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160229

雨になるらしい。
今日は閏の29日。
大切な一日。
ネットが繋がりにくく無駄に時間が過ぎていく。

中野たてもの応援団定例会議。
スマイル中野にて。
前野先生(名誉会員)もご出席。
新会員も出席。その名刺がふるっている。
本日初出席と書かれている。

どうやら雨には降られなかった。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
060. 2/29
シラズ イスファハン
二度目のペルセポリス。一度目は難波さんと来た。
難波さんは数年前にインドに行ったがインドの建築は凄いという。インドの石の建築に比べて、煉瓦のイランの建築はひとクラス下のものに見えるといっていた。ペルセポリスは石の建築、これについてはまた違った目で見ていたような気がする。
ペルセポリスは南北470m、東西380mの高さ18mの基壇の上につくられている。前回来た時修理中であった万国の門ほぼ修理が終わっていて中は自由に歩ける。
前回見なかった敷地内にある博物に入る。ギリシャまで侵攻した壮大なペルシャの歴史とともにペルセポリスの説明、出土品、修復の歴史などが展示されている。
ゆっくりとペルセポリスを見てから、すぐ近くのダリウスⅠ世、クセルクセスの垂直の崖に十字形に彫られた墓を見てから、拝火教の神殿などを見る。死者をそのまま身近に置いておこうとする意識がないせいか、エジプトと違い何かおどろしさがなくからっとした感じがする。拝火教はゾロアスター教ともいい、今でも僅かな信者がいるとのこと。イスファハンに戻る。シャー・アッバス ホテル泊。

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160228

今日も晴れ。
日が傾いてから風が出て寒くなる。

電力の自由化
選んで電気を買えるということだが、

発電所が増えたわけでもないし、
送電線の鉄塔が増えたわけでもないし、
家庭に引き込む電線を引き込み直すわけでもなさそうだ。
勿論、再生エネルギーの為の風力発電や、太陽光発電は若干増えたが、
多くの人たちの希望を満たすほどではない。
小規模な電力会社が災害を受けた時、
その電力を買っている人だけ電気が止まるのか?
等々分からないことがいっぱい在る。
電力の自由化のシステムを少し調べてみよう。

中野たてもの応援団
茅葺き民家お掃除会。
帰り道に気になるところによって見る。

鷺宮住宅
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大和鹿鳴公園
遊具がないのに常に子供が遊びに来ている。
心地よさがある。
もとお屋敷だった公園。
鹿鳴館の礎石が使われているという。石に刻印が幾つか見られる。
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Gable
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築地塀と竹垣
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
059. 2/28
明くる朝、まずは王の広場(1611-1617)に行き、モスクを見てから広場を囲むアーケードに並ぶ店を見て歩く。銀の皿に模様を彫り込んだり、更紗に使う木の型を彫っている職人がいる。造りながら売っている。
松下さん夫妻はイスファハンのバザールでイスファハン更紗など買い物。今回の旅行の大切の目的の一つでもある。
カーペットもよいが嵩張るのでイスファハン更紗が人気がある。松下さんが買い物をされている間にバザールの中の店を見て歩く。カーペットの店が多い。店員だか店主だか分からないが、いろいろなカーペットを薦める、こちらは全く買う気もないので、ふんふんといって聞いていると、もっと上質なものを望んでいるのかと絹のカーペットを出してくる。絹のカーペットは比較的薄く艶がある。糸も細いので織るのには相当な労力が必要だ。
アンティークカーペットを扱っている店もある。絹のカーペットの中には色といい毛足のすり減り方といい工芸品を越える素晴らしさを持つものがあるが値段も素晴らしい。ものによっては1メートル角に満たないもので何百万もする。
イランではカーペットを道路に出して車にひかせる。フカフカしたカーペットよりも毛足が使い込んで薄くなったカーペットを好む。床に敷くだけでなく壁に飾る。アンティ-クの絹のカーペットもそうだ。博物館に行くと毛足のなくなって薄くなった何世紀も前の絹のカーペットが飾られている。
テヘランの近郊にアブアリという地名のところがあるが、アブは水でアリ(ポピュラーな人の名前)の水といったような意味で、水が豊富で緑がある行楽地だ。晴れた日の金曜日にアブアリに行くとカーペットを洗い水際の岩の上に広げて干している。それも一枚や二枚ではない色とりどりの大きなカーペットが岩の上に何十枚も並び壮観。
イランからの出国の時は税関で必ずカーペットを持っているかと訊かれる。当時、イランの輸出の中で一番高額なものが石油、次がカーペットだったと記憶している。
買い物を済ませて、シラズに向かう。パーク・シャーホテル泊<つづく>


160227

青空。寒い。
杉並たてもの応援団のS邸実測のお手伝い。
行く途中で白山神社。
途中を公道が横切っている。九品仏のお寺の参道もそうだった思う。
おみくじを引いた女性がそれを見ながら歩いてきた。
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S邸にて。
日本家屋と西洋館。西洋館の2階からサクラが見事だろうと思う。
三菱電機の電気ストーブが印象的。
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玄関脇のステンドグラス。
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帰り道にて。
ここにもステンドグラス。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
058. 2/27
イスファハン・シラズの旅
元旦、大使館に年賀の挨拶にゆく。大使館のあるテヘラン北部は雪が積もっている。
松下さんが暑い正月大変でしょうという年賀状をよく貰うと笑っていたが、僕も同じような年賀状を貰った。ほぼ東京都同じ緯度で高度もあるテヘランのことを中近東だということで、アラビヤ半島の砂漠をイメージして暑いと思い込んでいる日本人が多い。北側にそびえる山々は真っ白だし、テヘランの街も冬はかなり寒い。
またイランは緯度が似ているので水さえあれば米ができる。イラン人はお米をよく食べる。テヘランの北にそびえるエルブルス山脈を越えカスピ海側に降りると、その違いは上越国境のトンネルを越えたぐらでは済まない。砂漠の国ががらりと変わり、木が繁り水田があり、紺の絣の女性達が赤いタスキをして菅笠をかぶり田植えをしている。絣でも、菅の笠でもないだろうが遠目にはそう見える。始めた見た時ここもイランかと驚いた。
大使に年賀の挨拶を済ませて松下さんのクリーム色のオペルで南に向かう。ご夫婦とお子さん二人と私。私の参加で長旅にはちょっときつくなってしまった。イスファハンまで約3~400キロ。コムの街を通過したが、ほかに大きな都市はなくただひたすらに土漠の中を南進する。砂漠の中の小さな集落が点在している。低温で焼き上げた土色の煉瓦を積んだ家が殆どである。大地と建物が連続している。規模の小さな集落にも必ずモスクがありドームが載っている。外壁は民家と同じらくだ色の安いタイプの煉瓦でもドームの部分だけトルコ石のような色をしたアラベスク模様のタイルが貼ってある。イランのことを調べていた時に何でイラン人は、この色が好きなんだろうと思ったが、イランの土漠と云った方が正確だが、みな砂漠、砂漠と呼んでいる荒涼とした地の中に出てみると、一番鮮やかに映える色がこの色だということが分かった。
時々、ばかでかいトレーラーやタンクローリーと行き違うが車の量はそれほど多くない。午後明るいうちにイスファハンについてホテルにチェックインする。<つづく>

160226

よい天気。
午前中等々力へ。
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工事途中とはいえ、
渋谷のJRと地下鉄(銀座線は別)の乗り換えは何とかならないものか。
行きも帰りもエスカレーターは逆向き。
別の通路を試みたが、上ったり降りたり長い道中で嫌になる。

中野区の妻飾り Gable
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原田宏二「警察調査の正体」を読んでいる。
講談社現代新書 2352
元警察官として、「テロの防止、凶悪犯人逮捕という大義名分のもと、
「警察国家」への道が強化されつつあるように見える。
と警鐘を鳴らしている。
駅からの帰り商店街のを見上げながら帰ってきたが、
防犯カメラらしきものがそこら中に設置されている。
悪さをする人には何らかの効果があるかも知れないが、
大部分の関係ない人が映し出され、記録されている。
今や写真等で即座に誰彼を特定することも可能である。
その分,
人と人の繋がりは希薄になり、
信頼関係が消えていく様に思われてしまう。
防犯カメラ。
しかし、防犯カメラを写真に撮っているとそれが防犯カメラに写って何だと云うことになる。
ということでブレた写真だけ、撮るのはやめよう。
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荒牧医院
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変な家
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
057. 2/26
新年お目出度うございます。
1970年になってしまいました。
正月休みを利用して松下一家がイスファハンとシラズに旅行するという。補助の運転手、子守という名目を作って下さり、お供することになった。イランについて、日本館の工事の契約が成立した時に、難波さんと二人で同じくイスファハンとシラズに行った。その時は難波さんの帰国も迫っており飛行機を利用した。
イランの王様の飛行場利用と重なり、道路は閉鎖されやっと時間に間に合ってみれば、王様が乗る飛行機が飛び立ってからということで、我々の乗る双発の飛行機が飛び立つのはさらに遅れる。この頃は、まだ中近東のぺースに慣れていなかったので、やきもき、いらいらしたのを覚えている。
テヘランの町では西洋化が進み、頭から薄い布をまとっているが、それを蹴飛ばし、日本でもまだ流行りだしたばかりのミニスカートを自慢げに見せて闊歩している。イラン人も概して頭髪は黒いが、脱色して金髪に染めている若者が結構多い。これなど日本では僕が宇都宮大学へ行ったあと流行りだしたから何十年か進んでいた。そして私の目には街の中に活気があり安定しているように思えたが、不満はかなり強かったようで、それが後にホメイニ師の革命に発展していった。そういえば、ジェトロの現地職員のヴァキリーがコムの町に人望があり、民衆の心をつかんだ人がいて、もの凄い力を持っているといっていた。ホメイニ師のことだったので、見に行ってくればよかったと残念に思っている。
帰りも同じ双発の飛行機に乗ったが、窓の外を見ると片方のプロペラが止まっていた。機内放送があったのかも知れないがそれほど大騒ぎもしていなかったように思う。そのうち両方のプロペラが回り出し無事テヘランに戻った。<つづく>

看板建築と商店街
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サクラの幹
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昨夜、雪が降ったらしい。
気がつかなかった。
道路には雪がないが、
まえの家の屋根が白くなっている。
清泉女子大ジョサイア・コンドル
前の木はフウの木
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JIA文化財修復塾Web会議

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
056. 2/25
日本館を出て、一通り見本市会場を見てから、JETROのオフィスに戻る。現地採用のヴァキリーも、戻ってきたことを非常に喜んでくれた。夕方になって旅に出る前によく行った、明るい現代的なファミレスのカッレジ・インで食事する。
たまたま今夜、彼の弟が結婚式を挙げるので、見に来いという。
普通の格好でもよいのかと聞いたところ、今日は儀式で披露宴でもないし、身内だけだから構わないという。ユダヤ系の現地採用のゴルバハールの家族の結婚式にも参加させて貰ったこともあり、興味もあるし、好奇心の対象でもある。付いていくことにした。
ところが着いてみると取りやめ。何故かというと、この結婚に父親が反対で、今日の式は中止になったらしい。まだまだイランでは父権がかなり強いとのこと。
つぎのひ関屋産業の遠藤さんと連絡を取る。遠藤さんは王様の従兄弟の会社と取引があり、その従兄弟に仕事を頼まれている。テヘランに帰ってきたので、作業再開のため会うことにした。そして1969年も大晦日になる。<つづく>

160224

雨こそ降ってないが陽も出ていないし風もあり寒い。
建材試験センター
構造・動風圧試験棟 地鎮祭出席のため草加に行く。
そろそろ地鎮祭が始まる。
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その後、ベトナムからの帰国報告会に参加
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歌壇:新聞によって選ばれる歌も俳句も川柳も随分違うものだ。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
055. 2/24
午後3時過ぎにテヘランに帰ってきた。何となく懐かしい生まれ故郷に帰ってきたような気がする。一度離れなければ分からないテヘランの町への愛着みたいなものだろう。
まずはMさんのお宅に顔を出す。
今日は暮れの27日である。10月16日にテヘランを出てから約50日である。2週間で帰る予定であったので、どうしちゃたのかと心配頂いた。
結局しばらくMさんのお宅の2階の予備室でお世話になることになった。
ゆっくりと休む。やはり、ダマスからテヘランまでそんなに日数が掛かった訳でもないのに疲れたなという感じがする。
明くる日、アジア国際見本市の会場に行ってみる。会期の前日に逃げ出したので、見本市そのものは見ていないし、既に見本市も終了している。話によると、会期の前日、僕が出発した日だと思うが、その日の夕方、雨の少ない季節に異常な大雨が降って大変だったらしい。理科年表も当てにならない。屋根はテントで普通の雨には支障ないが、勾配が小さいので、大雨になるとテントの上に水がたまって仕舞う・・・・・・。その場にいたら随分と苦情が出ただろうと思い胸をなで下ろす。仕事が終わったらさっと居なくなりなさいとアドバイス頂いたNさんに感謝。
テヘランの町は、北にエルブルス山脈があり緩やかな南傾斜である。下の方に旧市街があり、オフィス街を挟んで、住宅街がある。見本市会場はさらに高いところにあり、その上に少し離れて別荘地がある。幹線道路が南北に突き抜けていて、見本市会場はそこから少し西に入ったところにある。ゴルフ場も近くにあり建物は殆どない土漠地帯である。
見本市会場はしばらくそのまま置かれてから解体されるということである。<つづく>

160223

今日は雨が降る予定。
午前中はどんよりしているが降ってはいなかった。

荒牧邸夜景。
正面を古い写真と比べてみる。
パラペットが違う。開口部が違う。特に1階は入り口が道路側にある。
横からの見上げの写真は、1階のでと柱の付き方が分かる
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
054. 2/23
どきっとして、外を見ると耳がかくれるような帽子をかぶり、大きな手袋をし、長い黒い薄汚れたコートを着たおっさんが二人吹雪の中に立っている。何だというとチェーンを付けてやるという。ちょうど、吹雪が小やみになって見えなかった周囲がひらけると、何台かの車が止まって、皆チェーンを付けている最中だ。自分で付けると断ってもチェーンを奪いとってつけ始める。それが実に手際よい。あきらめて付けて貰いことにした。聞いてみるとおじさん達は近所の村の人たちで冬の小遣い稼ぎらしい。車をちょっと前に出せとか下げろだとかいうがものの数分でつけ終わりお金を請求される。イランのことだと1/3に値切ったがそれでも結構いい値段だった。満足そうな顔をしていたのでもっと値切れたかも知れないが、初めてのチェーンを吹雪の中で手をかじかませて車高の低い車に付けることを思えばまあまあかなと思ったように記憶している。メルシーといい(イランではメルシーが御礼の一般的な表現、電話はアロー、アローだからフランス系である。)手を振って車を出す。ちょうどこの辺りから勾配が急になり立ち往生している車も何台かいる。偶然に非常によいタイミングで外に出てみたことになる。峠を越すと下り道がつづく。と言うことで、<つづく>

防犯灯はまじめに仕事をしている。
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あまりよい天気ではないが、
雨の心配はないらしい。
近所の公園。
防災設備の置き場にもなっている。
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最近できた近所のアパートの入り口。
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肩たたきとか、追い出し部屋などいろいろあるが、
最近は雇用のための助成金を使った「リストアップ方式」などというものも出てきたようだ。
個別対応で、やめさせられそうな仲間が分からない。
集団で反対できない方式ということだ。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
053. 2/22
テヘランまで行くというと山越えだ、雨が降っているが上は雪だろうという。やはり明日出発した方がよいという。泊まるところはないかと聞くとガソリンスタンドは24時間営業だから事務所の片隅で寝てもよいというので、甘えることにした。次の朝、7時に起きると、スタンドの人は、まだしごとをつづけていた。ガソリンを入れてくれたし、何も迷惑は被っていないと焼きたてのナンとお茶をごちそうしてくれた。御礼を言って出発する。一時間も走ると道は登り坂になりどんどん高度を増していくヒーターの効かない車は寒い。毛皮を着て手袋をしてあとは若さで寒さに堪える。雪も降ってきた。車のタイヤは新しく多少の雪をものともせず登っていく。
かなりのワインディングロードであり、傾斜も結構あるが視界はあまりなくどんなところを走っているのか殆ど分からない。更にだいぶ登るとあたりは完全に雪景色で、吹雪きだしたので薄暗く視界も益々狭くなってきた。少し心配になり道路脇に車を止め表に出た。出た途端に足に抵抗がなく見事に滑って転んだ。路面はてかてか光るほどつるつるに凍っている。よくこんなところをノーマルタイヤで登ってきたとぞっとする。今まで登りであるが、やがて下りになる。山道の下りのスリップは恐ろしい。しかたなくチェーンを付けることにして、トランクを開けチェーンを取り出す。まさかと思ったが買ってきてよかったなとこころから思う。当時はチェーンの付け方に今のように様々な工夫などなされていなかったと思うが新しいチェーなので、まずチェーンの付け方を確認しようと車内に戻り、ドアを閉める。しめた途端に外からドアが引き開けられた。<つづく>

160221

雨はあがったがどんよりしている。
風も少々あるがたいしたことはない。

茅葺き民家で麹漬け。
少し遅くいったら終わっていた。
番線の締め直し。
気になっていたところ2カ所だけ直す。
またインコが来ていた。
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鷺宮住宅。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
052. 2/21
ゲストハウスがあり、夕食にチェロ-ホレシュトが出る。宿泊と夕食代として料金は取られたがかなり安かったように記憶している。
明くる朝は、車の持ち込みの交渉である。今までは通過するだけでよかったのでよいのだが、今回はある程度の期間の滞在する予定である。税関では居住者でない外国人の場合、最大1か月だという。たまたま金曜日で車の通関に詳しい係員が不在。カウンターの向こうで右往左往している。それでも旅慣れた英語のうまいインド人がいろいろアドバイスをしてくれ、比較的短時間で一ヶ月の許可が下りた。しかし、バッテリーは十分充電されているのだが、車のエンジンが掛からない。すぐ近くの町Qasser-Sirinに車屋があるという。コイルとかプラグなどを替え、コンタクトポイントを調整するなどやってみたが、結局だめで、ジープに押して貰ってスタート。動き出すとあとは何とかなる。あとはイランの中をただひたすらテヘランまで走るだけである。片言ともいえない単語を並べただけのイラン語でも通じる。何か母国に帰ってきたように心強い気分になった。テヘランに行くまで、ケルマンシャーとハマダンを通らなければならない。交差点に立っている人にケルマンシャーはどっちだとイラン語で尋ねるとすぐ指を指してくれる。しかし国境で時間を取られ、ハマダンまで50キロの標識のある地点で、もう夕方の4時30分である。これから山を越えるのはしんどい。地図を見るとこれから山地に入り町らしい町がしばらくない。今通り過ぎたばかりの小さな町まで戻り、ガソリンスタンドでガソリンを入れる。<つづく>

160220

今日は午後から雨の予報が当たる。
JIA文化財修復塾 関東甲信越支部 最後の実地講習 
栃木市午前中、「蔵の街観光館2階」で座学 河東さん 見世蔵の話
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雨の中のまちあるき。
例幣使街道
岡田翁別邸。
岡田記念館でコーヒー。
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蔵の改修。
山本兵一氏が語る。
巻頭の和釘を垂木に打つ。 cf.貝折
蔵の開口部の枠、戸を外すために解体できるようにつくる。
蔵の扉が上げ落としで外れたら大変だから。
入り口扉枠:二枚ほぞに鼻栓。
窓枠:同じだが栓が外れていても下枠が何故落ちてこないないの?
栓の穴は開いている。
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油伝味噌のご主人の話。
映画「フジタツグジ」の舞台にもなった。
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ミニバスにはお雛様と桃の花。
揺れてぶれていますが。
特急に駆け込む。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
051. 2/20
星座というのは主要な星を結んで形作るかなり抽象的な形をしている。しかし、砂漠の中で星空を見上げると、空気に湿度がないせいか見える星の数が全く違う。空じゅうに日本で見る天の川のような密度で星をばらまいて、さらに天の川は一段と密度濃く明るく流れている。それぞれの星座の位置を見ると具体的な形が目に見える様に思える。星座というのも元々雲の形が羊のようだ、鯨に見えると言うような見え方から生まれたのではないかと思えてしまう。
次の朝、6時30分にルトバを出発する。町を出る前にガソリンを入れる。イラクに入ると急に道がよくなる。時速120キロで走る。アルファーは実に快適に走ってくれる。心配していたオーバーヒートもない。こんなのところで、30分走って15分休んでいたら心細いだろうなと思えてくる。テシフォンの遺跡を見て11時30分にバグダッドに到着。イラクの中には見たいものが沢山あるが見ているとまた月日が流れてしまう。今回は素通りすることにした。バグダッドは大きな都市である。標識に従って走っているつもりが道が分からなくなる。オフィス街のど真ん中を走っている。入り口近くに人がいるこぢんまりとした会社の前に車を止めて、国境に行く道を尋ねると何人かの会社員が出てきたが、その中の一人が、詳しいらしく丁寧な分かりやすいな地図を描いてくれて、もうそんなに時間は掛からないと、お茶をごちそうしてくれる。イスラムの国は旅人に親切である。
イラクの国境に3時に到着する。問題なくイラクを出国。僅か先にイランの国境の事務所がある。イラクのイランの情勢もあまりよくない。入国の審査に行くと今日は入国できない明日まで一日留め置かれるという。ここで戻れと云われたらどうしようと心配になる。しかし、それが現在の規則だという。戻る必要はないようで幾分安心をする。麻薬患者の取り締まりをしており、麻薬の検査であるという注射をされた。明日反応を見るという。<つづく>

朝、近所の紅梅。
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160219

今日も寒いがよい天気で風は殆どない。
大和町の医院。
実測の打ち合わせ。

JIAの地域連携会議。

写真等はまた後日。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
050. 2/19
ヨルダンの国境は無事通過。ヨルダンの国境とイラクの国境の間には数キロの空白地帯がある。イラクの国境では、車を持ち込むのにかなりの金額を請求された。税金もあるが、自賠責の保険に近いものも含まれているらしいが、書類は全てアラビヤ文字で全く読めない。それでも無事パスポートに入国のハンコを貰う。少し砂漠の中を走ると松本清張の小説で読んだルトバの町に入る。もう薄暗く電気もつき始めているが小説の国境の町のイメージ通りである。
端のはっきりしない真っ直ぐなアスファルトの道の両側に幅20mぐらいの砂利の空間がある。その空間に沿って、らくだ色の土の建物と、白くペンキを塗った煉瓦の建物が並んでいる。ここはオアシスであり宿場町である。昔は駱駝をつれた隊商が泊まり水と食料を補給した。白いペンキが塗ってある少し高級そうなホテルが一軒、あと何軒かの安宿がある。安宿の前に車を止めて潜り込む。駱駝を止めたキャラバンサライそのもので駱駝を止める中庭がある。駱駝もたまには来ると宿の親父がいっていた。この中庭の周囲が客室になっている。客室と云っても個室でなく、ほこりっぽいモルタルの床の上に間隔を置いて鉄パイプのベットが並んでいる。一応寝具がベットの上にたたんで置かれており、天井からは裸電球がぶる下がっている。外へ出て売店で夕食分の食べ物と飲み物を仕入れる。大事なものは車に残さずザックに入れて手元に置くことにした。周りの客を見ると、みな荷物をベットに括りつけている。郷に入れば郷に従えである。ワイヤー錠でベットの足に荷物をつなぎ眠ることにする。
何か久しぶりの一人旅に興奮して寝付けない。ちょっと外へ出てみると凍えるように寒く天頂から地平線までお椀を伏せたように満天の星が輝いていた。<つづく>

160218

毎日のように同じことを書いてるが、
今日も寒いがまずまずの天気だ。
うっすらと曇っている。

植木屋少々。
何か一年で随分繁って着る。
この木は昨年4月半ばに剪っている。
大学をやめるに当たって3月から4月の始めはあまりできずに、
このシイだけ芽の出る前の一番良い時期に剪っている。
他は、新芽が伸び終わった6月頃剪っているが、
どうりで伸びが違う。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
049. 2/18
朝8時にダマスカスを出発。ダマスカスから直接イラクに抜ける道もあるが、かなりひどく通ってきた人が苦労した話を聞く。一度ヨルダンに入りヨルダンからイラクに入ることにする。ヨルダンの国境は全く問題なく通過する。国境を越えすぐに東に進路を変え、ただひたすら走る。大型のトラックが行き違えるくらいのアスファルトの舗装の道路である。舗装されているが路面は必ずしもよくない。特に路肩が縁石等で決められていないので、時間とともに崩れ不規則な線になっている。かなりひどくなると修理をしているようだが、それがまたあまり丁寧でなく路肩のでこぼこを助長している。
途中で三人、人を乗せた。一人は片言の英語を話すなかなかのインテリでしばらく行った分岐点で降りる、一人はずた袋を肩に掛け何もないところに立っており次の集落の入り口ですぐ降りた。もう一人は乗ってきてイラクまで行くのだと行って金をせびったので、次の集落で降りて貰った。この辺りまでは集落も飛び飛びにあったが、後半は何もない土漠の中をひた走りに走る。約50キロおきに数軒の集落があり、小さな売店とガソリンスタンドと数軒の家屋がある。水は出るのか運搬してくるのか分からない。
あたりは砂漠というよりも土漠であり、非常に緩やか起伏している。エジプトで見たような砂漠のイメージにはほど遠い。色も褐色で、表面がごつごつしている。イランの砂漠と似ている。起伏があるせいか見える範囲の一番遠くに目印を決めて、メーターを見ていると約10キロ程度である。遠くに山が見えるわけでもなく意外と遠望が効かない。
ヨルダンの国境を抜ける。
最近と言っても昨年かな。友人の紹介で船戸与一の「砂のクロニクル」を読んだ。その主人公のように武器の密輸をするなどと云う大それたことをしたわけでもないが、自然環境が人間の生き方に与える絶対的な影響力を本の中に感じ、親近感を持ったのは、あの見渡す限りの荒涼として土漠の中をただ一人ひたすら走った時に受けた感覚がこの小説の基盤をなしていたからだと思う。<つづく>

160217

蒼空が広がっている。
先日、中野たてもの応援団の集まりで見たインコは「ワカケホンセイインコ」らしい。
渋谷や練馬に群れをなして飛んでくるらしい。
インド、スリランカ辺りが原産で、1960年頃から日本で見られるようになったとのこと。
ペットとして輸入したものの野生化だろう。
時には千羽ぐらいの群れをなしていることもあるという。
外来種としての問題も抱えているのではないか。

一日風が強く、シイノキに登っていたが体の底まで冷えてしまった。
風は体温を吸い取っていく。
寒かった。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
048. 2/17
全て順調に終了。アルファー・ロメオのオーナーになった。早速、徹夜で誕生祝いの手紙を書いて郵便局へ。
ぎりぎり間でも合うことに期待して。
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寒いが晴天が続いている。アパート前の道路に車を止めて車の下に潜って整備していると体が芯まで冷えてくる。整備しているうちにだんだん心配になってくる。工具が足らない砂漠の中で動かなくなったらどうしようもない。
ヨットも車もお好きだった清家先生は、ヨットは舵があれば何とかなる、車はブレーキとハンドルだと云われていたのを思い出す。しかし砂漠の中ではブレーキよりもエンジンの方が大切かも知れないなどと一人首肯してしまう。
スーク(バザールとも云う。アラブ特有の市場)に行き最低限の工具をそろえる。整備後、今のところ車はヒーターが効かない以外はすこぶる快調である。市役所に車で行きお世話になった方々に挨拶をしてからオイルを替えNさんの家に行き費用を全て支払う。馴染んだダマスの街を一巡りしてOさんの家に帰る。
明日、出発することに成り何となく気もそぞろ。番匠谷さん、Oさん家族と食事をする。中近東の旅の情報も幾つか貰ったが一番印象に残っているのは、松本清張の小説「地の塩」(だったと思う)に越えていく国境の町のこと。その小説は、ダマスについてすぐ借りて読んだが、僕が陸路でその砂漠の中の国境の町を通るとは思ってもいなかった。
その小説に書かれた国境の町はかなり殺伐とした印象であった。
「地の塩」は帰国後、もう一度懐かしく読んだ。<つづく>

160216

青空が戻ってきたが、
寒さも一緒に戻ってきた。
我が家で始めて買った電気掃除機が出てきた。
ホースをつなぐ向きをかえるとハタキになる。
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JIA中野地域会定例。
パンフレットの最後の詰め。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
047. 2/16
まずは自動車修理屋に行き、バッテリー、ジェネレーター、交換しブレーキを調整してもらった。それから所有者の変更の手続きをしに日本で云う車検を扱う事務所に行った。問題はなかったが、当日中に終了することは難しいといわれ、交渉したが、やはりだめで、もう一日ベールートに滞在することになった。用事を済ませたOさんと自動車修理工場の前で会い、Nさんと私が残り、Oさんはダマスに帰ることになった。また、ホテルニューハムラに出戻りである。まだだいぶ明るい。暇になってしまったので、二人で映画“Norman Wisdom”を見る。どんな筋だったか誰が出ていたかなど全く覚えていないがコメディーだったような気がする。ナイトクラブに行って一杯飲んでベールートの歓楽街と云われているところを散策してからホテルに帰る。
明くる朝は、早起きし、車検事務所に行き書類を受けとる。車検事務所で指示されたので、ブレーキランプを交換し、アルファーロメオの部品専門店に行きオーバーヒートの原因を見て貰ったがちょこちょこといじくっただけで根本的には直ったようには思えなかった。冬の季節、テヘランまでは山越えがあるという。用心のためにスノーチェーンを仕入れる。<つづく>

ピロリ菌退治の薬。
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160215

どんよりとした曇り空
2月も半分過ぎて仕舞った。
昨日は風が強く落ち葉が凄い。
東電が高圧線近くの木の枝を剪りにきた。
「作業は枝払い」電線から約2mというところ、3.5mまで落としていった。
こちらは助かるが、左の写真は昨年暮れ。冬の間かなり葉を落とす。
違いはてっぺん左が軽くなっている。
雨が降り出す。
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松江の写真展
1階エレベーターホールのポスターは松江の写真。
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河合さんにも会う。
自然教育園の池に紅葉の写真。

仕上学会WG
夜になって雪に変わったとか。
我が家の近くは白くなっていないし、
ちらちら降ってもいないようだ。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
046. 2/15
N氏が来る予定だったが延びた。はやる気持ちでいたのでちょっとがっかりしたが一日や二日どうと言うことはない。
次の日、自宅からの手紙と、テヘランにキープされていた手紙の転送を受け取りよい気分転換になった。手紙の内容までは覚えていない。
N氏が来て明日車を持ってくるとのこと。番匠谷さんは留守だったが、大使館のT夫人がきてO夫妻と夕食をともにする。私もお相伴。T夫人は番匠谷さんのことをよく観察していて、説明にいちいちうなずいてしまった。特に、女性から見た番匠谷さんの魅力はには魅力を認めながらもかなり厳しいものがあった。番匠谷夫人が子供を連れて日本にいることも納得。
次の日の夕方遅く、Nさんが車を持ってきてくれるが、すぐにOさん、Nさんほか2名で麻雀が始まる。麻雀ができない僕はNさんが持ってきたアルファー・ロメオの取扱説明書に夢中になる。幸いなことにアラブ語でもイタリア語でもなく英語で書かれていて、日本で乗っていたVWの取扱説明書と構成が似ており理解しやすい。皆さん徹夜に近く遊んでいたらしいが、翌朝早起きをして車を運転してみる。運転してみると何年も運転してきたようにぴたっし馴染んでくれる。日中は仕事で私も市役所で模型を仕上げる。
車の譲渡には手続きや整備で少なくとも丸一日は掛かるだろうと云うことで、夜、ダマスを出発し、ベールートに泊まり、明日一日頑張ることになった。Nさんと僕がアルファーに乗り、Oさんも例のフィアットで同行。前日出て翌日有効に一日使うのは、Oさんが車を買った時と同じである。
ベールートに向けて夕方6時に出発するが国境の峠越えで車の調子が悪くなる。前に話を聞いていたオーバーヒートだ。急な上りのため走っては止まり冷やしては走り、ベールートについたのは夜の10時頃、自動車修理屋の近くに駐車してOさんにホテルまで乗せて貰う。三人でビールを飲んで夕食。明日に備えて早めに寝る。<つづく>

160214

今日は久しぶりの雨。
昨日は異常なくらい暖かかった。
今日も暖かい。
St. Valentine's day
47th wedding anniversary

昨夜の雨と風、あの鳩どうしたかな。
気温はそう下がらなかったはずだから、
無事過ごしてくれていたらよいと思う。

中野たてもの応援団、沢庵のたる開け。
来週までの大根の麹漬け。
むいた大根の皮。
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インコがいる、5匹ぐらいが群れをなしているが、
羽を広げると、50cm位ある結構大きい
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枯れ葉の山
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
045. 2/14
車を買うことに決定。1,500s.p.でよいという。彼女の誕生日祝いに運転手付きのアルファー・ロメオをプレゼントすることにした。もちろん運転手は僕。プレゼントするという手紙を書くことにした。いろいろなことをあと数日で済ませ手紙を投函しないと間に合わない。プレゼントしたのにだめでしたというのは様にならない。日本に届くのに最低1週間は掛かる。当時、商社ではテレックスを使っていたが、まだファックスもないし、もちろんメールなど存在もしなかった。
OさんにNさんの家まで連れって行って貰い具体的な相談を始める。一番心配したのは僕は旅行者で、居住しているわけではないので、車を買うことができるかどうかと言うことだったが、Nさんもシリアに住んでいて、レバノンで車を買ったし、Oさんだってそうだ。
違うのは二人とも隣国のシリアに居住権を有しているが僕はない。大丈夫と思うが、確認してくれることになった。とにかく数日車を借りて乗ってみることになった。<つづく>


160213

曇り空。
寒さはそれほど感じられない。
それどころか体を動かせば汗をかく。
2月とは思えない陽気だ。

鳩。
今日は一昨日から剪ってる木を仕上げようと思ったら、
枝の緑の中に鳩がいた。
近づいても逃げようともしない。
じっと座っている。
それでいて、近づいてもこちらを威嚇するわけでもなく、
目でこちらを見るが動かない。
卵を温めているのかな?
暫くこの木は剪るのをやめて、
他の木に移ろう。
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解体していた家はついになくなった。
どんな家が建つのだろう?
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
044. 2/13
そんな中で、一つの大きな決心は、車を買うことにしたことである。商社勤めのNさんが、車を手放したいという。手放したいと云うより、シリアで、外国人が車を持てる期間が決まっていて、それがもうすぐ切れるというのだ。旅先でなければ、車を買うことなどたいしたことはないとは云わないが、一大事業ではない。しかしここで車を買うと云うことは、これからの旅を決定づけるものであり、その旅は僕にとっての一大決心の表現でもあるわけだ。もし車を買えば、一つのプランが着実に描き出される。
まずはNさんに車を見せて貰う。値段の方はそんなに安くてよいのですかというような値段だ。持っていても乗れないし売るのも難しいし、折角乗って貰えるのだったらということであった。明るいブルーのスポーツタイプ、車高も低く格好は実によい。それに座った感じは体にぴたっと吸い付くような感じがした。全く違和感なく馴染んでくれる。暖房の利きが悪いのと、すぐオーバーヒートする癖があるというのが説明された難点であった。
数日時間を貰って、相談したりいろいろな場合を考えさせて貰った。番匠谷さんは自分がアルファーだから、良いじゃないかと云いながら、自分が持っているDKVがガレージの眠っている。部品も十分持っているから直して乗っていったらどうだともいう。直したらあげるよという話なのだが、かなりの手間暇が掛かりそうだ。Oさんは番匠谷さんの車については知らなかったみたいだがNさんの車のことをよく知っていて薦めてくれた。<つづく>

160212

特に天気は悪くないが青空ではない。
重力波を観測。
夜、軍需産業のTVがある。
建設業、電力会社ばかりでなく、軍需産業も政治資金の提供者になる。
政治資金が、特定の個人にはもちろん政党にも流れないようにしなければ政治はよくならない。
新たな問題がそれなりに生じるだろうが、
全政治資金を一括して分配(政党、議員数、立候補者数、国民の評価などによって)する。
おそらく政治資金は減り、
新たな裏金工作が生じるかも知れないが、
現在のアメリカ、日本の金儲けのためには何でもするという恐ろしい状況よりはずっとよくなるだろう。

今日の植木屋はここまで。あまり変わりがない?
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商店街。商店街の「笑い地蔵尊」人気があるのかお灯明と供物が絶えない。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
043. 2/12
ダマスカスの仕事の話。
番匠谷さんが、大使館のTさんにダマスカスにおける私の仕事を説明。来年度、ダマスカスへ来ないかという話に進展。大使館のTさんもできるだけ努力をして下さると云うことになった。この話は、帰国後もつづき、青年協力隊の仕事として、順調に話が決まりそうになるが、途中で、青年協力隊の事務所でスト騒ぎがあり、中断しているうちにいつの間にか話が途切れてしまった。私の方も、大学院博士課程に進み、ダマス行きの話な心のどこかに引っ掛かっているもののかなり遠いはなしになった。
論文書くのが早い方でもなし、そういくつものことが同時にできるわけでもないから結果としては、まあそれはそれでよかったのではないかと思っている。しかしダマスカスというのは魅力的な街だった。それだけに今の状況に心が痛む。といっても情報は少なく何処までどうなっているのかさえも分からない。特に短期間だが関わった北方の都市ハマの被害がひどいという。あのモンスターのような水車は、そして計画した街区はどうなっただろう。
その頃、ダマスにいる日本人は少なく、何となく皆さんとお付き合いさせて頂いた。Oさんの麻雀仲間の大使館勤めのDさんを始め、商社の方々、等々。大使館主催のパーティーにも招かれて出席し苦手なダンスまでしてしまった。
もちろん私は、11月の12日から12月24日まで一月半弱しかダマスにいなかったわけで、ダマスを離れてからは、昔からの繋がりがあった先輩の番匠谷さん、Oさんは別にしてこれといった付き合いはしていないが、この一月そこそこの間に様々な想い出がぎっしり詰まっているような感じがする。感じがするというのは何かを見たり聞いたり覚えたりと言うことではなく、毎日が何か新しい物事を決める経験の連続だったような気がするからで自分を形作っている重要な構成要素の一部がつくられたという気がする。<つづく>

電気販売の自由化だが、
よく分からない。
火力発電所も水力発電所も原子力発電所も、
また、送電線もみんな旧来の電力会社の持ち物である。
東京で云えば東京電力。
もちろん消費量の多い東京の場合は、東北や中部のご厄介になっているかも知れないが。
販売の自由化というのはどういうことだろう。
もちろんガス会社のように発電もある程度するところもあるが、
そうでないところが多い。
つまり、旧来の電力会社から大量に安く電気を買って、
配電する問屋のようなものと考えればよいのかなと思う。
問屋はマージンが必要だから、
東電なら東電が、ぎりぎりまで値を下げればその方が安いのであって、
それができないのが商業のからくりかも知れないが、
やはり、仕事というか儲け先を増やしているに過ぎないような気がする。
但し、商業のからくりと書いたが、
間に問屋が入ることで、競争原理が働いて、買い叩きができ、
結果として消費者は安く電気を購入できるのかも知れない。
国鉄からJRになった時も同じ疑問を持った。
国鉄に対する監視機関を充実させれば十分でないかと。
どうも資本主義の世の中そうは問屋が卸さないらしい。

160211

今日は建国記念の日。
前からこの名前だっけ?
1966年(昭和41年)設定と云うから大学生の頃だ。
親父や爺さんは紀元節、紀元節と云っていた。
神武天皇の即位した、
旧暦一月一日を明治政府が新暦に置き換えたと云うことらしい。

晴天が続く。
昨夜から除菌開始。

植木屋今日はここまで。
枝が混んでて体が入らないから、
やたら時間が掛かる。
しかし、柿や楠と違って、
突然折れる心配がないから精神的には幾分楽だ。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
042. 2/11
番匠谷さんの得意な話は、建築、都市計画、フランス系のエキゾチックな国々の話。料理、そしてもう一つ、車の話がある。いつもは冷静な話し方の番匠谷さんも車の話になると熱が入る。
また、彼の独特のしゃべり方が余計そう思わせる。大学卒業後すぐに外地に飛び出したため、日本語と云えば、昭和20年代後半の学生時代の日本語と、日本大使館の方達や商社の代表が使う日本語の素晴らしいミックスである。
乗ってる車はアルファ・ロメオのセダンで、リアはすぱっと垂直に切ってさらに押し込んでへこましたような独特なスタイル。
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「君~。車が傷ついたりへこむとすぐ直す人がいらっしゃいますけど、僕はあちらこちらへこんでいるのが好きでございましてね、ここは、砂漠の中で、転がっていた石をよけ損なったとか、コーナーに深い轍があってさ、知ってるかい、滅多にないけど時々、突然雨が降るんだぜ、それも中途半端なものじゃない。いきなり降ってきて砂漠のど真ん中に川ができるんだぜ。道路もぬかるんで、はまり込むと出るのに工夫が要るんだ。・・・・・・そして雨が止みますね、すぐに乾いて車の通ったとおりにこちこちになるんだぜ。スゲ-溝ができるんだ、そこへ80キロぐらいで突っ込んでいくとコーナーを曲がりきるのが大変なんだ。絶対に外側のタイヤを溝に入れてはだめなんだぜ、内側なら何とかなる。かなり真剣にハンドルを握っているわけだ、そんなところに大きな石が転がっていると、うまく避けたつもりが、フェンダーの端にちょっと当たるとかありまして、車の傷は勲章みたいなものなんだぜ・・・・・。」東南アジアや北アフリカの発展途上国で長年仕事をしてきた思いが感じられる。と話は何時終わるともなくつづく。「お!なくなったか。もう一本開けるかい?おい!」<つづく>

160210

晴天が続く。
風は多少あるがそれほど寒くない。
今日は佐原に行く。
先日、JIA栃木地域会の新年会に出た。
その帰りに新幹線で、1月号の「トランヴェール」を見ていたら佐原が出ていた。
JIAの保存問題委員会に関わる前の年に佐原で大会が開かれた。
話題になっていたが、
見てないので話に加われない。加われないのはよいが、やはり見たくなる。
そう思いながら、随分月日が流れてしまった。
行きも帰りも道路はガラガラだった。
しかし、もう一つ行きたかった美術館が残念ことに休館だった。

まず、三菱館の横にある「佐原町並み交流館」へ行き情報を仕入れる。
結構激し車の通りを気にしながら忠敬橋を渡り東薫酒造まで行き脇道に入り小野川まで抜ける。
忠敬橋の近くに戻り船に乗ってみる。利根川の手前で引き返す。
街を見ながら引き返し食事する。

「佐原町並み交流館」の昔の写真。
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清宮 土蔵の瓦は「小江戸瓦」
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川面から。
道路から見るのとまた違った風情がある。
桟橋の所々にお雛様が飾られている。
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伊能忠敬邸。
不思議な木はイアリアヤマナラシ(ポプラ)の雌株

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買い物も楽しめる。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
041. 2/10
ベールート行きの楽しみの一つは自由な空気に触れることだ。レバノンのニュースよりもフランス大統領の選挙に興味をもつ国民感情は、美しい海岸沿いの景観とともにヨーロッパ的な開放的な気分にしてくれる。
また、シリアではホテル以外の公共の場では飲めないアルコールが、街角の店で気軽に飲める。ビールを頼むと必ず軽いスナックがついてくるのが嬉しい。コヒーやお茶でもそうだ。そして、街を歩いている女性が、チャドルなどを付けずにミニスカートで闊歩している。Oさんは目を輝かせ、時々口笛など吹いている。
何年か後、内乱による惨状を報道により知って言葉を失ったが、当時すで、西欧化に対する反発の兆しが僕の気づかない所にあったのかも知れない。ベールートという都市以外周囲の中近東とそう違ったものには見えなかったから、都市と周辺との格差が大きかったのかも知れない。
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そして、さらにもう一つの楽しみは、峠越えのドライブである。道はそれほど混んでなく適度なワインディングロードである。番匠谷さんのアルファーの角張ったセダン、ジュリアもOさんの新型フィアットもタイヤをきしませて峠を越えていく。そして今日は何分でいったとか、帰ってこられたかなど自慢話に花が咲く。<つづく>

帰りの道で。
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160209

晴天が続く
9日は仏様の多い日である。
母もそうだが、過去帳の枠に書ききれない程である。
10柱の仏様が書かれている。
(仏様も柱でよいのかな?)
夕日4題。
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周囲の木も剪定して綺麗になっている。
蔵健在。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
040. 2/9
ダマス滞在中のもう一つの想い出は、買い出しである。休みの日だけでなく、仕事が2時に終わるので、その後の時間を利用して、車で峠の山道を越えてベールートに買い出しに行く。シリアは社会主義国で、物資も少なく高いし、アルコール類はともかく、チーズやちょっと気の利いたものはレバノンに行かなければ手に入らない。我々のような外国人ばかりでなくシリア人もベールートに買い付けにいく。僕は特に何も買うわけではないのだが、ベールートの明るい雰囲気に接しいるだけでよい気分転換になった。
往復の道の眼下に流れる川沿いは数十メートル幅の緑のベルトになっている、草原に木がまばらに立ち、険しい岩山の褐色の肌と対照をなし目にしみるほどみずみずしい。
O夫人が、シリアには岩山の中に谷の幅が広く緑の絨毯を引いた様な素晴らしいところがあり、エデンの園の発想の素ではないかとと言っていた。
峠に近くまで登ると国境があり、手続きをして行き来をする。国境の役人も慣れたもので、あまりうるさいことは云わない。大体10分か20分で通過できる、しかしたまに大量に荷物を持ち込もうとするなど、面倒な人の後につくとかなり待たされる。その点、国連の仕事をしている番匠谷さんはパスポートの色も違いノーチェックで国境を通過できる。
買い物は勿論、必要であるが、買い出しの楽しみは他にもある。<つづく>

160208

まあまあの天気。
検査の結果はまずまず。

厨房にて。
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夕闇の中の妙正寺川。
春のサクラが楽しみだ。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
039. 2/8
街の中は至って安全である。レバノンは、ベールートの西洋化が行き過ぎ、それに反発するイスラム教徒がいてもおかしくないと思えたが、シリアの場合、フランスの影響はあるもののそれほど西洋化もしていないし、都市と周辺の格差もレバノンほどではない。社会主義国家だということも影響しているように思えた。シリアが昨今の報道にみるような収拾のつかない国になったのは近隣諸国の影響がきわめて大きかったのではないだろうか。落ち着いた静かな街のことを思うと何で、何処で道を踏み違えたのかときわめて残念に思われてしまう。あるいは旅行者には分からない軋轢が当時からあったのかも知れない。
気ままに歩ける静かな街、特に旧市街はイランやトルコより安心して歩けた。中近東を歩いてきたせいか靴を脱いでモスクに入れば誰にも何も言われなかった。今のように小さいカメラがあるわけでもなく、イスタンブールのように観光客が沢山いるわけでもなく、さすがに内部の写真は撮りにくかったが、壁際に座ってゆっくり眺めている分には殆ど誰の目線も気にせず済んだ。時には時間や行く先を聞かれることもあった街の中の散策はダマスの一つの楽しみだった。<つづく>

160207

昨夜は雪という天気予報だったが、
今朝は青空、
道路がちょっと湿っている程度。
雪がちらついたのか、小雨が降ったのか分からない。

長崎の教会についての資料考察。
柿の木の剪定。
どうと云うことのない家でも見慣れて家が壊されるのを見るのは寂しい。
培ってきた生活そのものの否定のような気がする。
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皆さんどんどん建て直す。
どうしてなんだろうと思うってしまう。
別に歴史的建造物だけに関わる問題ではなさそうだ。

中野区の道路標示であるが、
随分費用を掛けてつくったらしい。
それはよいのだが、設置に問題がある。
隅切り部分に立ててある。
物理的に下の矢印方向には行けない。
素直に従おうとすると、
隅切りに沿って、右、左になるが、
実は右向きの矢印はもう45度手前に行かなければいけない。
左側は、45度向こう側だが、
こちらは何となく実感できる。
そこまで読めば、
その反対側を指す右側の矢印がどちらを意味しているか分かるかも知れないが、
パズルを解くようで難しい。
山の中の標識のように命取りになることはまずないが、
設置した人間のセンスを疑う。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
038. 2/7
仕事の合間に、ダマスの街を見て歩く。まずは、AL TEKIYEH EL SULIEMNIE MOSQUE と OMAYYAD MOSQUE。その後、バザールを歩き回る。イスファハンやイスタンブールのバザールと違いそれほど観光客がいないのが嬉しい。そう見えても、外人観光客が少ないだけで、シリア各地から首都ダマスに人々が集まってきているのだそうだ。
夜は、番匠谷氏の語学のレクチャー。大学を卒業してすぐに日本を飛び出して、国連の仕事に携わってきている。アルジェリアなどフランス語文化圏の国の仕事が多い。最初に落ち着いた国がフランスだったせいもあるのではないかと思う。英語ももちろん堪能であるが多分思考回路は日本語よりもフランス語なのだと思われる。番匠谷さんは左利きだったように記憶しているが、左手でフランス語、右手で英語で同時に分けて書くという特技があり伝説にも成っている。
次の日の夕方はシリア国立博物館に行き、見終わった後、ダマスカスの旧市街を歩く。本一冊“The Vaga Bond" と絵はがき10枚を買う。夜は、買ってきた絵はがきでご無沙汰している方々に連絡。そしてハマの街の計画案の図面を描く。
現在の内乱でハマの被害は大きいという。多分、あの計画案は実行されたと思うがそれがどうなったかちょっと気に掛かるが、それよりもあの巨大なモンスターのような唸り声をきしませる水車のことが心配になる。<つづく>

160206

今日も晴れ。
JIA文化財修復塾
第4回講座 10:15-18:30
午前中は建研の長谷川直司先生 「煉瓦造建築物等の構工法と修理」
午後1講目は東大の藤田香織先生 「在来木造と伝統構法の構造と修理」
午後2講目は横浜市の小田嶋鉄朗先生 「保存を阻む法規と各助成金」
それぞれ大変興味深いお話をお聞きすることができた。
今日で一応座学はおしまい。
関東甲信越支部としては、あと一回の現地講習会。
また全体のラウンドテーブルが残っている。
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建長寺の仏殿と法堂の比較        御講演中の藤田先生

終了後
久しぶりで「北京」で食事をして帰る。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
037. 2/6
大学にいた頃、Oさんは中古のオースチン、僕はこれまたかなり古いVWに乗っていた。そんなこともありOさんが車を買うというのでベールートに同道することになる。当時シリアでは、新しい車を買う特権は外国人にしかないようで、しかも、シリア国内では買えない。
街の中でにはかなり古い車が走っている。修理工場も多く。ダイナモが壊れると、ばらして、巻いてある銅線を解いて、真っ直ぐに引き延ばし表面にエナメルを刷毛で塗り、巻き直して使う。そのダイナモで車がちゃんと走るから感激する。自動車の部品全てがそんな感じで使い回されていた。今の日本では考えられないが、もしかするとシリアでは今もそれに似たことが行われているかも知れない。
それは別にしても、Oさんは高価な買い物なので、だいぶ前から集めたカタログを見ながら比較し楽しみながら悩んでいる。この頃に成って大体腹づもりができてきたらしい。
ベールートの行くにしてもOさんはまだ車がないから、商社のNさんに送って貰い、次の日、Nさんの用事が終わる頃拾って貰うことなり僕も同乗した。峠を越え、国境を越えてベールートに着く。今日は、まずホテルに泊まり明日一日掛けて買い物である。
次の朝、まず海岸近くのフィアットの店に行く。カタログの性能から云うとこれだなと、決め掛けているらしいが、最終的に決心がつきかねている。次にアルファーロメオの店に行き値段を聞き、ルノーの店にも行きルノー16も見る。悩みがつづく時は気分転換が必要とバザール。食品とOさんの子供のものを買い、ハムラ通りで、ビールを飲んで、昼飯を食べているうちに決心がついたようで、最初に行ったフィアットの店に行き、FIAT 125S を契約する。
blog-fiat.jpg 少し違うかも知れないが大体こんな車。
セダンでおとなしい形をしているが、性能はカタログで見る限りなかなか。丁度その頃の、プリンススカイラインGTのような感じだが、カタログではその上を行く。契約も無事済み、タクシーで待ち合わせのホテルに行き、Nさんと合流。ダマスカスに帰る。このときのNさんの車はVWだったと記憶している。車が入手するまでの楽しく待ち遠しい何日か。<つづく>

160205

よい天気。風もない。

2月のイッキン会。
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 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
036. 2/5
再開発の仕事のお手伝いをしているハマの街にいく。役所が手配してくれたジープに乗っていった。ランドローバーだ。どのような気候でも、多少傷ついても錆びないようにボディーはアルミ製(ジュラルミン製)で、屋根が二重屋根になっている。日差しの強い砂漠地帯での走行に合っている。気温が体温より暑い時には窓を閉めて走らないといけないらしいが今は冬、寒いくらいである。途中、モスクと人造湖を見る。道すがら車の中で番匠谷さんにハマの街についての説明を聞く。古くから巨大な木製の水車があるので有名な街だということだ。
街に到着して計画の打ち合わせを数時間。その後、水車を含めて街の中を案内して貰う。確かに常識を逸するほど大きい。それが不気味なきしみ音を立てながらゆっくりと廻っている。ラマダンの最中なので、その打ち合わせや、視察の間、水一杯出ない。役所に戻ると、食べ物、飲み物が用意されており、その回りで歓談する。一時間ほどして、日没を告げる空砲が鳴る。断食時間が終了、しかも今日はラマダンの最終日だったらしい。急に誰もが明るくなる。イスラムだからアルコールは一切出ないがその代わり甘いものが沢山並んでいる。
ハマの街の自慢話、水車の由来や役割など。この日は、夜遅くまで、再開発のスケッチを描いたり打ち合わせをしハマ泊まり。ホテルの窓からは水車は見えなかったが、夜中になると遠くから怪獣の慟哭のように水車のきしみ廻る音が聞こえてくる。明くる午前中に仕事を済ませ、ハマの西北にある集落を視察する。小さいが落ち着いた集落で、近くにローマ時代の街道の遺跡が残っている。3kmにわたり両側に列柱が立っている。
しばらく進むと中世の城があった。珍しく霧が出ておりレバノン山脈を背に、まるで浮かんでいるようで幻想的であった。現代と中世とローマ時代が重なり合ってレバノンの歴史の複雑さを感じさせられる。
その後、紛争が絶えないシリア。都市計画も、再開発もいったいどうなってしまったのだろう。ハマのホテルで昼食を食べて帰途につき、夜8時30頃ダマスに戻る。<つづく>

160204

何故だろう?
2月になると日が経つのが俄然早くなる。
ミッドタウン
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21-21でフランク・ゲイリー展
地下ロビーの映像は迫力があった。
展示場奥の3Dデザインツールによる設計が、
いかに複雑な形態の建物を合理的に造れたかを説明している。
贅沢な材料でなくともディテールは注意深く。
布のモデルから金属片のモデル。
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今日は慶応版来舎の保存運動の時の方々と会う。
ショージ会
まずは森美術館で、
バックミン・スター・フラーとノーマン・フォスターの繋がりについての説明を聞く。
ノーマン・フォスター幻の自宅
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青山墓地と新宿。
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スエーデン料理

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
035.2/4
シリア、特にダマスカスには社会主義になった当時もフランス統治下の習慣が残っていて、事務所は午後2時でおしまい。昼食と取り昼寝をして、夕食を食べてから外に遊びに行く、あるいは夕食を食べに行くという。社会主義国でそう優雅なこともできそうもないが、どことなくフランス風の生活が残っている。美味しいフランス料理の店も幾つかある。
やがて、番匠谷氏が帰ってこられた。番匠谷夫人は子供二人と日本に帰られているとのこと。物置に蒲団を敷いて私の部屋ができる。
夕方から一杯飲んでまた話が弾む。フランス料理の話だが、数日前に注文しないと食べられないオニオンスープの話。パンとガーリックと、チーズについて、それぞれの材料にこだわりがあって、それをどう手間を掛けて用意して、どう料理をするのか。
アラブの手製のグラスに接がれ安心感かつい飲み過ぎてしまった。明くる朝、軽い二日酔い?頭は快調だが、胃が重たい。付近を少し散歩してみる。

番匠谷氏の好みで酒はホワイトホース。その頃日本ではスコッチは高級品、トリスウイスキーや、HiHiニッカが一般的。角瓶だとちょっとおごっている、だるまだと最高といった時代。ジョニーウォーカーも普通に手に入るのは赤ラベル。黒ラベルは滅多にお目に掛からない。毎晩のように、番匠谷さんの話が弾み男3人でホワイトホースが2本空く。

一宿一飯の仁義で、市役所に行って、街の再開発計画のお手伝いをすることになる。シリアの都市計画は、建物の外形のマッスを計画する。街路が直角に交わらずにかなり不規則な感じがするが、その中に中層の集合住宅のマッスを置いていく。Oさんから番匠谷さんのデザイン方針や好みを聞きながら進める。まとまった所で模型を造り修正を加える。実際の建物はそのマッスの中に納まるように建てなければいけないが、仕上げとか開口部の位置は自由である。既にダマスの街の中にはこの方法で計画され建てられた街区もあるが、それほど多彩な仕上げ材料もなくほどほどに統一がとれ、整然とした街なみができあがっている。対象の場所は北部の都市ハマの一部である。<つづく>

160203

今日もよい天気。
冬になると、乾燥しているから、「火の元に注意しましょう」というコメントが出されていたが、
最近あまり聞かない。
建物が不燃化したきたからか?
大気がそれほど乾燥してないからなのか?

クスノキの間を通して青空が見える。
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今日は最初の角を左、次を左、その次を右、また右、そして左、また左・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
碁盤の目のような通りだったら何も面白くないが、
不規則な道では予想外に進む。
細い道に入ることもある。斜めの道などがるとあれと思うこともあり、結構面白い。
通ったことのない道に入り込むこともある。
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市民向けのパンフについて、
その中で使われる「記憶装置」という言葉に関してだが、
目くじら建てて議論するのはやめた。
しかし、気になったので記憶にとどめるために書いておく。

このパンフは市民向け
活動をより多くの人にご理解いただきたい
そのためには難しいことをなんとか優しく言い換えることが大切
「記憶装置」は我々はいいのですが、その意味を理解いただいたり、面白いと思って読んでくれる方より、
読むこと自体をやめてしまう方のほうが多いという効果を生むのではないかと感じます。
という御意見もある。

しかし、このことから私は、何となく安倍首相を始めとする政権の姿勢態度を思い浮かべてしまう。
「記憶装置」というのは、建築の専門用語ではない。
「読むこと自体やめてしまう」市民が多いというのは、はなはだ市民を馬鹿にしているのではないかと思う。
何か「市民は馬鹿だ」、「市民は馬鹿の方がよい」に繋がるような気がする。
とは考えすぎか?
私の思い過ごしなら良いが。

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
034.2/3
ここで今年の正月5日に書いた、005.にやっと話が戻るわけだ。
市役所の玄関の警備の警察官に聞き、エレベーターに乗る。降りた所が広い部屋になっていて、建築模型などが置いてある、間違いないと思う。部屋の中に階段があり登ると大きな机があり、幾分頬がこけて眼光が鋭い精悍な、写真と寸分違わない番匠谷さんがいた。番匠谷さんは昭和28年卒。42年卒の我々からはもう伝説の人である。初対面の挨拶を交わす。
この番匠谷尭二先輩の卒業した昭和28年は、花の28年といわれている。同期に林昌二、篠原一男、宮坂修吉、宮沢鉄蔵、森京介などがいる。奥の方から二年先輩のOさんも出てくる。早速、事務所の連中に紹介された。
10メートル角の部屋に製図板が並び、敷地模型、再開発のラフ模型、マジックインクのスケッチが点在している。
現在、ラマダンで日の出から日の入りまで一切食べ物を食べてはいけない。労働時間は10時から2時まで、最も通常も9時から2時までらしい。
奥井さんは番匠谷宅に同居しているとのことで、僕もしばらくご厄介になることになった。まだ用事のある番匠谷さんを残して、Oさんと事務所を出て、タクシーで住まいへ。5分ぐらいで着く。東京のラッシュアワーと通勤時間を考えれば実にうらやましい。住まいは、鉄筋コンクリート造のフラットで、地下1階であるが3方がドライエリアで冬暖かく夏涼しくて、しかも落ち着くという。
Oさんは私がイランにいる間に外務省の仕事で、ダマスに来られた。O夫人とも久しぶりの再会。O夫人は大学の歴史の研究室の秘書をされていたので昔からよく知っている。二人の結婚式の披露宴は大学の職員食堂。テーブルのロウソク立てをビール瓶の下1/3を切り取って造るというので、瓶を割るのをお手伝いした。やすりで傷を付け、たこ糸を巻くアルコールを糸に垂らして火を付け水を掛け急冷して割った。歩留まりは80%位で切り口というか割れ口はヤスリを掛けて手を切らないようにした。<つづく>

160202

よい天気だ。
雪は殆どなくなったが、日影に除雪して山がまだ残っているところが少しある。

豊島新市役所の1Fで開催の「蔵出し としま」を見に行く。
美術・文学・マンガ・郷土資料・鈴木信太郎記念館(特別展示)
なかなか凝った展示で面白かった。
クイズラリーもやっていた。
鈴木信太郎のフランス詩の訳は高3の頃随分読んだ。
ランボー・マラルメ・ベルレーヌそれにポー
都に雨の降るごとく
我が心にも雨が降る・・・・・
超高層の市役所、展示場入り口
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展示
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インテリアの委員会

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
033.2/2
何としてもダマスカスに行きたい。そのためのアンマン経由である。
腹は減っているが、飛行機の中の軽食に期待した。飛行機はあがったと思ったら降りだし飴とコーヒーだけで着いてしまう。ベールートの空港で会った日本の商社の人と機内で隣席、税関も一緒に通る。その人もダマスに行くという、ここからはタクシーだがよかったらと便乗させてもらう。この辺りの各国の関係などをいろいろ教えて貰う。ジェトロと民間の商社では視線が違うなと云う気がした。その内容までは覚えていないが、ヨルダンの岩の山並みこそキリストのさまよった世界ではないか、こういうところだからこそ一神教が生まれたのだという彼の説には、タクシーの窓から見える灰褐色の植物のない延延とつづく殺伐とした景色を見ていると、かなり説得力があり40数年経った今でも強く印象に残っている。
国境も何の問題もなくシリアに入る。何かあっけない感じである。シリアの国に入ってから2,3カ所検問があったが特に何を聞かれることもなくパスポートだけ見て通過して、ダマスカスの街に入る。ホテルオマイヤッドで商社の人と別れる。途中で抜いてきた、屋根の上まで荷物を満載したもの凄い混みようのバスのことを考えただけでも感謝・感謝である。よくお礼を言って分かれる。運のよいことに先輩である番匠谷さんとOさんの働いているモハファザルはホテルのすぐ近くだった。モハファザルはアラブ語で市役所で、数分後に行き着くことができた。街はカイロと近く、しかしずっと落ち着いた印象を受けた。<つづく>

160201

ついに2月に入ってしまった。
2月は早いぞ。
あっという間だ。

今日はどんよりとした天気。
それほど寒くはない。

中野地域会のパンフレットの詰め。
大谷石 (組積文化ー木質文化)

 「旅と車と私たち」 46年前の物語 本年の元旦から毎日連載
032.2/1
郊外に出ると、チャドルをまとった農民もいる。ベールートと違ってイスラム教国にいることを改めて認識する。村のレストランでコーヒーを飲む。中近東のバス旅行は、かなり短時間毎に休んでコーヒーを飲ませてくれる。カプチーノを飲んで、ホットドッグを頬張った。空が青くレバノン山脈には雪が積もっている。レバノンはその国旗が示しているようにレバノン杉で有名な国だが、今は僅かに保護されているだけだ。
幾つかの村を抜けてバールベックの遺跡に到着する。悪名高いネロの時代から三世紀にかけて造られたもので古代世界における最も壮大華麗な神殿と云われている。大階段を登って多角形の広場に出る。かつてはこの回りを列柱が囲んでいたらしいが、残っている列柱の数からも囲まれているという感じはしない。遺跡特有のわびしさが先に立つ。観光客は多く、エフェソスやペルガマの長閑さはない。巨大な石を彫って造った階段を登った所にジュピターの大神殿がある。基壇にライオンの彫刻がある。基壇の上に残る一列に並んだ6本の巨大な柱がバールベックの顔となっている。
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ガイドの話では、この神殿の基壇の石は巨大なものが多く、一つ1000トン以上のものもあるという。遺跡では、完全に残ったものよりも何本かの柱が感動を呼ぶのは何故だろうか。時代という篩に掛けられ残ったという力がそれを感じさせるのかも知れない。左手下にバッカスの小神殿がある。かなり完全な形で残っている。内部空間が残り天井の一部も残っている。二つの神殿の間に巨大な地下道がある。馬に乗った行列が通れるように造られているという。出た所にビーナスの神殿がある。伝説によるとハドリアヌスが造ったとも彼の主任建築家アポロドロスの作品とも云われている。円堂に玄関柱廊を付けた馬蹄形の平面を持つ。
観光バスの乗客は殆ど普通の観光客であったが白人と連れの黒人は何か興味の持ち方が違う、向こうも何か感じたらしく話しかけてきた。白人はオーストラリア人で彼らは考古学者とその弟子で今回はただの旅行で調査ではないと云っていた。
ガイドが十分見たでしょうから次へ行きましょうという。草むらで昼寝をしながら遺跡を楽しんできたから、全然十分な時間ではないがバスに乗り込む。しばらく走ると検問があった。乗用車が止められている。麻薬を取り締まっているらしい。一台の乗用車のトランクに蜜柑箱ぐらいの大きさの入れ物に白い粉が詰め込まれていた。シリアやアラビアの麻薬は精製がなされておらず、ベールートに持ち込むことが必要なのだそうだ。精製前のものはたいした値段でないという。運転手と警察官が大声を出して何か言い合っている。
来た道と分かれて、ローマ時代の都市アンジャール遺跡に向かう。ローマ建築を踏襲した初期のイスラム建築である。第3代カリフウスマーン(644-656)による宮殿建築である。周囲を城壁が囲み東西南北に門があり、中に十字形にメイン道路が走っている。この遺跡を象徴する4本の柱、宮殿の跡などがある。ここの建築は煉瓦と石を交互に積んでいる。ガイドの説明によると地震対策から考案された構法だという。
帰りのバスは行きによったレストランに再び寄りコーヒーを飲む。考古学者と机をともにし遺跡としてのバールベックについて、ギリシャ時代の装飾とローマ時代の装飾の違いについてお互いの思う所を述べ合ったが、具体的には覚えていない。オーストリア人に始めて英語を褒められたが、今は英語もうすっかり忘れてしまった。
ベールートの街に帰りジェトロ事務所により、夕食をともにした。確か海沿いの静かな所にある寿司屋だった。僕は何処へ行ってもあまり食事に困らない.何でも美味しく食べられる。多分、味噌汁もお新香もあまり好きでないからだと思っている。しかし、この素晴らしいネタの寿司屋で、ぱさぱさの中近東米の細長い飯の上にネタの載った寿司を食べたとき、この旅行で唯一日本の米が食いたいなと思った。それが尾を引き、日本に帰る時までうまい白米が無性に食べたいと思うことが数回あった。
ジェトロの駐在員からヨルダンシリアの情報を入手し、ホテルノルマンディーに帰って久しぶりに先生に手紙を書いた。次の朝(12月11日)朝5時起床、僕は旅では不思議と思った時間に目が覚める。目覚まし時計の音は殆ど聞いたことがない。ホテルの前でタクシーを拾ってもらい空港に向かう。<つづく>
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