづく>

160308-03.jpg これも夜の窓。

160307

久しぶりに雨
そう激しくもなくよいお湿りになってくれればよいが。
雨もあがる。
夜の窓。
160307-01.jpg 160307-02.jpg

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
067. 3/07
アジア国際見本市の会場は、テヘランの街からシュミランという別荘地に登っていくパーレヴィ通り(という名前ではなかったか?)の西側に少し入ったところに位置する。所々に草が生えた土漠の中である。
西側に向かう道路はゆるい登り坂でその先少し下る。反対側から車が来ると車の底が見え、車体と道路の間に空が見える。真っ青なそれが見える。何故か印象的で、この道を通る度に、その道路が一番高くなっているところで、反対側から車が来ないかと期待していたのを思い出す。
これは、日本館の工事が本格的に始まる前の話であるが、見本市の会場には電気・水道は引かれているが、整備され始めた敷地内の舗装道路を見ても下水はありそうもない。勿論日本館にもトイレが必要である。汚水処理はどうするのかと思っていたら、浸透井戸を掘るという。井戸掘り専門の職人が来て、足場丸太3本で櫓を建て、穴を掘り出した。石がごろごろしたところで掘りにくそうなのだが、なかなか手際がよい。櫓に付けた滑車をつかって、ロープでにザルを付け土砂を掻き出す。やがて掘っている職人の姿も地中に隠れてしまう深さになる。穴の大きさと変わらないような一抱えあるような石が出てくる。穴の中をのぞき込んでもどうやって掘っているのか分からない。深さ6~7メートルになったところで、横穴を掘り進めてある程度の広さになったら完成である。
ここはテヘランの中心街から車で20分ぐらいの距離が在る土漠の中である。それでこの様な浸透式の井戸を掘って、汚水の処理をしているのだと思ったら、街の中のオフィスビルもホテルもデパートも同じだと聞いて驚いた。街中、地中には浸透式の汚水処理の井戸が掘られているわけで、高層ビルが建ち、一見素晴らしい近代都市テヘランの街は全て汚水井戸の上に構築されている。イメージがすっかり変わってしまった。地下水が出ず吸水性が高く地盤がよいから成り立っているのだと思うが、今でも相変わらず同じシステムで成り立っているのだろうか?<つづく>

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160306

だいぶ暖かくなってきた。
天気もよい。
今週は忙しいぞ。

書類をつくるが捗らず。
別の推薦文を書き始める。
こちらの方は何とか目処がつく。

マテバシイをちょっと剪る。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
066. 3/06
イラクとの国境に車を置いてきた以上、出国はイラクに向けてということになる。イラクのビザを申請にイラク大使館に行く。場所が分かりにくいからとジェトロ事務所の雑用をこなしているハビーさんが案内してくれる。東京にもイランばかりでなく、イラク、ヨルダン、シリア、トルコ、ユーゴ、ギリシャなどのビザに申請をしておいてと頼む。
この日の夕方、ヴァキリーの従兄弟がヨーロッパに行くというので壮行会があって参加する。既に帰りの足がなく、ヴァキリーも酔っ払って仕舞ったので彼の家に泊まる。
明くる朝、イラク大使館にビザを受け取りに行く。
ここのところ食事と雑用以外は、ただただひたすら図面を描き続けている。<つづく>

160305

曇り。
あまり寒くない。
3月に入ったと思ったら今日で最初の週が終わり。
今月は何かと忙しい。

東工大の創立110周年の記念行事。
難しい話を聞きに行く。
たまには良いかな。
あたりや 8人 キヨちゃんも元気。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
065. 3/05
明くる朝、4時に起きる。確実に乗れるバスはそれしかない。国境を越えてくるバスもあるが、座席があるとは限らないという。4時半出発のバスに乗る。ガラガラかと思ったら、ほぼ満席である。トイレ休憩があるのも日本同様である。止まる度にお茶のサービスがある。かたい角砂糖を口に放り込んでお茶を飲む。
日本でも角砂糖をイランに輸出したことがあったが全く売れなかったと聞く。角砂糖を口に放り込んで、お茶を口に含むと角砂糖が崩れるように溶けてしまう。これではだめだという。口の中で角砂糖が少しずつ溶けていかなければ美味しく飲めないのだという。
角砂糖の高級感が国の習慣によって左右される。
同じようなことが、電気製品の輸出でもあった。イラン米に合わせて電気釜を開発した。よく炊けるこれは売れると思ったが、ちっとも売れない。市場調査をして分かったことだというが、イランに少し住んでいれば気付くことだともいえる。ご飯を炊く時にサフランを入れ、黄色く色づいたご飯にする。お赤飯がピンク色をしているのと似ているが、違うのはおこげがあることだ。そこが貴重でお客には必ずそのおこげを出す。しかもおこげがよく見えるようにお釜の形そのままの曲面でその一部を付ける。サフランのご飯ばかりではない。白いご飯のおこげも好きである。ただ薄茶色のおこげとサフランの色の取り合わせの方が綺麗だし好まれているようである。
ということでこげずに炊けてしまう電気釜など買いたがらない。少なくともイラン製の電気釜にはその工夫があるようだ。日本でもおこげのできる電気釜に開発し直して売り込んでいるようであるが、その売れ行きについては知らない。
バスはゆっくり休みながら走って、テヘラン到着は夕方の5時。<つづく>

160304

青空だが蒼の色がやや薄いような気がする。
春霞か?
千駄ヶ谷駅の戦災遺構
160304-01.jpg 160304-02.jpg

JIAサミット会議、Ⅰ部、Ⅱ部とつづく。
Ⅱ部の市古さんの話。
「事前復興まちづくりの実践と有効性」
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
064. 3/04
出国・再入国、関税などを考えて、暮れに通った国境に車を保管して貰うことにした。トルコの国境でもよかったが、できれば、イラクも見たかったし、ダマスにもう一度寄りたかった。設計の仕事は少し休んで、国境まで車を置きに行くことになった。テヘランで関税関係の事務手続きを済ませておいた方が楽だろうと、ヴァキリーが協力してくれる。確認を取ると、やはり使用期限ひと月の延期は不可能ということである。国境での関税倉庫保管の手続きを済ませる。1月23日、朝8時過ぎにテヘランを出発しハマダンを抜けて、ケルマンシャーに夕方4時頃に着く。幸運なことに山道の雪は殆ど消えており、チェーンなしに峠を越えられたが明日も山道がある。ホテルを見つけて泊まることにする。国境の町Khosroviまであと約200キロ。
結局、雪道を通らず国境Khosroviに着く。書類をテヘランでつくってきたので、手続きはいたって簡単。大きな格納庫のようながらんとした空間のその辺ならどこでもいいよと指示された場所に車を止め、バッテリーのコードを外し、受け取りを貰って終わり。さて帰りだが、今度は車がない。前にも行ったことのある近くの村(町というより)Qusirinまでタクシーに乗る。バスのことを聞くが、ケルマンシャーからでないとテヘランなどへ行く長距離バスはないという。しょうがないのでまたタクシーをつかまえ値段の交渉をしてケルマンシャーまで頼む。かなりの距離があるのだが70Rialと意外と安かったような気がする。さすが産油国である。バスは明日にならないと無いということで、チケットだけ先に買う。155Rial。昨日泊まったホテルにまた一泊する。ワインを飲んでさっさと寝る。明日はバスの時間に合わせて早起きしなければならない。<つづく>

160303

今日も晴れている。
桃の節句は墓参り。
160303-05.jpg 仲通り商店街

若宮・目黒・富士見町・等々力
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神保町にて。
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ときわぎのお雛様のお菓子を食べる。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
063. 3/03
テヘランに帰ると幾つか手紙が来ていた。日本からの連絡もあった。返事を書く。
アルファは一晩止めておくとスタートしにくい。これを何とかしなければいけない。寒さを我慢しながら車を整備をする。ついにコンタクトポイントの調整がかなり不良であることが分かった・・・・・と思った。調整し直すとエンジンの掛かりがスムースになった。これで暫くは心配ないと・・・・・思ったが明くる朝になるとやはりエンジンの掛かりが悪い。自分で直すのをあきらめて修理工場に持って行き見て貰う。多少改善はしたもののそれでも根本的には解決したとはいえなかった。
とは言えエンジンの掛かりが多少よくなったので、カナートの水が低い方から高い方に流れているように見えるところがあるというので行ってみることにした。周りの地形との関係で目の錯覚でそう見えるらしいことは分かるのだが、一見水がどんどん登っていくように見える。実に不思議な光景である。
榎本さんと王様の義理の従兄弟に会い別荘の設計の打ち合わせをする。暫くは設計の仕事がつづく。別荘は茶室風のものがよいのではないかと云うことになっていた。そう出鱈目つくるわけにもいかず、日本から取り寄せてあった何冊かの本を参考に詰めていく。そうこうするうちテヘランに戻ってから一ヶ月近くが過ぎる。車の使用期限が切れる。一回、出国して再びイランに入国させるのもひとつの手である。もう一つは出国するところを決め、そこの関税事務所に車を保管して貰う方法である。<つづく>

160302

雲一つないよい天気。
鷺宮住宅撮り直し。
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三岸アトリエのドアの色。
古いペンキの跡。
さて、別の色で下塗りなどしているだろうか。
幾つかそれぞれの色で塗るところがあれば、同じ色で下塗り?
でもそれがオレンジだとは思えない。
最初のドアの色はオレンジ。
160302-06.jpg

近くで。
立派な門の家。
柱頭の納まりが面白い。
少し歩いて庭の小屋。
亜鉛鉄板の上のペンキが剥がれている。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
062. 3/02
イスファハンでの用事も終わり帰途につく、途中でヤズドの町に立ち寄る。ヤズドの街はその厳しい気候に対処するために特異な建築がつくられた処として有名である。何で松下さんがそこに興味をもたれたのかは知らないが、建物の中にも入り見学させて貰う。残念ながら真冬なのでこの建物の夏の真価は実感できなかったが、大変貴重な見学をした。ヤズドの建築は、パッシブ建築がいわれ出してから有名になった砂漠型の伝統的ペルシア建築で街の中に複数存在する。このヤズド特有の建築は、夏の著しい暑さに対処するため、大きなバードギールと呼ばれる風抜きの塔と地下室に地下水を利用した泉水をつくることで室温を下げ心地よく暮らせる工夫をしている。また近傍の山地にある氷を蓄える氷室(ヤフチャ-ル)備えるものもあるとのことである。ほぼ全体が日干し煉瓦で建築された都市としても世界最大規模だという。ヤズドはその気候により世界最大の、カナート網を持ち、地下室の泉を支えている。そのカナート職工の腕はイランで最も熟練したものとされている。ゾロアスター教の文化遺産の中心地としても有名で、また市中には拝火神殿がある。この神殿の火は西暦470年から連綿として燃え続けているものである。ヤズドのゾロアスター教徒の人口は2万から4万、比率にして5%から10%で、重要な少数派としての地位を占める。コムの町を通りモスクを見てテヘランに無事帰る。飛行機の旅行は点と点でしか繋がらないが、自動車の移動は少なくとも線で繋がりが得られ時には多少面的な広がりが認識できる。イスファハン、シラズは2度目であったがそんな意味で貴重な体験ができた。<つづく>
プロフィール

konishikonishi

Author:konishikonishi
http://www.524to524.comを参照して下さい。

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